結婚式(二)
布が上げられた先には白いアイルランナーが敷かれており、さらにその先にはレオンハルトが姿勢よく立っていた。
身に纏っているのはラズルド騎士団の制服である黒い騎士服だが、普段着用しているものとは違う正装姿だ。
金の肩章からはフリンジのような飾りが垂れ、右肩から青緑色のサッシュをたすき掛けし、左胸にはいくつかの勲章が垂れている。
(……素敵)
凛としたその姿に、胸がわずかに疼いた。
ベール越しでも、陽に照らされ煌めくシルバーグレイの髪も、真っ直ぐこちらを見つめるシアンの瞳もはっきりと見える。
奥に控えていた楽団が演奏を始めると、隣で手を取るアレクサンドラが歩みを進めた。
彼女に手を引かれる形でアイルランナーの上に立てば、どこからともなくたくさんの光る球体が姿を現し、式場のあちこちを浮遊する。そのうちのいくつかはルシアナの周りを飛び、一歩進むごとにアイルランナーの両脇に何輪もの白いユリを咲かせた。
進むたび辺りに充満していくユリの甘い香り、列席者から漏れ聞こえる感嘆の溜息、それらを感じ取りながら、ルシアナは真っ直ぐレオンハルトを見つめる。
彼の澄んだ瞳は、変わらず淡々とルシアナを捉えていた。
半年共に暮らしたはずなのに、まるで初めて会ったかのような胸の高揚を覚える。
(何故かしら。半年共に暮らしたからこそ?)
小さく響く鼓動を感じながら、レオンハルトの前に辿り着く。
名残惜しげに握られている手をそっと離せば、アレクサンドラが優しい笑みをルシアナへと向けた。
(……ありがとうございます、お姉様)
心の中でお礼を伝え笑みを返すと、ルシアナは差し出されたレオンハルトの腕に手を添える。いつにも増して体が強張っているような気がした。
(レオンハルト様も緊張されているのかしら)
そんなことを思いながら、レオンハルトのエスコートで数段の階段をのぼる。祭壇の前に着くと、その前に用意された台の上に二本の剣が置かれた。レオンハルトの前には、彼の精霊剣であるヴァクアルドが。ルシアナの前には、自身の精霊剣・ルベルージュが。
黒い鞘にしまわれたヴァクアルドと白地に金の鞘にしまわれたルベルージュは、レオンハルトとルシアナ、そのもののようだった。
レオンハルトの腕から手を離し、鍔にある赤いマナ石に触れると、彼も同じように自身の剣に手を乗せた。
それに合わせて演奏は終わり、司祭は温かな笑みをルシアナたちへと向ける。
「この先交わされる誓いは、この世界を創りたもうた四柱の精霊王への誓いであり、それぞれに加護を与える互いの精霊への誓いであり、伴侶となる者への誓いでもあります。誓いを立てる者は宣誓を」
司祭の高らかな声に、隣に立つレオンハルトは静かに息を吸った。
「レオンハルト・パウル・ヴァステンブルクは誓いを反故にすることなく守ることをここに誓います」
それに続くように、ルシアナも言葉を続ける。
「ルシアナ・ベリト・トゥルエノは、誓いを反故にすることなく守ることを、ここに誓います」
二人の言葉を受け、司祭はしっかりと頷くと顔を上げ列席者を見る。
「トゥルエノ王国フォニス教会司祭エリアス・マルティンが、この誓いの証人となり、式の正式な開会を宣言いたします」
――ついに、だな。
(――うん。ついに、だね)
脳内に直接響く声に心の中で答えると、声の主は盛大な溜息を漏らした。
――でも、本当にいいのか? 婚約期間中ずっとこの男の邸にいたけど、ろくに距離も縮まらず、他人のままだったろう。
(――あら、今まさに夫婦になるところだわ)
それに、と昨夜のことを伝えようとしてやめる。
レオンハルトと初めて少しだけ心が近付いたと思ったあの時間は、今はまだ自分だけの大切な思い出にしておきたかった。
――……いや、そういうことじゃなくてだな……。
もう一度溜息を漏らしたベルに心の中で笑みを漏らすと、真っ直ぐ司祭を見つめるレオンハルトを盗み見る。
「レオンハルト・バウル・ヴァステンブルク。貴方はシルバキエ公爵としての義務を果たすとともに、妻となるルシアナ・ベリト・トゥルエノに対し、一人の人間として誠実に向き合い、慈しみ、支え合いながら、生涯を共にすることを誓いますか」
「誓います」
忌避感も歓喜もなく、落ち着いた声色で淡々と答えるレオンハルトに、今度は心の中ではなく笑みがこぼれた。
緊張しているかも、と思ったのはどうやら勘違いだったようだ。
――ベールがあってよかったな。
(――ふふ、結婚式は慶事よ。笑っていても不自然ではないわ)
「ルシアナ・ベリト・トゥルエノ」
優しく温かな司祭の声に、ルシアナは意識を目の前の人物へと向ける。
「貴女はシルバキエ公爵夫人としての義務を果たすとともに、夫となるレオンハルト・パウル・ヴァステンブルクに対し、一人の人間として誠実に向き合い、慈しみ、支え合いながら、生涯を共にすることを誓いますか」
ルシアナは一度深く息を吸い込むと、ゆっくりと口を開く。
「はい、誓います」
はっきりとそう告げれば、司祭は柔らかな笑みを浮かべ頷いた。
――あーあ。これでもう後戻りはできないぞ。
(――最初に宣誓した時点で、その選択肢はなくなっているわ。……大丈夫よ。すべてはここから。これからだわ)
それはこれまで何度も思ってきたことだ。
他国の王女という立場がなくなれば、もっと自由に行動できる。
(レオンハルト様もきっと――)
「それでは両者、精霊剣をお取りください」
聞こえた司祭の声に、はっとして、精霊剣を手に取る。
――ま、ルシーがいいなら私は何でもいいさ。私は私のやるべきことをやろう。
(――ありがとう。よろしくね、ベル)
ふっと遠のいた気配に、ルシアナは手元に意識を集中する。顔の前に立てるように胸元で剣を持つと、同じように剣を構えたレオンハルトとお互いに向き合う。
よく手に馴染んだ、ほのかに温かい柄を握っていると、この半年間の出来事が思い出された。
確かに、レオンハルトとそれほど親しくはなれなかった。しかしだからと言って、他人だと思っているわけでもない。
(……だって、わたくしはこの方の妻になるために来たのだもの)
秋の風に髪の先を揺らしているレオンハルトを見つめながら、ルシアナの頬はわずかに熱を持った。




