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初めての社交界(二)

「……カルラ伯母様」


 テレーゼが小さく呟くや否や、ガーネットレッドのドレスを着た女性――カルラ・ハルトマンは、目に涙を浮かべながら、小走りでテレーゼに近付き勢いよく抱き締めた。


「ああ、テレーゼ……! 本当に良かった……!」


 カルラはぱっと体を離すと、両手でテレーゼの頬を包み、愛おしそうに彼女を見下ろした。


「心配したのよ。ローマンたちが突然領地へ帰ったかと思ったら、貴女と連絡が取れなくなってしまって……」


 カルラは、ちらりとルシアナを見ると、その場で両膝をつき、ルシアナに向け頭を下げた。


「この子が一体何をしてしまったのか存じませんが、もうお許しいただけないでしょうか。まだ成人して間もない子が、誰にも頼れずタウンハウスで一人過ごすなど……考えるだけで胸が張り裂ける思いですわ。罰が必要なら伯母である私が引き受けます。ですから、どうか寛大なお心でご容赦いただけないでしょうか……!」


 涙ながらに訴えるカルラの声に、周りの人々は顔を寄せ合う。


「そういえば、リーバグナー公爵と夫人は、突然領地へと帰られたそうですね?」

「領地で問題が起きたと聞きましたが……」

「リーバグナー公爵邸の人の出入りが制限されていると……」

「もしや令嬢が何かしてしまったのか?」

「他国の王女に対して?」


 人々の声に、テレーゼの顔色はどんどん悪くなる。


(リーバグナー公爵夫妻が領地に帰られたのは領地で問題があったため。公爵邸への出入りが制限されているのはテレーゼ様しかいないため。テレーゼ様が他との交流を断っているのは、従兄の婚約者で同い年であるわたくしの相手で忙しいため。というのが建前上の理由になっているのに……レオンハルト様方の予想通り、彼女には関係ないのね)


 人々の視線が集まっていることを感じながら、ルシアナはにこやかな笑みを浮かべ、テレーゼの腕に抱きついた。


「テレーゼ様はわたくしの大切なお友だちですわ。この方は一体何をおっしゃっているのかしら。ねえ、テレーゼ様?」


 落ち着かせるように彼女の背を軽く撫でれば、彼女はほっと小さく息を吐き、口元にわずかな笑みを浮かべた。


「……はい、ルシアナ様」


 穏やかなテレーゼの声に、カルラの肩がぴくりと揺れる。わずかに頭を上げたカルラと、しっかりと目が合った。


(魔法にかかっていれば、テレーゼ様はわたくしの手を振り払って、暴れていたでしょうね)


 ルシアナはカルラを見下ろしながら、ただ小さな笑みを返した。

 慈愛に満ちていたカルラの目が吃驚したように見開かれたが、彼女はすぐに“優しい伯母”の顔に戻ると、勢いよく顔を上げた。


「わた――っ!」


 何かを言おうとしたカルラだったが、目の前にカルロスが現れたことで、ぐっと言葉を飲み込む。そんな彼女を、カルロスは冷めた目で見下ろした。


「お知り合いですか? ルシアナ様」

「いいえ。存じ上げませんわ」

「知り合いでもないのに、我が国の第五王女殿下に声を掛けたのですか? 許しもなく?」


 カルロスの言葉に、カルラははっとしたように口元を手で隠した。


(テレーゼ様がおっしゃっていた通りね)


 テレーゼとの和解後、彼女と何度か過ごしていく中で、今後のカルラの行動について、いくつかの可能性を示唆された。その中で最も可能性が高いと言われたのが、今のこの状況だ。

 カルラの手の内の者がリーバグナー公爵邸にいるのは確実だ、というのがテレーゼやレオンハルトの見解だった。ならば、と、それを利用し、テレーゼにかけた魔法が解けていないように装うことにした。ルシアナとテレーゼが、互いに嫌悪感を抱いているという偽の情報をカルラへ流そう、と。


