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始まる準備

「ようこそいらっしゃいました、ルシアナ様」

「本日は場所をご提供いただきありがとうございます、ヘレナ様」


 出迎えてくれたヘレナに柔和な笑みを向ければ、彼女も嬉しそうに顔を綻ばせた。


(以前お会いしたときより顔色がいいわ。決まったときは戸惑ったけれど、こちらに来てよかった)


 王室専属裁縫師に結婚式のドレスを頼むため、ルシアナは王城の敷地内にある王太子妃宮を訪れていた。

 当初はシルバキエ公爵邸に裁縫師を招くつもりだったが、話を聞いたディートリヒが「王城の一室を貸してもらえばいい」と言って王城に手紙を送り、ライムンドがそれを快諾。その後、ヘレナから申し出があり、王太子妃宮の一室を貸してもらえることになった。

 ヘレナに案内された王太子妃宮は、純白の床とアイボリーの壁、随所に飾られた色とりどりの花が温かい雰囲気を醸し出している、ヘレナらしい宮だ。


「飾られているのはチューリップですか? こんなにたくさんの色があるのですね」


(本物は初めて見たわ。綺麗)


 オレンジや白、紫などの単色のものから、黄色にピンクのグラデーション、オレンジに赤い筋が入ったものなど、その種類は無限にも見える。


「はい。今がちょうど見頃なんです」


 愛おしそうにチューリップへ視線を送るヘレナに、ルシアナはくすりと小さく笑う。


「王太子殿下からの贈り物のようですね」

「……か、顔に出てましたか?」

「はい」


 真っ赤な頬を両手で押さえるヘレナににこやかな笑みを向ければ、彼女は恥ずかしそうに眉尻を下げた。

 素直に感情を表すヘレナに自然と顔が綻ぶのを感じながら、ルシアナはちらりと後ろを窺う。後ろからついて来ている王太子妃宮の侍女たちは、そんな彼女の様子を微笑ましそうに見つめていた。


(彼女たちはヘレナ様を大切にしているのね。……よかったわ)


 ふと、公爵邸から共に来た、エステルと護衛のミゲラと目が合う。彼女たちは揃って嬉しそうな微笑をルシアナに向けた。


(わたくしも、考えていることが漏れてしまったみたいね)


「と、ところで、ルシアナ様は公爵邸ではどのようにお過ごしなのですか?」

「わたくしは――」


 エステルたちに笑みを返したルシアナは前へ向き直ると、ただ楽しく、ヘレナとの話に花を咲かせた。




「お会いできて光栄に存じます。シュネーヴェ王国にて王室専属裁縫師を務めております、クラーラ・ゴルツと申します。どうぞクラーラとお呼びください」

「ルシアナ・ベリト・トゥルエノと申します。本日はよろしくお願いいたします、クラーラさん」


 クラーラは、くるくるとした栗色の毛を揺らしながら頭を上げた。


「王女殿下の婚礼衣装を手掛ける栄誉を賜れたこと、この上ない幸甚でございます。是非! なんなりと! お申し付けください!」

「ありがとうございます。お世話になりますわ」


 大きな丸眼鏡の奥で爛々と目を輝かせるクラーラに押され気味になっていると、後ろからそっと肩に手を置かれた。


「お茶をご用意していますので、続きは座ってからにしましょう。ね? ルシアナ様」


 柔らかなヘレナの声に、ほっと息を吐き出すと、ルシアナは「はい」と頷く。


「大変失礼いたしました! つい興奮してしまい……」

「構いませんわ。それだけ楽しみにしてくださっていたのでしょうか」

「それはもう! 王太子妃殿下のみならず、シルバキエ公爵夫人となられる方の衣装も担当できるなど、裁縫師としてこれ以上の誉れはございません!」


 昂ぶり心躍る様子のクラーラに、くすりと笑みを漏らしながら、ヘレナに促されるようにソファに腰を落とす。

 出されたカップを手に取ったルシアナとヘレナに対し、クラーラは手帖を取り出し万年筆を走らせる。


(クラーラさんが作業をしているときの話し相手として、ヘレナ様にはご同席いただいたけれど、クラーラさんにはもうあんなに書き記すことがあるのね)


 何を書いているのか不思議に思っていると、ヘレナに声を掛けられる。


「ルシアナ様、シルバキエ公爵はどのような服をお召しになるのですか?」

「ラズルド騎士団の正装を着られるそうですわ」

「黒ですか! いいですね! それであれば王女殿下は何色をお召しになってもよろしいかと!」


 鼻息の荒いクラーラに続いて、ヘレナも瞳を輝かせる。


「ルシアナ様なら濃いお色でも淡いお色でも、赤や緑、黄色や青、どのようなお色でもお似合いになりますわ」

「ありがとうございます、クラークさん、ヘレナ様。実は、ドレスの色はもう決めてきていて……」

「まあ。何色になさるのですか?」


 期待するような視線を受けながら、ルシアナはにっこりと笑う。


「白ですわ」

「……白ですか!?」


 一拍置いて、クラーラが驚いたように身を乗り出し、声を上げた。ヘレナも、隣で大きく目を瞬かせている。


(ふふ、そうよね。婚礼のドレスに白を選ぶ方はいないもの)


 ルシアナは小さく笑みを漏らしながら、背筋を伸ばしてクラーラを見つめる。


「はい。白です。他の色はいりません。ドレスも、ベールも、グローブも、シューズも……すべて純白でお願いいたします」


 にこりと笑うルシアナに、クラーラは呆然と口を開けていたが、次第にその口の端を上げていき、最後は大きく口を開けると勢いよく立ち上がった。


「っお任せください、王女殿下! 白! 純白! 何色にも染められない黒と、何色にも染められる白! なんと素晴らしい組み合わせでしょう! 白一色にする代わりに、レースをふんだんに使いましょう! ダイヤの小石を散りばめて華やかに! 宝石はパール、ムーンストーン……ホワイトサファイアも素敵ですね!」


 クラーラは、はっとしたように椅子の横に置いてあった鞄を手に取ると、中からドレスや小物のデザインが載った目録を取り出した。


「ドレスにも様々な型がございますが、何かご希望はございますか?」


 差し出された目録に目を通していると、とあるデザインで手が止まる。


「ああ、ロングトレーン! 王太子妃殿下もお召しになりましたよね。白のロングトレーン……きっと美しいでしょうね」


 ドレスの裾が長く後ろに広がるロングトレーン。母であるベアトリスも、このタイプのドレスを着たと聞いている。


(華やかでとても綺麗だわ。レースとの相性もよさそう。けれど……)


「おっしゃる通り、美しいドレスになると思いますわ。けれど、わたくしはあまり背が高くありませんから」


(お母様はもちろん、ヘレナ様よりも)


 眉尻を下げ、次のページへと進めようとしたところで、ヘレナがルシアナの両手を取る。驚き彼女へ顔を向ければ、ヘレナは真剣な表情でルシアナを見つめていた。


「ルシアナ様。式は一生に一度のものです。ルシアナ様がお召しになりたいものを、自由に選んでよろしいんですよ」


 それに続くように、クラーラも声を上げた。


「王太子妃殿下のおっしゃる通りです! どのようなデザインでも、必ずルシアナ様にお似合いになる最高の一着に仕立ててみせます。どうか私の腕を信じて、なんなりとご要望をお聞かせください」


 決意と熱意に満ちたクラーラの視線を受け、閉じる口にわずかに力が入る。しかし、すぐに力を緩めると、ルシアナはどこか照れたようにはにかんだ。


「……ありがとうございます。ヘレナ様、クラーラさん」

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次回更新は4月2日(日)を予定しています。

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