長い宴の終わり、のそのころ(二)
何故アレクサンドラがこの場を設けたのか、彼女がルシアナの何を伝えたかったのか、さすがのレオンハルトでも察しがついた。
アレクサンドラが言葉を紡ぐより早く、口元から手を退かしたレオンハルトは姿勢を正して口を開く。
「彼女が感情を晒してもいいと思えるような人間になります。彼女が素直に感情を晒せるよう、俺ができることは何でもします。彼女が安心して寄りかかれるような居所になると、レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクの名において誓います。改めて、第五王女殿下を俺に託していただけたこと、深く感謝申し上げます」
胸に手を当て、深く頭を下げれば、少しして、ふっという笑い声が聞こえた。
「ふっ、ははっ、頭を上げてくれ、シルバキエ公爵。いや、まさか貴殿からそのようなことを言われるとは。っく、ふふ、この縁談、私たちが思っていた以上に良いものとなったようだな」
ゆっくりと姿勢を戻せば、アレクサンドラはおかしそうに目尻を拭い、黙って扉の脇に立っているカルロスも、満面の笑みを浮かべていた。
(……俺は今おかしなことを言ったか?)
自身の言動を振り返るレオンハルトだったが、「だが」という彼女の言葉に、意識をアレクサンドラへと戻す。
「私たちがあの子を貴殿に託したのではなく、あの子自身が貴殿の元へ行くと決めたんだ。此度の縁談に、トゥルエノの意思は何もない。断っても受け入れてもどちらもいいから、あの子に判断を委ねた。ルシアナが、貴方を選んだんだ」
ぞわりとした、何とも言えない感覚が全身を巡った。
『この婚姻は、わたくしが受けると決めて正式に決定したものです』
そう言った彼女の言葉が、脳内にこだまする。
言葉通り、彼女自身が自らの意志でこの縁談を受けてくれていたということに歓喜しているのか、もしかしたら彼女にこの縁談を断られていたかもしれないということに恐怖しているのか、自分が一体どんな感覚になっているのか、自分自身でもわからなかった。
(彼女には、ただ幸せだけを享受してほしいと思ってる。……ただ、大切にしたい)
ルシアナには確かに情が湧いている。しかし、この情がどういうものか、レオンハルト自身判断しかねていた。
唯一確かなのは、自分にとって彼女が特別な存在だということだけだ。
「貴殿が、あの子のことをきちんと意識しているようでよかった」
「……唯一の婚約者で、今は妻ですから」
ルシアナを思い出させるロイヤルパープルの瞳を見つめそう言えば、彼女は再びおかしそうに肩を揺らした。
「ふ、そうだな。そのあたりはゆっくり確認していけばいいさ。あの子も、他人の気持ちには敏感だが、自分のそれには鈍いところがあるからな」
アレクサンドラは愉快そうに口元に弧を描くと、窓の外へと目を向けた。
「まぁ、いろいろ言ったが、あの子はやりたいことややりたくないことは、わりと口に出すタイプだ。それを聞き漏らさず、きちんと聞いてあげてほしい。私の伝えたいことは以上だ。ルシアナを、どうかよろしく」
窓からレオンハルトへ視線を戻したアレクサンドラは、王女ではなく、ただ妹を想う姉の顔をして、優美に微笑んだ。
ルシアナは一足先に帰宅したと聞き、レオンハルトは一人、自分の家の馬車が戻って来るのを待った。
これからまだディナーでもおかしくない時間ではあるが、妙に夜が更けているように感じる。
「なんだ、何突っ立てんのかと思ったら、まさか馬車待ってるのか? 王城の馬車を使えばいいのに」
後ろから聞こえた声に一度視線をそちらへ向けたものの、すぐにそれを正面へと戻す。
「いい。邸に帰る前に頭の中を整理しておきたいからな」
「ふーん?」
薄暗闇の中で、隣に立ったテオバルドの髪がわずかに煌めく。
「……何か言いたいことがあって来たんじゃないのか?」
「いや、言いたいことはそりゃあ山ほどあるが、これから新妻の元へと向かう奴にぐちぐち言うのは野暮ってもんだろ。俺がぐちぐちと言わない分、お前はちゃんとルシアナ殿のことを労わって、気遣ってやれよ。社交界のシーズンが開幕してから今日まで、ずっと矢面に立たされてたのは彼女なんだから。――いや、やっぱり言っていいか? 何度も考えたんだが、やっぱり俺には事前に言うべきだったんじゃないか? 言ってくれればこちらでいろいろと――」
「言ったら言ったでお前はやりすぎるだろう。俺は、彼女が望まないことは極力やりたくない」
「……ほーう?」
顔を見なくても、テオバルドがどういった顔をしてるのかわかるほど、声自体がにやついている。
「最初は心配したものだが、本当にいい縁組だったみたいだな? レオンハルト」
肩に腕を回し脇腹を小突くテオバルドに、レオンハルトは小さな息を漏らす。
「そうだな。彼女を妻に迎えられたことは幸運だと思ってる」
(変に否定すると食い下がって来るからな。……そもそも否定するようなことでもないが)
案の定大人しくなったテオバルドに安堵したのも束の間、思い切り背中を叩かれる。
「っ!」
「っなんだよ、レオンハルト! 言えるようになったじゃないか! そうか、そうか、本当によかった! お前がそう思えているなら、俺は十分だ」
心底嬉しそうに破顔するテオバルドに、レオンハルトは背中を擦りながらわずかに口元を緩めた。
「……心配をかけて悪かった」
「いいさ。寂しくはあるし、寿命が縮んだ心地がしたが、雑草は増える前に根こそぎ抜き取るべきだからな。だが、さっきも言ったがルシアナ殿のことは気遣ってやれよ。お前は今日何もやってないんだから、好感度稼いどけよ!」
握りこぶしを作り、大きく頷くテオバルドに、レオンハルトは動きを止めると、瞬きを繰り返す。
(……今日……何も……?)
思考停止したレオンハルトに、テオバルドが呆れたような溜息をついた。
「暴言を浴びたのはルシアナ殿だし、そのとき近くにいたのはルマデル伯爵だろ? シュペール侯爵を止めたのは俺だし、令嬢を黙らせたのは第一王女だ。そんで一触即発状態だった場を収めてくれたのはルシアナ殿。な? お前は雑草の観察と間引きの準備だけして、別に何かやったわけじゃないだろ?」
(……確かに)
手で顔を覆い深い溜息を漏らすレオンハルトに、テオバルドは快活に笑い背を叩いた。
「大丈夫だ、ルシアナ殿はお前が何もしてなくても気にした様子はなかったからな! このあといくらでも挽回できるさ」
「……お前、実はすごく怒ってるだろう」
あまりにも容赦なく心を抉ってくるテオバルドにそう言えば、彼は「まぁな!」と明るく笑う。
「今日この日まで俺の愛しいヘレナがずいぶんと気を揉んでいてな。それに関してはそれなりに怒ってるぞ」
「……王太子妃殿下には後日謝罪する」
「ははっ、いい、いい。それよりルシアナ殿とお茶を飲むほうが嬉しいだろう。三週間後の狩猟大会で今年の社交界は終わるし、それが終わったら招待状を出す。それに仲睦まじく来てくれればそれでいいさ」
(仲睦まじく、な……)
今日一日の行動を自省しつつ、こんな気持ちのまま今夜をどう過ごせばいいのか、とレオンハルトは暗い空を見上げた。
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次回更新は7月9日(日)を予定しています。




