義母からのプレゼント、のそのころ
(こうして父上と二人きりになるのはずいぶんと久しぶりのことだ)
広い談話室で、グラスにウイスキーを注いでくれる父を見つめながら、そんなことをぼんやりと思う。
そもそも、用もなく父と二人きりになること自体、初めてかもしれない。これまで両親と顔を合わせるのはそうする必要があるときだけで、ただ酒を酌み交わすために顔付き合わせるのは、今まで経験がないことだった。
参戦する前はまだ酒を飲める年齢ではなかったため当然だが、帰還後もそんな時間をもったことはない。
テオバルドの側近として戦後処理のため動き回っていたことも理由も一つだが、生活拠点が離れたことが一番大きな理由だった。現在のタウンハウスができるまでの間、レオンハルトは今の首都に仮の住居を構え、両親がいるヴァルヘルター公爵領には戻らなかった。
特に戻って来いとも言われなかったため、レオンハルトは手紙のやりとりだけで帰還の報告を終わらせていた。テオバルドは「顔を見せに行ったほうがいい」と言ったが、その必要性を感じなかったのだ。
それをおかしいことだとは思わなかったし、ただ顔だけを見せに行っても仕方がないと思っていた。用がないのに会いに行っても、ただ両親の時間を無駄にするだけだと。
(だが、それは間違いだったんだろうな)
昼間の両親とルシアナのやりとりを見る限り、両親は何もなくても、訪ねて来たレオンハルトを受け入れてくれたのだろう。
むしろ、レオンハルトが顔を見せに来てくれることを期待していたのかもしれない。
我が子を心配する普通の親のように、彼らも戦争に参加していた自分を案じていたのかもしれない。
今になって、その可能性に思い至った。
「……ルシアナ殿が気がかりか?」
静かな父の声に、レオンハルトははっと意識を彼へと戻す。ディートリヒは一口酒を飲むと、深く息を吐き出した。
「最愛の妻を取られてつまらないだろうが、女性同士の交流に男が混ざるのは野暮というものだ。ユーディットは実の娘のように彼女を可愛がっているから、心配はいらん」
「……いえ、母上とルシアナのことは心配しておりません。ルシアナも母上とゆっくり話せることを楽しみにしていたようですから。ただ……」
「ただ?」
レオンハルトの言葉をしっかり聞こうとする、決して急かしているわけではない柔らかな声。今目の前にいるのが“父親”なのだと、改めて実感してしまった。
今ここで自分がおかしなことを言っても、彼はそれを頭ごなしに叱責にするのではなく、まずは理由を訊いてくれるのではないか。根拠はない発想だが、何故かそんな気がした。
(……俺はこれまでも、いろいろと取りこぼして来たんだろうな)
彼らが向けてくれていた愛情に気付けずにいた。その事実を申し訳なく思うと同時に、それでも変わらず見守り続けてくれていたことがありがたかった。
レオンハルトが何か失敗をしたとしても、彼らはすぐに見限るようなことはしないだろう。そう思っただけで、自然と肩の力が抜けた。
レオンハルトは注いでもらった酒を味わうように口に含みながら、琥珀に煌めくグラスに視線を落とす。
「……ただ、自分がとんでもない親不孝者のような気がして」
ぴくりと、視界の端でディートリヒの指先が震えた。ディートリヒは持っていたグラスを置くと、重厚感のある声で「レオンハルト」と名を呼ぶ。
視線を上げれば、力強いターコイズグリーンの瞳が、真っ直ぐ自分を捉えていた。
「お前は私たちの自慢の息子だ。お前は私たちが望んだ以上の立派な人間に育ってくれた。そんなお前が、親不孝であるはずがない。お前のような息子を持てたことは、私たちの人生にとって最大の幸福だ」
伝えられた言葉は、とても直球なものだった。けれど、レオンハルトは素直にそれを受け取ることができない。もっとこうしていれば、と悔やむ過去が、どうしてもそれを許さなかった。
答えあぐねるレオンハルトに、ディートリヒは目を伏せ、一つ息をつく。
