北部の日常(六)
レオンハルトは今度こそルシアナを離さないとでもいうようにしっかり抱き締めながら、尾長熊への元へと向かった。
彼は片腕にルシアナを抱えたまま、純白に煌めく尾長熊の尾を取ると、ルシアナに触らせる。
「滑らかな手触りだろう」
「はい、本当に……」
ルシアナは、本当に絹のような手触りをしている尾を何度も撫でる。尾長熊の尾は、よく手入れがされた髪の毛のように艶やかで、それでいてとても柔らかかった。
(中心の硬い部分は尾を動かすための筋肉かしら? まるで鋼鉄のようだわ)
尾の感触を確かめながら、何やら満足そうに自分を見つめているレオンハルトへと目を向ける。
「先ほどお伺いできなかったのですが、“特殊個体”とはなんでしょうか?」
「トゥルエノにはいなかったのか?」
「トゥルエノにはいない」
レオンハルトの問いにルシアナが答えるより早く、頭上から聞き慣れた声が降ってくれる。
「ベル」
突然のベルの登場に周りが一瞬ざわついた。しかい彼女は周りなどまるで気にした様子もなく、興味深そうに尾長熊に近付く。
「それで? この魔物は何が特別なんだ?」
「はい。この魔物は傷が付いてもすぐにそれを治してしまう、即時治癒の自己治癒能力を持っていました」
「ここに出る特殊個体はみんなその特徴を持っているのか?」
「そうですね……筋力が異常に発達した個体や、他より明らかに体の大きな個体などもいますが、ほとんどが高度な自己治癒能力を持っています」
「なるほどな……」
レオンハルトの返答に、ベルは何かを考えるように顎に手を添える。しばしの沈黙のすえ、彼女はヴァルの名を呼んだ。
「おれに用事!? どうしたの!?」
ベルに声を掛けられたのが嬉しいのか、ヴァルはすぐに姿を現すと、ベルの隣に浮く。その距離の近さにベルは一瞬顔を顰めたものの、それに何か言うことなく、少し距離を空ける尾長熊に視線を戻す。
「お前、山の中でずっと眠ってたんだろう? その間、何か気になることはあったか?」
「寝てる間に……?」
うーん、と首を傾げるヴァルに合わせ、ルシアナも首を傾げる。
(ベルは何か引っかかることがあるのかしら)
気になるものの、口は挟まず彼らのやりとりを見守る。
うんうん唸っていたヴァルは、少しして首を横に振った。
「特になかったと思う。何か気になることあるの? 具体的に言ってくれたら頑張って思い出すよ!」
ベルに近付き、気合いを入れるように両手を握り込むヴァルに、ルシアナは思わず笑んだ。ヴァルの質問はルシアナも気になるところだが、それよりも、キラキラと輝く瞳でベルを見るヴァルが微笑ましかった。
(ヴァルはずっとベルに好意的よね。ベルは少し……鬱陶しそうだけれど)
わざわざ空けた距離以上に近付いて来たヴァルに対し、ベルは思い切り眉を寄せると彼の頭を押す。
「私も確信が持てないから気にしなくていい。それに、何も感じなかったのならお前が山に住み着いたころには何もなかったんだろう」
ベルはそのまま軽くヴァルの頭を叩くと、じっと彼らを見つめるルシアナへと目を向ける。
「気になることがあるなら聞いていいぞ」
「おれの質問には答えてくれなかったのに……」
頭を撫でながら唇を尖らせるヴァルの額を指で弾くと、ベルはルシアナの前へとやって来る。
「先に言っておくが、何が気になっているのか、という質問には答えられない。さっき、あいつにも言ったが確信が持てない。確信が持てたら伝えるから、それまで待っていてくれ」
どこか申し訳なさそうに眉尻を下げたベルに、ルシアナは「わかったわ」と頷くと、「それじゃあ」ともう一つ気になっていたことを問いかける。
「ベルは、特殊個体と呼ばれる魔物を見たことがあるの?」
ベルは、レオンハルトの問いに対してはっきり「トゥルエノにはいない」と言っていた。それに、「特殊個体とはなんだ」とは問いかけずに、「この魔物は何が特別なのか」と問いかけていた。“特殊個体”という名称から、普通とは違う魔物であることはわかるだろうが、特殊個体というもの自体を知らなければ、彼女の性格なら特殊個体とは何かを問いかけていたはずだ。
(そもそも、姿を現してまで質問していること自体珍しいわ。普段は気になることがあってもわたくしを介することが多いし……)
そう思いつつ小首を傾げれば、ベルは「ああ」と頷いた。
「まだルシーに出会う前にな。ここではない別の大陸で見た」
「特殊個体の魔物はいろいろな場所にいるの?」
「どうだろうね……ある条件下にある土地ではそういう個体が生まれるんじゃないかと私は考えてるんだが……」
「ある条件下?」
それは何だろう、と目を瞬かせれば、ベルは「うーん」と困ったように頬をかく。
「それは、この山を調べて確信を持ててから教える。特殊個体っているのは珍しい存在で滅多にいないから、私が思っているので合ってるかわからないんだ。過去に何度か特別な魔物を見たことはあるが、それは全部同じ土地だったから」
「そうなの……ということは、なんでトゥルエノにはいないの、という質問にも答えられない?」
「そうだね、それにも答えられない。ただ、特殊個体は本当に珍しいから、この大陸ではこの場所ぐらいにしかいないんじゃないか?」
「それほど珍しいのね」
ルシアナは素直に頷くと、ベルにお礼を伝える。
「ありがとう。何かわかったら教えてね」
「ああ、もちろん」
ベルは優しくルシアナの頬を撫でると、レオンハルトへ目を向ける。
「わかったことはお前にも共有する。ルシーが住む土地だからな。それから……」
こちらを注視する周りを一瞥したベルは、レオンハルトに近付くと声を潜めた。
「ルドルティという国の建国時の記録があれば準備しておけ」
「……かしこまりました」
レオンハルトの返答に満足そうに頷くと、ベルはすぐに姿を消した。それを追うように、「待って!」とヴァルも姿を消す。
二人を見送るように、火の粉のような赤い残滓と水滴のような青い残滓が煌めく場所を見ていると、その残滓の間に光る球体がふわりと浮いた。
「あら……」
光球は次々と現れ、それは手のひらサイズの人型へと姿を変える。
(まあ。領地に来てからは初めて会うわ)
「こんばんは、妖精さん」
『こんばんは』『こんばんは、ルシアナ』
『ぼくたちがんばった』『がんばったよ』
(がんばった……?)
いったい何のことだろう、とルシアナが小首を傾げるのと、先ほどまでこちらを窺うだけだった騎士たちが「わあっ」と声を上げたのはほぼ同時だった。




