ルシアナの決意
義両親との話し合いも無事終わり、夕食まで一時的に解散することになったのだが、部屋に戻ってもレオンハルトは気難しげに押し黙ったままだった。
以前、シュネーヴェ王国の王女であり、レオンハルトの従妹でもあるコンスタンツェに会ったときも、似たような状態になっていたな、と思い出しながら、ルシアナは隣に座るレオンハルトの頬を撫でる。
「レオンハルト様。差し支えなければ、何をお考えなのか伺ってもよろしいですか?」
「ああ……いや……」
レオンハルトはルシアナの手を取ると何かを考え込むように眉間に皺を寄せた。
言葉に迷っているのか、口元はわずかに動いているものの、言葉が発せられることはない。
(やっぱり、赤い瞳の子どもが生まれたら不貞が疑われる可能性もある、と事前にお伝えするべきだったかしら)
あの話以降、ずっと何かを思い悩んでいる様子のレオンハルトに、そんなにも驚かせてしまったのか、と申し訳ない気持ちになる。
あのときは、その可能性を少しも考えていなかったらしいレオンハルトが可愛らしいと思ったが、今は少し心配になってしまった。
とりあえず、今はそっとしておくべきだろうか、とレオンハルトに寄り添いながら彼を見守っていると、レオンハルトがちらりとルシアナへ目を向けた。
どこか不安げに揺れるシアンの瞳に、ルシアナは柔らかな微笑を浮かべる。
大丈夫、と示すように、自分の手を掴むレオンハルトの手の甲に口付ければ、瞬く間に彼に抱き締められてしまった。
苦しいぐらいにぎゅうぎゅうとルシアナを抱き締めたレオンハルトは、そのままルシアナの両足を持ち上げると、ソファに横になった。
すっぽりとレオンハルトに抱え込まれながら、驚きに目を瞬かせていると、レオンハルトが深く息を吐き出した。
「すまない、気を遣わせた」
「いえ、そのようなことは……」
レオンハルトの表情を窺おうと身じろぐものの、レオンハルトの拘束が強く、それは叶わなかった。それなら大人しくしていよう、と自分からレオンハルトに密着すれば、レオンハルトはかすかに息を震わせ、ルシアナの頭に顔を押し付ける。
「……ルシアナ」
呼びかけるというよりは、その存在を確かめるように彼は小さく呟いた。それから何度かルシアナの名前を繰り返すと、彼はやっと腕の力を弱める。
今なら見られるかも、と顔を上げれば、レオンハルトは苦しげに顔を歪めていた。
「レオンハルト様……? どうかされましたか……?」
もしかして自分は何か見当違いをしていたのだろうか、と不安になり始めたところで、レオンハルトはゆっくり口を開いた。
「俺と貴女は愛し合っているだろう?」
「はい。もちろんですわ」
何を当然のことを、としっかり頷けば、レオンハルトは不愉快そうに眉根を寄せた。
「こんなに……俺はこんなにも貴女を愛していて、ルシアナだって俺のことを想ってくれているのに……それなのに、瞳の色が違うくらいで不貞を疑われる可能性があるのか?」
「一般的には……そうなのではないでしょうか? わたくしの一族は症例も多く、そういうものだという認識が定着しているので問題になったことはありませんが……隔世遺伝で、両親にはない、先祖の髪色や瞳の色を持った子が生まれた場合、妻の不貞を疑う者が多いと聞きますわ」
レオンハルトは、ぐっと無間の皺を深めると、己の気持ちを落ち着かせるように深く息を吐き出した。
レオンハルトにそういうつもりはなく、何かを疑っているわけではないということもわかっている。それでも、どこか深刻そうな彼の様子に不安が募っていき、ルシアナは弱々しくレオンハルトのジャケットを掴んだ。
「レオンハルト様……わたくしはレオンハルト様以外と触れ合うようなことは……そういった行いをすることは絶対にありませんわ」
「! 違う! 貴女のことを何か疑っていたり、そんな可能性があると考えていたわけではない! ただっ……!」
レオンハルトは一度言葉を呑み込むと、きつくルシアナを抱き締め、頭に顔を寄せた。
「ただ……絶対にあり得ないのに、もしそんなことを言う奴がいたらと思うと……もし、そんなばかげたことで貴女を貶そうとする奴がいたらと思うと……もし、本当に、そんな奴が実在したら……俺はそいつを決して許さないだろう。どんな手を使っても、この世から消し去ってしまうかもしれない」