「元はと言えば、私のせいだ。果たすべき使命ではなく、愛を……ユーディットを選んだ私の尻拭いを、お前にさせてしまった。今でもお前の育て方を間違っていたとは思わないし、ユーディットを選んだことが間違いであるはずがない。だが……周りの目など気にせず、お前を信じて、もっと好きなことを好きなようにやらせていればと……思わずにはいられない」
似たようなことは、昔から何度も言われ続けてきた。
周りの人間に唆されないよう、テオバルドに反旗を翻すことがないよう、ディートリヒは徹底して、忠実な家臣であれとレオンハルトに言い聞かせてきた。
レオンハルトも、それが間違いだったとは思わない。
父には信奉者が多く、王太子の座を退いたとき、それを惜しむ人間が非常に多かったと聞く。ディートリヒの弟で現国王のライムンドなどは、信奉者の筆頭だ。
彼は父を敬愛しているからこそ父の選択を尊重したが、代わりにレオンハルトを抱き込んだ。
ライムンドがレオンハルトを重宝するのも、テオバルドに次ぐ王位継承権を持たせたのも、すべて父を愛するが故だ。
自分の娘を嫁にやるのは嫌だったのか、コンスタンツェとの婚約話は上がったことすらないが、仮にレオンハルトが女だったら、間違いなく幼いうちにテオバルドと婚約させられていただろう。
(テオバルドの“テオ”という名は父のミドルネームから賜ったと陛下自身が発言していたし、俺とテオの名が似通っているのも偶然ではないだろう)
ライムンドは父の意思を尊重したが、今でも王座に就くべきは父であると考えているようだった。彼がそんな様子だからこそ、父は徹底して、レオンハルトに忠臣であれと言い続けてきたのだろう。
それを理解しているからこそ、今も昔も父の教えは正しかったとレオンハルトは思っている。
「私は、父上のせいだとも、尻拭いをしたとも思っていませんし、これまで不満を抱いたこともありません。進む道を決めていただいたのはありがたいとすら思っています。それに……好きなことをやれと言われても、何も浮かばなかったと思います」
これまで、好悪で何かを判断したり、考えたりしたことはない。それらを意識しだしたのは、ルシアナに出会い、彼女を愛するようになってからだ。
ルシアナのことを思い出すと、自然と口元が綻ぶ。
彼女がこの場にいたら、「これからたくさん親孝行をしましょう」と朗らかに笑ったことだろう。
(……そうだな。過去のことを悔いても仕方がない。取り戻せないものは確かにあるかもしれないが、その分これから向き合っていけばいい)
レオンハルトはグラスに残った酒を呷ると、空いたグラスに酒を追加した。
「父上。よろしければ、話をしませんか。他愛ない日々の小さなことでも、過去の思い出話でも。私はまだまだ未熟で、気付けないことや、見落としてしまうことも多くあると思いますが、それでもよければ、お付き合いいただけないでしょうか。自分を親不孝などと言わないために。父上に、ご自身のせいだと言わせないために」
真っ直ぐ父の目を見れば、彼はわずかに目を見開いた。けれどすぐに、ふ、と目尻を下げ、彼もグラスを空にする。
「そうだな。私たちも、父と息子の時間を楽しもう。……これまでそんな時間すら取らなくてすまなかった」
謝罪の言葉にレオンハルトは何も返さなかった。これは素直に受け取っておくべきだと思ったのだ。
その代わり、レオンハルトは父のグラスに酒をなみなみ注いだ。
これからまだ長い時間、父と話す気があるのだと示すように。
お喋りではない二人の会話は、とてもゆったりとしたものだった。けれど、その時間がとても心地よくて、ルシアナとユーディットが様子を見にくるまで、二人の語らいは続いた。
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次回更新は、ムーンライト版更新後となりますので、未定とさせていただきます。




