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披露宴(六)

 シュペール侯爵令嬢はもちろんのこと、ブロムベルク公爵令嬢、レーブライン伯爵令嬢、デデキント伯爵令嬢は、今にも倒れてしまいそうなほど顔の血色を失っている。シュペール侯爵をはじめとした彼女たちの親の顔も青い。

 傍に立つテオバルドも、顔色を悪くしていた。


「どうした? 先ほどまではずいぶんと高らかに声を出していたではないか。この男が一体誰の愛人なんだと訊いているんだが?」

「ぁ、ああ……おゆ、おゆるしください……おゆるしください……」

「質問の答えになっていないな。私は彼の愛人の名を答えろと言っているんだ」

「あぁ……はぁ、あ……」


 呼吸を荒くする彼女に、アレクサンドラは構わず続ける。


「どうした? まさか、名前がわからないのか? ――確かに、思い返してみれば直接名前を呼んではいなかったな。では、質問を変えよう。お前が『この女』と呼んでいたのは誰のことだ? 名を知らなくても、指をさすくらいはできるだろう?」

「ああ! お許しください! お許しください! つまらぬ嫉妬心と我欲に目が眩み、犯してはならない罪を犯しました! お許しください! お許しください!」

「また質問の答えではないな」


 必死なシュペール侯爵令嬢とは違い、アレクサンドラの言葉はどこまでも冷ややかだった。


「なに、さすがの私も他国では剣は抜かん。我らが愛しき末妹を指差したとて、その腕を切り落とすようなことはしないから安心してくれ」

「ああ……ァ――」


 短い呼吸を繰り返していたシュペール侯爵令嬢は、ばたり、とその場に倒れる。


「……ふむ、私に演劇の才能はないようだな」


 冷めた目で令嬢を見下ろしながらそう言うと、アレクサンドラは壁際で呆然と立つ給仕に目を向ける。


「そこの者、これを片付けてくれ。我が妹の祝いの席に汚物はいらんのでな」

「っおい! 誰でもいい! シュペール侯爵令嬢を運び出せ!」


 アレクサンドラの言葉にいち早く反応したのはテオバルドだった。彼は素早くそう指示すると、シュペール侯爵の前まで行く。


「シュペール侯爵も退出願おう。別室を用意させるゆえ、夫人と共にそこで待機していてくれ。くれぐれも、勝手な行動は慎むように」

「……はい」


 シュペール侯爵は大人しく頷くと、やって来た衛兵に連れられ、侯爵夫人と共に会場を後にする。

 動揺が広がるホールで、その場にそぐわない「こーら」という間延びした声が聞こえた。


「ったく、だめだろ、アレクサンドラ。ルシアナ様の前でそういった言葉遣いしたら」


 ずいぶんと気安くアレクサンドラに接するカルロスを見て、ざわめきはどんどん大きくなっていく。

 混乱した様子の人々をよそに、アレクサンドラたちは悠々と会話を続けた。


「ん、確かにそうだな。うっかりしていた」

「えーっ、姉様は間違ってないよー! あんなのただの汚物だもん!」


 ずっと話すのを我慢していたのか、第四王女のクリスティナはそう声を上げると、「もー! もー!」と悔しそうに地団駄を踏む。


「まあ、だめよ、スティナ。他国なのだからお行儀よくしなくちゃ」

「ルティナは嫌じゃないのー!? 愛人云々はあり得なさすぎておかしいくらいだったけど、“この女”呼ばわりも、可愛い可愛いルシーをあんな目で睨んだのもすっごい腹立つー!」

「腹立たしいのは私も一緒よぉ。けれど、ここはトゥルエノではないから私たちにはどうしようもないもの」


 拳を握り締め体を震わせるクリスティナを宥めるように、第三王女のロベルティナは彼女の背を撫でる。第二王女のデイフィリアも、ロベルティナに倣いクリスティナの頭を撫でた。


