リーバグナー公爵令嬢テレーゼ・ブルノルト(一)
呆気にとられ立ち尽くす彼女に、ルシアナは穏やかな笑みを向けると、向かいのソファへと腰掛ける。
「どうぞ、令嬢もおかけになって」
そう告げれば、彼女ははっとしたように肩を震わせ、眉を吊り上げてルシアナを見た。
――ずいぶんと敵対心むき出しだな。
(――そうね。可愛らしいお顔をしていらっしゃるのに、もったいないわ)
ルシアナより大きく波打つ胡桃色の毛はハーフアップのツインにされ、実年齢より少々幼い印象を受ける。リボンとフリルが多く使われたドレスを着ているのも、そう思わせる一因かもしれない。
(確か、わたくしと同い年だったはずよね)
ミントグリーンの瞳を鋭く細め自分を観察するテレーゼに、ルシアナはふっと小さな笑みを漏らした。
「な、なによ」
「ああ、いえ。ふふ、このように見つめられるのは初めてなので、なんだか新鮮で」
くすくすと笑いながらそう言えば、怪訝そうにルシアナを見つめていたテレーゼが、ふっと何か勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべた。
「トゥルエノ王国から婚約者が来たと聞いて来てみれば……なによ、わたしとそう変わらないじゃない!」
――……なんとなくそうなりそうな気配は感じていたが、改めて昨夜の言葉を撤回する。
一度そこで言葉を区切り、大きく息を吸ったベルは、小さく鼻を鳴らした。
――……いたな。馬鹿が。
脳内で深い溜息をつくベルの声を聞きながら、ルシアナは目の前で胸を張る人物に対し、ただただ笑みを湛えた。奥で青ざめるメイドや、わずかに眉根を寄せるギュンターを視界の端に留めつつ、ルシアナは一切表情を崩さず、視線も逸らさない。
周りの人々の様子が見えていないのか、はたまた気にしていないのか、彼女は構わず続けた。
「おにい様と同じ精霊剣の使い手だと言うから、どれほど立派な方が来るのかと思えば……あなた、本当に精霊剣なんて使えるの?」
「……!」
口を開きかけたギュンターを制止するように手を挙げると、その手をそのままソファへと向ける。
「立ち話もなんですから、どうぞおかけください。リーバグナー公爵令嬢」
――出さなくていいの? 昨日より派手に演出してやるぞ。
(――ええ、彼女相手には出さないわ。ありがとう、ベル)
――そうか。必要になったら、いつでも私の名を呼んでくれ。
そう言って気配を消したベルに、もう一度心の中でお礼を言うと、ルシアナは立ったままの目の前の人物へと集中する。
「座っていようが立っていようが、わたしの自由でしょ。あなたに指図される筋合いはないわ」
「あら。確かにそうですね。では、そのままで構いませんわ」
用意されたルシアナの分の紅茶を一口飲みながらそう言えば、彼女はぴくりと眉を動かした。その表情には気まずさのようなものも窺えるが、もう後には引けない、という思いのほうが強くあるように見えた。
「そ、それより! さっきの挨拶は何なの? まだ婚約段階で、しかも昨日この家に来たばかりなのに、まるでこの家の住人のような挨拶をして。許可する前に入って来るし、勝手に座るし、少し非常識じゃない?」
(ええ、その通りだわ)
心の中でテレーゼの言葉に同意しつつ、ルシアナは頬に手を当てて小首を傾げた。
「半年後には公爵夫人になりますし、公爵邸の住人というのは間違っていないのでは?」
「なっ……!」
彼女の頬が一瞬で紅潮する。手を握り締め肩を震わせている彼女を見ながら、ルシアナはもう一口紅茶を飲んだ。
(彼女はきっと、レオンハルト様のことがお好きなのね)
この結婚が決まったときから、「レオンハルトに想いを寄せる女性たちに何かされるかもしれない」と姉たちから言われていた。そして、どうせならやられる前に仕掛け、一番初めに一網打尽にしてしまおう、と彼女たちはとある計画を立てた。
他国の王女に対し、直接食って掛かるようなことはしない。きっと裏で粗探しをする。レオンハルトの婚約者を敵対視する人間が食いつくものと言えば不貞の噂だろう。なら、その噂を作り出してしまおう、と。
そこで白羽の矢が立ったのが、義兄のカルロスだった。カルロスの正体は明かさず、ルシアナと親し気に接する様子を見せ、対象が引っかかったところで関係を明らかにする。トゥルエノ王国との良好な関係を望んでいるのであれば、ルシアナとカルロスを貶めた者たちをシュネーヴェ王国側は処罰せざるを得ない。
(まぁ、少々危険な作戦ではあるけれど)
次期王配となるカルロスを貶めるようなことをシュネーヴェ王国の人間にさせるのは、今後の国交を考えると危険な行為ではある。しかし、「悪いのは貶めた人物であってシュネーヴェ王国ではない」「むしろ罰を与えたことでより良い関係が築けると確信した」というまとめ方に持っていく予定だそうだ。
(多少の想定外があっても、お義兄様ならきっとうまくまとめてくださるわ。だからわたくしも、そのように振る舞うつもりだったのだけれど……)
下唇を噛み締めている目の前の人物を窺いながら、ルシアナは内心首を捻る。
(シュネーヴェ王国の人々は意外と直球でいらっしゃるようだから、この作戦もしかしたら通用しないのではないかしら。それに、レオンハルト様のお身内まで処罰の対象になってしまうのは困るわ。まぁ、だからこその“非常識”なのだけれど)
ルシアナは小さく息を吐くと、「それに」と続ける。
「非常識という点で見れば、令嬢とあまり差がないように思いますけど」
「……どういう意味よ」
かすかに声を震わせながら、絞り出すようにそう呟いたテレーゼに、ルシアナは変わらずにこやかに話しかける。
「そのままの意味ですわ。先触れもなく来訪され、家主のいない邸に上がり、面識のないわたくしに会わせろと居座っていらっしゃったんですもの。わたくしから見れば、十分非常識な行いに見えますわ」
「っわたしは、おにい様の従妹よ!?」
「親しき仲にも礼儀あり、と申しますでしょう? それとも、シュネーヴェ王国には先触れなく訪問する習慣でもあるのかしら?」
ちらり、とギュンターへ視線を送れば、彼は首を横に振った。
「いいえ、そのような習慣はございません」
「っ!」
テレーゼは勢いよくギュンターを振り返ると、「なによ!」と叫ぶ。
「これまで、おにい様に注意されたことなんかないわ! いつだって迎え入れてくれたもの!」
「それはお前がまだ成人前の子どもだったからだ」
耳障りのいい静かな声に、始めから音など存在していなかったかのように、まるで時間が停止してしまったかのように、一瞬にして辺りが静かになる。
ルシアナはカップを置くと立ち上がり、声の主へと頭を下げた。
「おかえりなさいませ、レオンハルト様」
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