第8話『竜の刻印』
――失敗だった。この上なく失敗だった。あり得ないくらい失敗だった。
うぅううううぅううぅ、やらかしたぁ~~~!!
「まあ、そう落ち込むことはないよ、ハニー。
見事な魔法だったじゃないか」
「そうそう! ちょっと加減を間違えただけじゃん!
気にすることないよ、フローちゃん!」
寮に向かう道すがら、ジャンとペチュに慰められる私。
ビリーマン教授にも似たようなことを言われたけれど、猛省せざるを得ない。
ど、どうしてこんなことになったのかしら……。
ここであの『惨劇』について振り返らなければならない。
まず私が舞台に上がると、ビリーマン教授はジャンのときと同じように、結界とホログラムの機械を起動させた。
そして結界は無事形成され、ホログラムも魔物の姿を形作っていった。そこまではいい。
問題はその、魔物の姿だったのだ。それは私が最も苦手とする動物で――。
「さて、フローリアくん、準備は――」
「いぃいいいぃやぁああああああぁあ、ネズミぃいいぃいい!!」
瞬間、私の手のひらから放たれたのは、無数の氷柱。
その魔法が、ホログラムでできた巨大なネズミの魔物を穴だらけにした。
――のはまあいいのだが、その氷柱は結界さえも突き破り、トレーニング室の壁にまで無数の穴を開けてしまったのだ……。
そして、そのあと我に返った私はビリーマン教授に平謝りした。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 部屋の壁にうっかり穴を開けてしまって!」
「まあ、合図の前に魔法を発動させてしまったのは問題だが……。
結界の強度に不足があったのはこちらの落ち度だ。
君が気にすることではないよ、フローリアくん。素晴らしい魔法だった」
ビリーマン教授はそう言って、部屋の破壊は不問としてくれた。
だけど、そもそもなるべく平穏に暮らしたい私は、最小限の力しか見せるつもりはなかったのだ。
それが転入初日というか、転入前にこんな騒動を起こしてしまうなんて……。
しかも、そのせいで転入テストは中止になり、ペチュにも迷惑をかけてしまった。
私のテストの結果が審議にかけられることになったのはいいのだけど、ペチュにも謝らなくてはいけない。
「ごめんなさい、ペチュ。
私のせいであなたのテストが後日になってしまって――」
「いいよいいよ! そんなの全然気にしないで!
元々今日やる予定じゃなかったんだしさ」
そう言ってくれると少し気が楽になる。
……それにしても、結局今まで一度もペチュの実力は見たことがないのよね。
本当に彼女は『落ちこぼれ令嬢』なのだろうか。
「そんなことより女子寮が見えてきたよ。
受付に事務員がいるはずだから、君たちの部屋がどこなのかはそこで訊けばいい」
「ええ、ここまで案内ありがとう」
「ありがとうありがとう、助かったよ、ジャンくん!」
「それじゃ、また会う日まで達者で暮らすんだよ!」
ジャンはまるで旅立つ人を見送るかのような台詞を残して去っていった。
……すぐに講義とかで会うことになると思うのだけど。
それはともかく、なんでも寮は男子寮と女子寮に分かれているらしい。
男子寮は女子禁制、女子寮は男子禁制。
故に男子であるジャンが案内できるのは寮の入口までだったのだ。
寮は5階建てで100部屋近くはありそうな広さがある。思った以上の大きさだ。
「すみませーん、私たち本日転入してきた者なんですけど!」
寮の内部に入った私たちは、受付でガラスの窓越しに声をかけた。
すると、事務員さんとみられる丸眼鏡をかけた40代くらいの女性が窓を開けてくれた。
「はいはーい、まずは名前を教えてちょうだいね」
「フローリア・ローレンスです」
「ペ、ペチュニア・ヴィオラセラです!」
事務員さんは何やら名簿のようなものをめくりながら確認している。
「フローリアさんとペチュニアさんね……。
ええ、ふたりとも寮に入る手続きは済んでいるわ。
3Dの部屋に入ってちょうだい。これが部屋の鍵ね」
事務員さんから鍵を受け取りながら私は訊ねた。
「一部屋だけ? それって相部屋ってことですか?」
「あら? そう聞いてない?
うちの学園は寮に入りたがる子が多いから、なるべく相部屋をお願いしているのよ。
都合が悪いのであれば学園長に相談してみるけれど……」
「聞いてないも何も、分からないことばかりですが……、まあ分かりました」
「全然全然、問題ないですよ!
むしろフローちゃんと一緒の部屋なら……」
「なら?」
「あ! えっと、私も安心かなって! そういうこと!」
どうしたんだろ、ペチュ。なんだか様子がおかしいような気がする。
でも、これまでずっとこんな感じだった気もするし……、私の気にし過ぎかしらね。
私たちは事務員さんにお礼を言って3階に上がった。
3Dの部屋は階段を上がり、廊下をまっすぐ進んで4番目の部屋のようだ。
私たちは部屋の扉を開錠して中に入ると、ずっと持ちっ放しだった荷物を置いた。
「家具とか食器とか、必要なものはすでに揃ってるみたいね」
「見て見て! ベッドもふかふかだよ、フローちゃん!」
部屋に入って早々、ペチュは子供みたいにベッドで飛び跳ねていた。
その間に私は部屋の構造を確認した。
「こっちにはお手洗いとシャワー室……、本当にこの部屋だけで生活できるようになっているのね」
無論、お屋敷に比べれば手狭だけど、それでも十分な設備だった。
思ったよりも快適な学園生活が送れそうだ。
「でもでも、食べるものがないよ。
パンフレットには食堂があるとは書いてあるけど……。
購買には何か食べ物売ってないのかな?」
飛び跳ねるのに飽きたのか、ベッドに座りながらペチュがそう言った。
それ以前に私は、たいしてお金の手持ちがない。少しでも早く仕事を見つけないといけないな。
「とにかくまずは学園の施設を確認するのが先決よね。
少しだけのんびりしたら探検しましょうか」
そう言いながら私は上着を脱いでいく。
昨晩から着替えていなかったから汗でべたついて気持ち悪かったのだ。
「そうだねそうだね……、ってなんで脱いでるの、フローちゃん!?」
「え……? ただ着替えようとしてるだけだけど……」
「だとしても一言言ってからにしてよ! びっくりするよ! ホントにもう――。
……って、ちょっと待って。それって、何……?」
「何って、何……?」
ペチュは私の背中を指差しながら大層驚いている。
そんなに私の下着ってダサい? 宿では別部屋だったからな。
そう不服に思ったけれど、ペチュが驚いたのは私の背中の模様に対してのようだった。
「それってそれって……。その模様は、『竜の刻印』!
フ、フローちゃんって"魔女"じゃなくて、竜の十二騎士の末裔だったの!?」
『竜の刻印』? 竜の十二騎士の末裔?
私にはペチュが何を言っているのか、さっぱり分からない。
確かに私の背中には黒い竜の模様があるけれど、それは――。
「そっかそっか……、あり得ないことじゃなかった……。
竜の十二騎士は"聖女"に仕える定めを持っている……。
そして、その末裔もまた然り……。『竜の刻印』は十二騎士の末裔であることの証だ……。
そんな模様を持つ者がもしローレンス家の子供として生まれたら……?
ヴィオラセラ家との確執を持つラッカセイ伯爵はその事実を隠したまま、フローリアを追放しようと――」
「ええっと、ペチュ……?」
ペチュが珍しく深く考え込んでいる。
その独り言を私に聞かれているということすら忘れているようだった。
私はペチュに真実を告げるべきか迷いながら、もう一度声をかけることにした。