第3話『落ちこぼれ令嬢』
馬車は途中、もうひとりのお客さんを乗せていくらしい。
なんでもその令嬢も私と同じように、このジモッティからカイナスギルの魔導学園へと向かうとのことだ。
私が馬車に乗り込んでしばらくしてから(――私が泣き止むのを待っていてくれたのだろう)、御者さんがそんなことを伝えてきた。
だから、町の路上で馬車が止まっても特に驚きはしなかったのだけど――。
「ここは教会……?」
令嬢を迎えに行くと聞いていたから、どこかの屋敷の前で止まるのかと考えていた。
だけど、窓の外を見回しても、ほとんど草原のような場所に、ぽつんと教会があるだけだった。
もしかしたら旅立ちの前にお祈りでもしているのかな? 信心深い子なのかもしれない。
「ペチュニアさん、どうかあなたに神のご加護がありますように」
「ありがとうありがとう、シスターにもどうか神のご加護がありますように」
馬車の箱の中からでも、教会のほうからそんなやり取りが聞こえてくる。
どうやら御者さんとお客さんで会話できるように、壁はかなり薄く作られているようだ。
おかげで馬車に揺られているとき、ガタガタとうるさかったけど、まあ文句を言っても仕方ないだろう。
「それではフローリア様、少々お待ちください。わしはお客を迎えに行きますでな」
御者さんはそう言って、馬車を降りると教会の前にいるシスターと少女のもとへ向かっていった。
そして、やがて御者さんは私にしてくれたように、その少女の荷物を運び入れて座席の前に置いた。
それに続いて入ってきた少女は、赤紫色の美しい長い髪をしていた。
顔は少々幼く見えるけれど、年はほとんど私と変わらないだろう。
透き通るような白い肌と、すらりと整った指先は、ドロシーとは違った気品を感じる。
「こんにちは。あなたもカイナスギルの魔導学園へ行くそうね。
よろしくお願いするわ」
「こ、こんにちはこんにちは!
お邪魔かもしれませんが、しばらくの間よろしくお願いします!」
彼女も旅の同行者がいることは分かっていたのだろう。驚く様子はなかった。
ただ、少しだけ緊張している様子だったので、私は優しく微笑んで、こう言ってあげた。
「ふふっ、敬語なんて使わなくていいのよ。私とあなた、同い年くらいでしょう?
それにお互い令嬢同士なんだし」
「あ、そうだねそうだね……。ええっと、」
「フローリア・ローレンスよ。呼ぶときはフローでいいわ」
「ローレンス……?」
「うん? 私の家が何か?」
「あ、いやいや! なんでもないよ!
私はペチュニア・ヴィオラセラ! ペチュって呼んでね、フローちゃん!」
そう言いながら、彼女は私の右隣の座席に座った。
その間に御者さんは元いた場所に戻っていって、出発の準備をしているようだった。
それにしても――、
「ヴィオラセラ……、聞いたことがあるわね。
ひょっとしてローレンス家とは何か親交があるのかしら?」
「ええっと、ええっと、確かに両家は古くからこの地に根付いている一族だから……」
……あ。そうだ、思い出した。
私の母、ビジュド・ファミーユは元々はローレンス家と覇を競っているヴィオラセラ家の侍女だったらしい。
それは両家の友好のための政略結婚だったと聞いている。
――いや政略結婚と言えば、まるで両家が対等な立場だったようだが、母とその子供である私は言わば人質のようなものだったようだ。
しかし、詳しくは知らないが、ヴィオラセラ家は何か不幸な出来事があって衰退してしまったらしい。
それによって両家の関係も疎遠になった。だから私も、その名を聞くまで忘れていたのだ。
「お話のところ申し訳ありませんが、そろそろ出発させてもらいますぞ」
「あ、はい!」
「どうぞどうぞ!」
そして馬車は、私たちを乗せてゆっくりと動き出した。