 ルシアナの怒りを買ったため、テレーゼは召使いのような扱いを受けている。

 社交界のパーティーには、侍女としてテレーゼを連れて行く。

 監視役としてユーディットをテレーゼにつける。

 テレーゼの不満は爆発寸前である。


 これらの情報を知ったカルラは、きっと“良い伯母”を演じて、ルシアナたちの前に現れるだろう。ユーディットでは止められなかったテレーゼの暴走を、自分は治められる。自分は慈悲深く、有能な人物であるということを、大衆やルシアナに見せつけようとするだろう。

 カルラはユーディットを憎み、毛嫌いしているから。


(噂の主導権を握れている限り、噂は有用なもの。情報を制する者は、という言葉の典型的な例かしら)


 ルシアナは短く息を吸うと、テレーゼへ微笑を向けた。


「テレーゼ様、このままここにいては、他にどのような言いがかりをつけられるかわかりませんわ。一度休憩室のほうへ向かいませんか?」


 ちらり、と一度カルラへ視線を向けたテレーゼは、口元を隠すように手を当てると、身を寄せた。


「ええ……けど、このまま立ち去っては、ルシアナ様にご迷惑をおかけすることになってしまいます。一体何を聞いたのか……ルシアナ様がわたしに酷いことでもしているかのような言い方をして……」

「そんなつもりはっ――」

「夫人。我らが王女殿下に対し、それ以上不敬を重ねるおつもりですか?」


 冷たいカルロスの言葉に、カルラの顔は青ざめる。

 すかさず、ユーディットが深く腰を落とし、頭を下げた。


「発言をよろしいでしょうか。ルシアナ王女殿下」

「許可します」

「ありがとうございます。……彼女は、アシュレン伯爵夫人は、テレーゼのことを実の娘のように可愛がっていて、とても愛情深く、心配性な人物なのです。王女殿下の名声を傷付け、貶めかねない彼女の発言は到底許されるべきものではありませんが、テレーゼを愛するが故の発言であったと、どうかご容赦いただけないでしょうか」

「……頭をお上げください、ヴァルヘルター公爵夫人」


 姿勢を正したユーディットに、ルシアナは柔和な笑みを向ける。


「最初から咎めるつもりなどありませんわ。ですから、夫人が……お義母様がそのように謝罪される必要はございませんわ」

「慈悲深いルシアナ様に、心からの感謝を申し上げます」


 綺麗な一礼を見せたユーディットに、周りの人々から感嘆の息が漏れるのが聞こえる。

 ルシアナはユーディットに笑みを返すと、どこか不服そうなカルロスへ目を向けた。


「カルロス様も。ありがとうございました」

「ルシアナ様がよろしいなら、私はこれ以上口を挟みませんよ」


 肩を竦めたカルロスに、ふふっと小さく笑うと、後ろのほうで立ち尽くすヘレナと、いつの間にか彼女の傍へとやってきたテオバルドへ体を向ける。


「王家主催のパーティーでこのような騒ぎを起こしてしまい、大変申し訳ございません」

「いや、我が国の者が重ね重ね申し訳ない。――レオンハルト」


 テオバルドの後ろに控えていたレオンハルトは、テオバルドの前に回ると頭を下げる。


「はい」

「ルシアナ嬢を休憩室にお送りしろ」

「かしこまりました」


(あ……)


 テレーゼも、と声を出そうとしたところで、レオンハルトがユーディットを見た。


「テレーゼは母上にお願いしてもよろしいでしょうか」

「もちろん、そのつもりよ。私は彼女のシャペロンだもの」


 ユーディットに肩を抱かれ、テレーゼは安心したように体の力を抜く。


(お義母様と一緒のほうが安心できるのであれば、そのほうがいいわね)


 あとは、とカルロスへ視線を向けると、素早くテオバルドがカルロスに近付いた。


「いやー、伯爵には聞きたいことがたくさんあるんだ。あっちで話そう! な!」


(まあ)


 引きずられるように去っていくカルロスに、ルシアナはおかしそうに笑うと、軽く手を振る。その様子に、人々は再び囁き合い始めた。

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次回更新は4月16日(日)を予定しています。

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