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初めての交渉(二)

 緊張感漂う室内で、ルシアナはにこやかさを崩さず続ける。


「トゥルエノ王家の家庭教師(ガヴァネス)であるゼヴィアをお呼びしたく、その許可をいただきに参りました」

「ゼヴィアを?」


 片眉を上げたアレクサンドラに、ルシアナはしっかりと頷く。


「彼女の力をお借りたいことがあるのです」

「……シルバキエ公爵家の執事か」


(まあ。ゼヴィアを呼びたいと言っただけで……エーリクの存在もだけれど、どこまでご存じなのかしら)


 アレクサンドラの呟きに肯定も否定もせず、考えていることを表情にも出さず、ただただ笑みを向け続ける。そんなルシアナを一瞥すると、アレクサンドラは口元に手を当て、「ふむ」と小さく漏らす。


「……まぁ、呼んだところで本人が来ると言わなければ意味もないし、許可ぐらいは出そう」

「ありがとうございます」


(呼ぶ許可を得るのはそれほど難しいことではないとわかっていたけれど、実際許されると安心するものね)


 心の中で、そっと安堵の息を漏らしたルシアナは、「だが」と続いた言葉に再び気持ちを引き締めた。


「ゼヴィアはただのガヴァネスではない。魔法術師が片手ほどしかしない我が国で、魔石の鑑定や魔法薬製造などの八割を彼女が担っている。彼女がお前の要請に応じた場合、その代償に見合うだけのものを、お前は差し出せるのか?」


 見定めるような視線を受けながら、ルシアナはにっこりと綺麗な笑みを返す。


「はい。――と、はっきり言えればよかったのですが」


 すぐに眉尻を下げたルシアナは、一度視線を下げ深呼吸をすると、再びアレクサンドラへと視線を戻す。


「エステル」

「はい」


 部屋の隅で待機していたエステルは、持っていた書類と冊子をルシアナへと渡し、再び後ろへと下がる。

 渡されたものを確認したルシアナは、それをアレクサンドラへと差し出した。


「シュネーヴェ王国の西部、ブルタ連合共和国と国境を接する地域にある、わたくし名義の土地の権利書と、その土地についての資料です。それから、その土地をトゥルエノ王国との国交のために開放するという誓約書と同意書もあります」


 アレクサンドラはわずかに目を見開くと、渡された資料に目を落とす。


「……確かに、この権利書は本物のようだな」


 アレクサンドラは顔を上げると、怪訝そうに眉を寄せた。


「シルバキエ公爵は貢ぎ癖でもあるのか?」

「んっ……いえ、失礼しました」


(何か言われるとは思っていたけれど、まさかそのようなことを言われるとは思わなかったわ)


 漏れそうな笑みを必死に抑え込みながら、ルシアナは肩の力を抜いたように微笑む。


「何かの役に立つだろう、と準備してくださっていたようです」

「何かの役に、なぁ……コリダリス が自生する土地は、役にしか立たないだろう」


 コリダリスは魔法薬製造に欠かせない花で、最上級の魔法石を作るときにも用いられる希少な植物だ。シュネーヴェ王国の西側に位置する、ブルタ連合共和国で栽培されており、ブルタ連合共和国以外でコリダリスの栽培が成功したことはない。しかし、気候か土壌か、シュネーヴェ王国とブルタ連合共和国の国境沿いでは、その希少な花が何故か自生していた。

 自生する理由はわかっていないが、その非常に稀有な土地をシュネーヴェ王国は建国以降とても大切にしていた。シュネーヴェ王国に魔法術師が多くいる理由はいくつかあるが、コリダリスが自生する土地がある、というのもその理由の一つだった。


「シュネーヴェにとっても大事な土地であるこの地を、何故ルシーが持っているんだ?」

「そうですね……なんと説明すればよいか」


 ルシアナは頬に手を当てながら、エーリクから話を聞いたあとのことを思い出していた。

 取り急ぎ姉に手紙を書いたルシアナは、次に、レオンハルトの許可なく自分が自由に扱える価値あるものが何かあるか、エーリクとギュンターに尋ねた。

 当然、そんなものはないだろう、という前提の質問ではあったが、二人はすぐに、いくつかの土地の権利書と、鉱山の権利書を持って来た。


 公爵家から割り当てられる個人費用の他に、私財も必要だろう、とレオンハルトが結婚前から用意していたのだ、と説明されたときは、さすがのルシアナも驚愕し、言葉が出なかった。

 想定外すぎる出来事にルシアナは戸惑ったものの、とりあえず、とそれぞれの土地や鉱山についての詳細を確認した。その内の一つが、コリダリスが自生する土地の権利書だと知ったときには思考が停止し、都合がいい夢を見ているのではないか、という気にさえなった。


(まぁ、経緯を聞いて納得はしたのだけれど……)


 エーリクたちから説明されたことをどう伝えようか、悩ましげに頭を傾けたルシアナは、少しして、ゆっくりと口を開いた。


「すでに処罰も済んでいる、過去の出来事として聞いていただきたいのですが……この国に来てすぐ、トラブル、とまではいかない……ことがありまして」

「ああ。お前がこの王城に着いたとき、愚かなことを口走った奴がいたことだな」


(やっぱりご存じだったのね)


 あまり要領を得ない、しどろもどろな言い方になってしまったが、アレクサンドラはすぐに何のことか理解したようだった。彼女は土地の詳細が書かれている冊子へ目を落とすと、「なるほどな」と呟く。


「この土地の前の所有者であり管理者だったのが、その愚かな奴ということか。お前は騒ぎにしなかったと報告を受けたが、シュネーヴェ側が()()を見せたようだな」


 アレクサンドラの言葉に、ルシアナは静かに頷く。

 当時、ルシアナは何も聞いてない、とあの場をやり過ごしたが、シュネーヴェ側は相当厳しく当人を処罰したようだった。爵位や土地、資産などをすべて没収したのち、その人物は収監。彼の血縁者も、必要最低限の荷物だけ持たせ、国外追放としたそうだ。


(血縁者の国外追放は、少々過度な対応よね。知っていれば止めたのだけれど)


 ルシアナは溜息が漏れそうになるのを堪えながら、話しを続ける。


「この土地にあるすべての権利はわたくしが保有していて、コリダリスも国外への持ち出しは厳禁ですが、国内であれば、どのように扱ってもいいことになっています」

「――なるほど。コリダリス自体の持ち出しは禁止されているが、コリダリスを使って製造したものの取り扱いについては明記されていない。この土地にゼヴィアを滞在させれば、魔石の鑑定はもとより魔法薬製造も問題なく行える。無論、無用な争いを生まないためにもシュネーヴェ側の了承は必要だが、昨日の騒動への謝罪として了承するよりほかない、ということだな」


 にこり、と笑顔を返すルシアナに、アレクサンドラは満足そうに笑み、同意書を手に取った。


「これから、トゥルエノとシュネーヴェ間では頻繁に人や物が行き来することになる。そのための中継地点としても使っていい、と言われたら、いよいよシュネーヴェ側は断れないだろう。本来、補償を受けるべきである被害者のお前が、騒動の詫びとして自らの土地を差し出したんだから」


 この短いやりとりの間に、ルシアナの意図をすべて理解したらしいアレクサンドラは、愉快そうに肩を揺らした。

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次回更新は8月20日(日)を予定しています。

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