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少しずつ変化する日常(一)

「申し訳ございません、てっきり旦那様からお聞きなのかと……」

「いえ、いいのよ。レオンハルト様はお忙しい方だもの」


 朝食後、食器が片付けられた食堂で、平身低頭するエーリクにそう笑みを返せば、隣に立つギュンターが「いえ」と語気を強めた。


「この度のことは旦那様の落ち度です。通常、どのような立場の者でも結婚直後は数日休みを貰うもの。それを式翌日の早朝、奥様に事情を説明せず旅立とうとするなど、あるまじき行いです」

「まあ……」


 あまりにもはっきり、雇い主であり主人であるはずのレオンハルトの行動を否定するギュンターに、ルシアナは目を丸くする。


(ギュンターはもともとお義父様のところで執事をしていて、レオンハルト様が幼いころからご存じなのよね。ご子息がレオンハルト様と同い年だったかしら)


 ギュンターにとってレオンハルトはまだ子どものような存在なのだろうか。

 そう思いつつ、ルシアナは緩く首を横に振った。


「けれど、狩猟大会が開かれるようになってからは、毎年事前準備に参加されていたのでしょう? レオンハルト様はいつも通り過ごされただけだわ。むしろ、昨日のことが変則的な出来事だっただけで」

「いいえ」


 ギュンターはきっぱりとルシアナの言葉を否定すると深呼吸し、真っ直ぐルシアナを見つめた。


「奥様。旦那様を慮り慎ましくいらっしゃるのは、貴婦人として素晴らしい行いだと存じます。しかし、もし少しでもご不満に感じることがあったなら、それはきちんと言葉に出しお伝えするべきです。ときには衝突することも覚悟の上で」

「衝突……」


 確かに、両親や姉夫婦は互いに言葉を重ねているように見えた。特にアレクサンドラは、普段は人前でも「愛している」と口にするくらいカルロスを大切にしていたが、時折彼に対し感情を昂らせることがあった。

 あの優しいカルロスも、普段はアレクサンドラの言動を受け入れ、彼女を否定することはなかったが、塔から出て一度だけ、アレクサンドラに対し強固な姿勢を取っているところを見かけたことがある。

 そうして互いの気持ちをさらけ出し、対話を重ね、二人は絆を深めていったのだろう。

 ギュンターが言っているのも、そういうことなのだと、ルシアナはわかっていた。


(事前に知らせてほしかった、という気持ちは確かにあるけれど、伝えられていたからと言って、寂しく感じる気持ちは一緒だわ)


 レオンハルトが少しずつ歩み寄ってくれるたびに、レオンハルトのことを考える回数は増えていった。そして、彼と過ごす時間が増えるたび、離れるときに一抹の寂しさを感じるようになった。


(事前に知らされていたら、寂しさを感じる時間が長くなっていたでしょうし……朝は確かにショックで呆然としてしまったけれど、あのときの衝撃が強くて、一人残ることは何ともないような気がしてきたわ)


 小さな寂しさを重ねていくより、最初に底まで落とされるほうが気持ち的には楽なのではないか。

 そんな考えが浮かび、結果的にこれでよかったのではないか、という気さえしてきた。

 ルシアナは心の中で頷くと、厳しい表情を浮かべるギュンターに柔和な笑みを向ける。


「ありがとう、ギュンター。けれど、大丈夫よ。本当に仕方のないことだと思っているもの」


 しかし、ギュンターの表情は晴れず、エーリクも心配そうに眉尻を下げていた。そんな二人に対し、努めて明るい声を出す。


「ギュンターの伝えたいことはきちんとわかっているわ。円満な関係にはコミュニケーションが不可欠ということよね? 大丈夫、必要なことであればきちんと伝えるわ」


 この邸に来た日、レオンハルトに伝えたことが思い出される。


『あなた様にお知らせできないものや、見せられないものはございません。もしこれから、秘密や隠し事ができたときには、わたくしから直接、そうお伝えします。そして、いずれはきちんと、それを明かしますわ』


