第2話『迎えと別れ、そして運命』
「はぁ……、わたくしはこんなことを言いに来たつもりではなかったのですけれど」
ドロシーお姉様は溜息とともに、紫色のドリル髪を揺らした。
だったら、何を言いたかったのだろう。どんな言葉も今の私にとっては煩わしいだけなのに。
優しさも憐れみも、ときには心を突き刺す刃となるのだ。
「やっぱり私たち、相性は良くなかったわね」
「ええ、そうですわね。忙しいところ、お邪魔しましたわ」
そのまま彼女は踵を返して、私の部屋の扉に手をかけようとした。
その背中はどこか寂しそうに見えた。彼女も複雑な心情なのだろう。
邪魔な存在だと分かっていても、妹が追放されると知って、心中穏やかではないのだ。
……だけど、そんな同情なんてむなしいだけだ。
本当に私をかわいそうだと思うなら、今すぐにでも父に思い止まるように説得して欲しい。
それができない以上、彼女はただ自身の感傷に浸っているだけだ。小説を読んで感極まった涙を流すのと、なんら変わりはない。
だけど――、
「待って。ドロシーお姉様」
私は思わず、その背中を引き留めていた。
ただ憐れむだけで何もしてくれなくて、恨めしく憎らしい、その背中を。
もしこんな家に生まれていなければ、仲良し姉妹になれていたかもしれない、その背中を。
そして、私は驚いたように振り返ったドロシーにこう言ってやった。
「私、あなたのことは嫌いだったけれど、あなたの淹れるハーブティーは、……嫌いじゃなかった。
ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど、それだけは覚えておいて」
怪訝な顔をされるかと思ったけれど、ドロシーお姉様は今まで見た中で一番優しい微笑みを向けて、こう応えてくれた。
「わたくしも、あなたの焼くパンケーキは嫌いじゃありませんでしたわ。
それだけは忘れないでくださいまし」
それが私たち姉妹の交わした最後の言葉だった……。
翌朝。私は荷物を詰めた鞄を持って、屋敷の前に立っていた。
私の家族も従者たちも見送りはしてくれないようだった。私は父に追放される身なのだから当然だ。
日の出とともに、ぱからぱからと影が近付いてくる。
それが私をカイナスギルの魔導学園まで連れていってくれる馬車だった。
「フローリア・ローレンス様ですな。わしは御者のウマヒキですじゃ」
「ウマヒキさん……、よろしくお願いします」
その御者さんは初老くらいの紳士で、シルクハットのような背の高い帽子を被っていた。
馬車はいわゆる箱馬車で、窓から覗き込まないと中の様子は確認できないようになっていた。
その箱に4つの車輪が取り付けられており、箱の前面には御者さんが座る場所が設けられている。
それを1頭の馬が引いていくというのだから、実にパワフルなことだ。
「お荷物をお待ち致しましょうかな」
「いえ、大丈夫ですよ。片手で持てるくらいなので」
「いやいや、お客様の荷物を運ぶのもわしの仕事ですじゃ。お任せくだされ」
そこまで言われるなら、素直に甘えさせてもらうことにしよう。
御者さんは私から荷物を受け取ると、それを箱の中へと運んでくれた。
その間に私は振り返り、生まれ育った屋敷に別れを告げようと思った。
……と、そのとき。私は屋敷の扉がわずかに開いていることに気が付いた。
閉め忘れていただろうかと、慌てて駆け寄ると、その隙間からこちらを覗く人影があった。
「……ドロシーお姉様?」
「……………………」
その人影の正体は、ドロシーだった。彼女は何故か申し訳なさそうにこちらを見ている。
しかし、姿を見られて焦ってる様子ではなかったし、逃げようとするわけでもなくただ黙りこくっていた。
一体なんの用だろうか。私は不思議に思って声をかけた。
「どうしたの、お姉様。何か言いたいことが?」
「……あー、いえ、見送りがしたいだけなのですけれど」
「はあ。しかし、何故扉の隙間から? 父が見送りをしては駄目だと?」
何故か歯切れの悪いドロシーを見て、私は首を傾げた。
私はローレンス家に邪魔者扱いされてるのだから、見送りがないことには不思議はない。
だけど、一方で父が他の者たちによる見送りまでやめさせるとも思えなかった。
なるべく穏便に出ていってもらいたいと考えているのだから、騒ぎになるようなことはしないだろう。
だからこそ、ドロシーの中途半端な態度には違和感があるのだ。
「いや……、あなたが昨晩『ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど』とか言うから、見送りをしては駄目なのかと思って……」
「……ああ、なるほど。
すみません、昨晩『ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど』とか言ってしまって」
そ、そう言えば、確かに私は昨晩『ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど』とか言ってたっけ……。
見送りに来てくれる可能性とか全然考えてなかった。ただなんとなくのノリで、昨晩『ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど』とか言ってしまった。
しかも『それが私たち姉妹の交わした最後の言葉だった……』などとモノローグまで付けてしまったけど、全然最後の言葉でもなかった……。マジごめん、お姉様……。
「いずれにしても、これが本当に最後になりますわね」
「ええ、そうね……」
昨晩『ふふっ、もう二度と会うことはないのでしょうけど』とか言ってしまったことは水に流そう。
そうして、私たち姉妹は本当の本当に最後の言葉を交わし始めた。
「それで……、これからあなたは一体どうしますの?」
「どうもこうも。昨晩追放を言い渡されたばかりでは」
「ん。でもお金の工面とか。いろいろと問題があるでしょう」
「最初の1ヶ月は父が学費を出してくれるそうだから、まあどうとでもなるわ」
ドロシーを安心させるために、なんでもないことのように言ってみたけれど、正直学費がどれだけ高いのかも知らない。
本当にすぐに仕事を見つけたとしても、どうにかなるかは不安だ。
「フローリア」
「何?」
真剣な眼差しでドロシーは意を決したように、言葉を続けた。
「もし……、もし何か困ったことがあれば、遠慮なんてすることありませんわ。
私を頼ってくれればすぐに、……むぐっ!?」
「ストップ。その先は言っては駄目よ、ドロシー。
あなたはこのローレンス家を継ぐ高貴な令嬢なんでしょう?
こんな"魔女"なんかと、これ以上関わり合ってはいけないわ」
私はドロシーの口元に右手の人差し指を押し付けて、その言葉を制止した。
彼女が私のために何かしようとしてくれる。その気持ちだけで十分だった。
私たちはもう関わらないほうがお互いのためなのだ。
「……本当に、かわいくありませんわね。
もっと素直に弱音を吐いてくれたっていいのに」
「お姉様は、意外とかわいいところがあるのね。
でも私は大丈夫よ。心配しないで。それじゃあね」
涙を拭うような仕草をするドロシーに背を向けて、私は馬車に乗り込んだ。
もう振り返らないという決心とともに。
「よろしいのですかな? もう出発しても」
いつの間にか箱の前面の席に座っていた御者さんが、正面の窓越しに私に問いかける。
「ええ。もう行ってください」
「了解ですじゃ」
御者さんが手綱を引くと、やがて馬車は動き出した。
まるで私とドロシーの運命を引き裂くように。
「達者に暮らすんですのよ! 何があっても絶対に!!」
窓の外から聞こえてくるのはそんな慟哭。私は頬を伝う雫の正体が分からなかった。