殺気を含んだ低い声に、ぞくりと体が震える。
いるかもわからない仮想の敵に対するものにしては、彼の言葉には凄味があった。
もし目の前にそのような人物がいたら、瞬きの間に首を切り落とされているだろう。
普段はまったくそんな様子を見せないが、彼は六年という長い時間を、戦争の最前線で過ごしていたのだ。元来穏やかな気質を持った人物だと思うが、そのなかに苛烈な一面もきっとあるのだろう。
それを恐ろしいとは思わなかった。
彼の剣は外敵を討ち果たすのと同時に、大切なものを守るための剣でもあるのだ。
むしろ、彼の告白は自分への深い愛を示しているようで、嬉しいくらいだった。
(けれどいけないわ。実際にそんなことをしては罪に問われてしまうもの)
ルシアナは小さく深呼吸をすると、「レオンハルト様」と優しく語りかけた。
「もし本当にそういったことがあった場合……そういうことを言われた場合は、社会的に抹殺する方向でいきませんか?」
「社会的に……?」
少し剣が取れた声色に、ルシアナはなるべくにこやかに言葉を続ける。
「居場所をなくすというのは、貴族社会……いいえ、人間社会において、とても致命的な出来事ですわ。それも王家の血筋の不興を買ったとなれば、もう表に出てくることは叶わないでしょう。それに、そういったわかりやすい前例があって、それがずっと存在し続けるとなれば、同じような愚かな真似をする者は一気に減るはずです。この世から消してしまうというのは簡単な方法かもしれませんが……それだと人の記憶には残りづらいですし、再発防止は難しいのではないでしょうか?」
腕が緩んだのに合わせ、レオンハルトを見上げ彼の頬を撫でれば、レオンハルトは目を瞬かせながらまじまじとルシアナを見つめた。
「……ルシアナがそのようなこと言うとは思わなかった。貴女はこちらが心配するくらい優しいから」
「まあ。わたくしだって怒るときは怒りますわ。それに、トゥルエノの……生家の教育方針として、やられっぱなしは恥だというものもあります。好戦的なのはトゥルエノの特徴ですわ」
胸の前で握りこぶしを作り、ふんふん、と気合いを入れていると、ふ、とレオンハルトが笑う気配がした。
再び顔を上げれば、いつも通り、柔らかな表情のレオンハルトがそこにはいた。
「そうか、それは知らなかったな。だが、いいことを聞いた。貴女が手心を加えないというのなら、これからどんなことがあっても思い切り対処できそうだ」
心底嬉しそうに微笑むレオンハルトに、いったいどんな対処をするつもりなのだろう、と少し怖くなる。けれど、それでレオンハルトの気持ちが落ち着くのであれば、それに越したことはない、とルシアナも目尻を下げる。
「今後、もし本当にそういった対処が必要になった場合は、わたくしにも相談してくださいね」
「ああ、わかった。そうしよう」
レオンハルトは体を起こし、ルシアナに覆い被さると、頬やこめかみ、目元に口付けを繰り返した。
「貴女に人を傷付けるような話をするのはどうかと思っていたが、ただの杞憂だったようだな」
「まあ。わたくしは聖人君子ではありませんわ。わたくしにとってはレオンハルト様が一番大切で最優先ですから、もしレオンハルト様が傷付けられるようなことがあれば、その相手を徹底的に懲らしめてやりたいと思いますし、実際にそうすると思います」
「そうか。それは嬉しいし心強い。俺も貴女と同じ気持ちだ」
レオンハルトはルシアナの目尻をひと撫ですると、唇に軽く口付けた。同じ想いであったことを喜ぶように、何度も触れるだけの口付けを繰り返すレオンハルトに、ルシアナは静かに目を閉じる。
(……変な噂を流されないためにも、従兄姉のどなたかには必ず来ていただけるように手配すべきだわ。それでも不貞を疑う方はいらっしゃるでしょうけど……トゥルエノの“呪い”と絡めて噂を広げれば、それなりに効果はあると思うわ)
今話し合った“もしも”がないように。それでレオンハルトの心が乱されることがないように。できる限りのことはしておこう、とルシアナは強く決意した。
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次回更新は、二週間後の9月7日(日)を予定しています。