これでこの町ともおさらばだ。ペチュも窓から外を覗いて物思いに耽っているようだった。
「――落ちこぼれ令嬢?」
途中、休憩所で御者さんとふたりきりになったとき、そんな言葉を聞かされた。
「噂話などあまりしたくはありませぬが、これはお耳に入れておいたほうがよろしいかと思いましてな」
御者さんの話によれば、ヴィオラセラ家は代々"聖女の因子"を受け継ぐ一族なのだという。
"因子"とは言い換えれば才能のことだ。あるいはカリスマの種だと言ってもいい。
そして"聖女の因子"はヴィオラセラ家の長子にのみ受け継がれるものらしい。
尤もそれが発芽するのは、"聖女の因子"を持つのが女性の場合のみだ。
男性に宿る"聖女の因子"は決して芽を開くことはない。
ちなみに、その『発芽するのは、女性の場合に限る』という条件は、私が持つとされる"魔女の因子"でも同様だ。
ただし、"魔女の因子"は一子相伝というわけではなく、何者に受け継がれるのかはよく分かっていないらしい。
「それで? 落ちこぼれ令嬢というのは?」
「つまりはその、発芽しなかったわけですな。"聖女の因子"が」
ペチュは"聖女"としてヴィオラセラ家を支えていくことを期待されていた。
すなわちそれは、魔法の才能が開花するはずだと期待されていたということだ。
にもかかわらず、彼女は魔法の才能はからっきしだったのだ。
子供でも扱えるような初級魔法でも、彼女は満足に覚えられなかったらしい。
そのせいで他家や民衆から名付けられたあだ名が『落ちこぼれ令嬢』なのだそうだ。
「……長々と説明してくれたのはありがたいのだけど、それって私と関係あるのかしら?」
「まあ、『聖女と魔女の戦い』もはるか昔のことですからな。
直接関係があるとは申しませぬが……、少なからずの因縁はございましょう。
それにもし、あなた方がこれから同じ学園で、学びを共になされるというのであれば――」
少しは気にかけてやってはくれませぬか、――御者さんはそう言ったのだった。
その様子はまるでずっとヴィオラセラ家を見守ってきたかのように感じられた。
「御者さんは何かヴィオラセラ家と関係が?」
「いやいや、わしはただこの地に生まれ育っただけの、ただのじじいですじゃ。
ただ先代様ご夫婦にもよく馬車をご利用いただいておりましたからな。
残されたあの娘が不憫でならぬのじゃよ」
「残された……? それじゃ彼女の両親はもう――」
私がそう言いかけたとき、休憩所のお手洗いに行っていたペチュが戻ってきた。
彼女の前でこんな話を続けるわけにはいかない。どうやらもう旅を再開する時間のようだ。
「どうしたのどうしたの、何かふたりでお話してた?」
「気にしないで、ペチュ。こちらの話だから。
それより御者さん。ここからカイナスギルまではどれくらいかかるのかしら?」
少々露骨だが、私は話を逸らすつもりでそう訊いた。
幸いペチュもそれ以上は気にしないでくれるようだった。
「いくつかの山を越える長旅にはなりますが、順調にいけば2日ほどですな」
「……思ったより長いわね」
「ほっほっほ、しかし、この王国は平和そのものですからな。
山賊にでも出くわさない限り、安心安全の旅ですじゃ」
「そうなんですね、山賊にでも出くわさない限り……」
「よかったよかった、山賊にでも出くわさない限りは安心安全なんだね!」
御者さんの言葉に、私もペチュも安堵した。長旅でまず心配になるのは身の安全だ。
しかし、この旅にその心配はないのだ、山賊にでも出くわさない限りは……。
「――おい、じいさん。それから嬢ちゃんたち。
さっさと金目の物を置いていきな」
「ひゃっはっは、俺たちゃ、泣く子も黙る山賊だぜぇ?」
……出くわしちゃったじゃないの!? 山賊!!