 あのときと考えは何も変わっていない。

 当時は、この縁談を受けたことに思惑は何もないのだと、わずかばかりでも信頼を得たいという気持ちもありそう伝えたが、今は心からそうしたいと思っている。


(わがままとコミュニケーションは違うもの。昨日はずいぶんとわがままを言ってしまったけれど――)


 昨夜のことが脳裏をよぎり、ルシアナはそれを消し去るように話題を変える。


「それより、レオンハルト様もお仕事を頑張られているのだし、わたくしも妻としての責務を果たしたいわ。公爵家内のことについて、本格的に教ええてもらえないかしら」


 子を残すこと、社交界で味方を作ることの他に、邸の財務管理や人事なども夫人がやるべき重要な仕事だ。これまでは、他国の人間という立場上、当たり障りのないことしか教わらなかったが、レオンハルトの妻となった以上、彼に相応しい公爵夫人になりたかった。


(奥様、と呼ばれるのも早く慣れなければいけないし、過ぎたことを気にしている場合ではないわ)


 胸の奥の鈍い痛みに蓋をするように、ルシアナは気合いを入れる。気力に溢れた眼差しで微笑むルシアナを見て、ギュンターとエーリクは目を見合わせると、深く腰を折った。


「奥様が望まれることなら、どのようなことでも」

「ありがとう、ギュンター、エーリク」


 お礼を伝えると二人は顔を上げたが、二人は揃って眉尻を下げていた。

 どうしたの、と問おうとしたところで、ギュンターがタウンハウスにいるのは式が終わるまで、という話だったことを思い出す。


「ギュンターは近々領地へ戻るの?」

「ええ。いつまでも愚息に任せておくのは心配ですので」

「そう……寂しくなるわね」


 眉を落としながら微笑めば、ギュンターは優しげに目尻を下げた。


「いつか奥様が領地においでになることを心より楽しみにしております。愚息は私と入れ替わりで戻ってきますので、どうぞこき使ってやってください。私ほど使えるとは思えませんが」

「まあ」


 思わずくすくすと笑みを漏らすと、ギュンターはどこか安堵したように息を吐き、エーリクへ目を向けた。


「とはいえ、愚息は対外的な対応を中心に行っていますので、これまで通り最も奥様の役に立てるのはエーリクでしょう。エーリクが奥様に付く期間は定められていませんので、必要に応じて旦那様と話し合っていただければと存じます」

「わかったわ。エーリクには引き続き面倒をかけてしまうけれど……」

「面倒だなんてとんでもございません。奥様にお仕えできますこと、至上の喜びだと感じております」


 白い瞳を細めるエーリクに、ルシアナも笑みを返したものの、視線を落とす。

 エーリクと初めて会ったときから、ルシアナには一つの疑問があった。


(わたくしも公爵家の人間となったのだし……これを尋ねてもいいのかしら)


「……奥様? どうかされましたか?」


 心配そうなエーリクの声に、ルシアナは視線を戻す。優しい眼差しを向けてくれるエーリクに、眉尻を下げて微笑んだ。


「実は……ずっと、エーリクに訊きたいことがあって」


 そう切り出した瞬間、エーリクの瞳が揺れた。ルシアナが何を疑問に思っているのか、尋ねたいことは何なのか、察しがついているようだった。

 室内が、静寂に包まれる。

 ギュンターも、ルシアナの言いたいことに察しがついているのか、何も言わず静かに目を伏せている。

 少しして、深い息とともにエーリクが口を開いた。


「――私が、何故、旦那様の元で執事をしているか、ですよね」


 そう微笑むエーリクの表情は、とても穏やかだった。

ブックマーク・いいね・評価ありがとうございます!

次回更新は7月30日(日)を予定しています。少し間があいてしまいますが、引き続きお楽しみいただければと存じます!

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