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レオンハルトの家族との対面、のそのあと

 両親へ向け深く頭を下げ、真摯に言葉を重ねたルシアナの姿が、鮮明に思い出される。


(彼女は良くも悪くも王族らしくない。いや、それらしく振る舞うときは確かにあるが、素は、あの穏やかでころころと表情が変わるほうだろう)


 貴族社会は、虚言と建前でできている。

 笑顔の裏に毒を隠し、優しさの裏に剣を隠す。


(一般的に見れば素直さや純粋さは尊いものだが、俺たちの世界では命取りになる。ヘレナ嬢がその餌食になったように)


 ルシアナが見た目通りの少女でないことは察している。

 彼女なら容易く手折られないだろうことは理解している。

 しかし、蓄積された毒が、重ねられた傷が、いずれ彼女を蝕むときが来るかもしれない。それらを少しでも減らそうと思うなら、彼女の純真さを少しでも覆い隠さなければいけない。


「……」


 そう思う一方で、ルシアナの天真さを欠片でも失わせたくない、という思いもあった。


(……馬鹿馬鹿しい)


 レオンハルトはグラスを掴むと、ウイスキーを喉に流し込む。


「……お前がそのように酒を飲むとはな」


 レオンハルトは一瞬動きを止めると、グラスを静かにテーブルに戻す。


「失礼しました」

「いい。人らしくなったという意味だ」

「……私は元から人間ですが」

「っふ」


 ディートリヒの隣に座るユーディットがおかしそうに笑い、ワイングラスに手を伸ばす。ディートリヒも、穏やかに口元を緩めた。

 何かおかしなことでも言っただろうか、と疑問に思いながらも、それを口に出すことはなく、ディートリヒのグラスにウイスキーを、ユーディットのグラスにワインを追加していく。

 サロンで過ごし、食堂で夕食を共にした後、また話でも、と思ったところで、久しぶりに会ったのなら親子でゆっくり話してはどうだとルシアナに提案された。ちょうど確認したいこともあったレオンハルトは、その提案を受け入れ、自身の私室に両親を招き、三人で酒を交わしていた。


「彼女のことを考えていたのかしら。話には聞いていたけれど、本当に愛らしいお嬢さんね。……それでいて、精霊剣の使い手なのでしょう?」

「はい。火の精霊の加護を受けているようです」

「トゥルエノの王族ならそうだろう。あそこは、火の精霊王に寵愛された者が治める国だからな」


 ディートリヒがグラスを傾けると、氷が小さな音を立てる。


「……この婚姻が決まったと知らせを受けたときは、ライムンドはずいぶんと愚かなことをしでかしてくれたものだと思った」

「……!」


 ディートリヒの言葉に、レオンハルトは息を吞む。

 国王の兄だとはいえ、臣籍降下して以降、ディートリヒは家臣として一線を引いた態度でライムンドに接していた。少なくとも、レオンハルトの前で、このようにライムンドに言及する姿は見たことがなかった。

 言葉が出ないレオンハルトに、ユーディットが小さな笑みを漏らす。


「王都から書状が届いたとき、今すぐにでも陛下に殴りかかりに行きそうな様相だったのよ」

「それは……誰か、私に嫁がせたい令嬢でもいたのでしょうか」


 膝の上に置いた手に力が入る。


(そのような女性がいたのなら、ずいぶんと身勝手なことをしてしまった。だが……)


 しかし、とそこで思考が留まる。

 もし、ライムンドより先にディートリヒから打診があったら。

 それでもし、この婚姻の話が立ち消えになったら。


(……彼女とは出会っていなかった)


 いつかどこかの国で。

 いつかどこかのパーティーで。

 一度くらいは挨拶を交わすこともあったかもしれない。

 お互い違うパートナーを連れて。


「……」


(……彼女のことは嫌いではない。だが、だからと言って、異性として愛しているかと問われるとそれは疑問だ。そもそもそれほど彼女のことを知っているわけではない。けれど……)


 考え込むレオンハルトの耳に、深い溜息が聞こえる。

 はっとしたように、いつの間にか俯いていた顔を上げれば、ディートリヒがやれやれと首を横に振っていた。


「お前は私たちがそう導かずとも立派に育ってくれた。賢く、度胸があり、勤勉で謙虚。一人の人間として敬重している」

「すべては父上と母上にご教示いただいた結果です」

「教えたとて、それを自らの糧にできる者はそれほど多くはない。自らを高みへ導けるのは己自身だ。ただ前だけを見つめ進んでいくお前の姿は、尊いものだと思っている」

「ふふ、その言い方。まるで親馬鹿のようね?」

「子を前にした親など皆愚かなものだろう。世の中には、子がどれほど得難い宝なのか気付かぬ愚物もいるようだがな」


 ディートリヒは酒を呷ると、真っ直ぐレオンハルトを見つめた。


「お前の人生はお前のものだ。生涯独身でいようと、結ばれることが難しい相手を連れて来ようと、お前の決めたことに口を出すつもりはなかった。当然、どこかの令嬢をお前にあてがうつもりも」


 自然と、安堵の息が漏れる。


「では、何故……」

「自分の息子は好きに結婚させたくせに、レオンハルトに政略結婚を持ち込むなど、頭に来て当然だろう」

「……はあ」


 苦々しそうに眉間の皺を深めるディートリヒに対し、レオンハルトは呆けたような返答をする。それを見ていたユーディットは、小刻みに肩を震わせた。


「二人は似たところも多いのに、何故こうも噛み合わないのかしら」

「それは私自身長年疑問に思っている」


 ディートリヒは一つ溜息をこぼすと、空になった自らのグラスにウイスキーを注いでいく。


「……だが、お前にとってこの婚姻は良いものだったのだろう。結果論にはなってしまうが……彼女も、お前を尊重してくれているようで安心した」

「……はい」


 自分でも信じられないくらい、柔らかな声が出た。

 今日、両親との会話の中で、ルシアナが自分を庇ってくれていたことには気付いていた。いや、今日だけではない。これまでのあらゆる場面で、婚約者としての役割を果たし切れていない自分を、彼女は受け入れ、許してくれている。

 彼女の静かな温かさを思い出すだけで、自然と口元に笑みが漏れる。

 彼女の優しさに甘えたままでいるつもりはない。だからと言って、今すぐにすべてを変えることはできない。


(だからせめて、俺は俺のできることで彼女の安寧を守りたい)


 レオンハルトは、ゆっくり瞬きをすると、表情を引き締め、テーブルの中心にある書類へ視線を落とす。


「……もう少し酒を飲んだほうがいいな。そう殺気を放っては、殿下に気付かれてしまうかもしれないぞ」


 そう言ってレオンハルトのグラスにウイスキーを追加するディートリヒの目も、今すぐ誰かを射殺してしまいそうな鋭さがあった。

 ユーディットはペーパーナプキンで口元を拭うと、書類をテーブルに広げる。


「では、本題に移りましょうか。カルラ・ハルトマンの動向と、彼女がテレーゼに会わせたというキャサリン・アンデという人物の消息、そしてその処遇について」


 先ほどまでの和やかな雰囲気を消し、三人は冷たい視線で報告書を見つめた。

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次回更新は3月27日(月)を予定しています。

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