「……シュネーヴェ王国側の対応を信じよう」


 デイフィリアの静かな言葉に、四人の王女の視線がテオバルドへ向かう。

 ホール内は、一触即発か、という緊張感に包まれる。

 王女たちの視線を受け、テオバルドが喉を上下させたところで、パン、という軽やかな音が辺りに響いた。

 音を出した張本人であるルシアナは、姉たちに穏やかな笑みを向ける。


「わたくしのためにありがとうございます、お姉様。この件については、後日わたくしとレオンハルト様で対応いたしますわ。ですから、今このときだけはすべてを忘れ、この宴をお楽しみくださいませ」


 確認するようにレオンハルトを見上げれば、彼は小さく頷き、アレクサンドラたちに向けて頭を下げた。


「お久しぶりでございます、第一王女殿下、第二王女殿下。お初にお目にかかります、第三王女殿下、第四王女殿下。レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクと申します。この度のことはすべて私に原因があります。私が責任を持って対処させていただきますので、何卒この場は収めていただけないでしょうか」


 レオンハルトの言葉に合わせ、ルシアナも頭を下げる。

 すると少しして、「楽にしてくれ」というアレクサンドラの言葉が聞こえた。レオンハルトと共に頭を上げれば、アレクサンドラは短く息を吐き首肯した。


「ルシアナの夫となった貴殿も我々にとっては家族だ。家族が揃って頭を下げたのだから、それを受け入れよう。もちろん、後日正式に抗議はさせてもらうがな。……クリスティナも、それでいいな」


 一人拗ねたように口をへの字に曲げていたクリスティナは、不満そうに眉根を寄せたものの、大きく息を吐き出すと、諦めたように渋々頷いた。


「……しょうがないなー」

「ありがとうございます、スティナお姉様」


 クリスティナに向け柔和に微笑めば、彼女は瞳を潤ませ両手を広げる。


「我慢する! から、ルシーのこと抱き締めさせて! ずっとずっと抱き締めたかったのに、全然隣の人が離さないからー!」


 はたとルシアナは自身の肩に目を向ける。

 そういえばずっと肩を抱かれていたな、と思ったところで、レオンハルトは勢いよく手を離した。


「……すまない」

「まあ、ふふ。謝られることは何もございませんわ。けれど少し、お傍を離れますね」

「……ああ」


 レオンハルトがわずかに目尻を下げ微笑むと、近くにいた人々からどよめきが起こる。


「お二人はずいぶんと……」

「しかし、今までのパーティーでは――」

「一体どうなって……」


 そんな人々の声を聞きながら、ルシアナは軽やかな足取りで、クリスティナの腕の中に納まる。両脇にデイフィリアとロベルティナが立ったかと思うと、二人はクリスティナごとルシアナを抱き締めた。

 アレクサンドラも、隙間から腕を差し込みルシアナの頭を撫でたものの、すぐに手を引っ込めてレオンハルトへ目を遣った。


「ルシーがいろいろと準備してくれたようだから、このまま続行されるなら私たちは喜んでこの場に居続けるが、この空気の中本当に続けるのか?」


 アレクサンドラの問いに、レオンハルトはしっかりと、そして大きく首を縦に動かした。


「はい。シルバキエ公爵家としての今後の意向を示す良い場ですので」


 レオンハルトは深く息を吸い込むと、周りへ目を向け、声を張った。


「ですので、どなた様も途中退場はされないようお願いいたします。――ああ、それと」


 声のトーンを落とすと、青い顔のまま俯いているブロムベルク公爵令嬢、レーブライン伯爵令嬢、デデキント伯爵令嬢を一瞥する。


「このあとの対応がシルバキエ公爵家としての意思表示ですので、これ以前のことは泡沫の夢だとでもお思いください」


 生気のない表情で床を凝視するブロムベルク公爵令嬢を窺いながら、ルシアナは束の間の安寧に身を委ねた。

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次回更新は6月25日(日)を予定しています。

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