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義両親の来訪(三)

 前へと視線を戻せば、義両親は二人揃って柔からかな眼差しをルシアナとレオンハルトに向けていた。


「初めてルシアナさんに会ったときも、二人はきっといい縁で結ばれたのだと思ったわ。レオンハルトの顔つきが昔とは少し違っていたから。けれど、今はあのときの比じゃない……まったくの別人だと思うくらい、息子は変わったわ」


 ユーディットはディートリヒの腕にそっと手を添えると、「ね、あなた」と声を掛ける。それに、ディートリヒは目元を和らげてしっかり頷いた。


「息子から聞いているかはわからないが、私は厳しく息子を育てた。己の義務を忘れないよう、不相応なものを望まないよう、己の役目を果たせと言い続けてきた。それを間違っていたとは思わない。ルシアナ殿もご存じの通り、レオンハルトは真っ直ぐ立派な人間に育ったからな」


 ディートリヒの言葉に、ルシアナは首肯を返す。レオンハルトも、強い眼差しでディートリヒを見つめていた。その眼差しは、彼らの子どもとして立派に成長した自身を示しているようにも見える。


「レオンハルトのことは誇らしく思っている。だが、その一方で……人間味のない男に育ってしまったとも思った」


 わずかに沈んだ義父の声に、レオンハルトへ向けていた目をディートリヒへと戻す。ディートリヒはテーブル上のカップを見つめながら、小さく息を吐き出した。


「好悪を抱かず、剣以外に強い興味を持つこともなく……幼いうちは訓練や勉学を嫌がり遊ぶことを優先してもおかしくないのに、そういったこともなかった。ただ愚直に為すべきことだけに邁進する姿は、公爵としては誇らしかったが……父親としては心配だった」


 ディートリヒの腕に添えられたユーディットの手に力が入る。当時のことを思い出しているのか、彼女の表情はどこか苦しそうだ。そんな義母を安心させるように、ディートリヒは彼女の手に自らのそれを重ねた。


「元王太子の子として、筆頭公爵家であったヴァルヘルター公爵家の跡取りとして、過ちがあってはいけないと私も妻も義務と責任をレオンハルトに押し付けてしまった」

「押し付けられてなどっ――」


 声を上げたレオンハルトを制するように、ディートリヒが首を横に振る。


「お前に剣の才能があることが誇らしかった。その剣で王太子殿下を……テオバルドを支えるのだという強い意志を持ってくれたことが誇らしかった。お前は私が望んだ通りの、いや、それ以上の人間に育ってくれた」


 温かなディートリヒの声に、胸が詰まる。レオンハルトへの深い愛情が感じられるその語り口に、何故かルシアナが泣きそうになってしまう。

 涙が滲むのを誤魔化すように瞬きを繰り返していると、繋ぐ手に若干力が込められた。

 ちらりと隣を窺えば、レオンハルトはいつも通りの凪いだ瞳で、ただ真っ直ぐ義両親を見つめていた。


(レオンハルト様……)


 今レオンハルトが何を考えているのか、ルシアナにはわからない。それでも、彼が一生懸命、義父の話に耳を傾けているように見えた。彼らが伝えたいことを取りこぼさないよう、必死に頭を働かせているのではないだろか。

 ただ愚直に両親を見つめるレオンハルトの姿は、幼い少年のようにも見えた。

 その姿に、鼻の奥がツンとして、余計に視界が滲む。


(だめよ……! いくら何でもここでわたくしが泣くのはおかしいわ……!)


 ルシアナが必死に涙が堪えていると、ディートリヒが重苦しく「だが」と呟いた。


「十六になり、騎士に叙任されたばかりのお前が戦場に立つことになったとき……私がお前にしたことが、私がお前に望んだことが、本当に正しかったのかと……もっと、お前の意思を確認すべきだったのではないかと……そう思わずにはいられなかった」


 どこか後悔の滲むその声に、何故レオンハルトと義両親が疎遠気味なのか、その理由がわかったような気がした。


(お義父様とお義母様は、レオンハルト様に自由を与えたかったのだわ。誰かが望んだ道を行くのではなく、誰かの意思に従うのではなく、レオンハルト様が望むように生きてほしいと……だから、必要最低限の交流に留めていらっしゃったのね)


 気が付けば、堪えていたはずの涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。

 ぱっと顔を伏せ、落ち着こうと深呼吸を繰り返す。すると、異変に気付いたのか、レオンハルトが慌てたようにルシアナの顔を覗き込んだ。


「ルシアナ!? どうしたっ……な、何か貴女を悲しませるようなことがあったか!?」


 レオンハルトの声に、ディートリヒとユーディットも驚いたようにルシアナを見た。

 ルシアナの濡れた頬を、レオンハルトが優しく撫でる。その温もりに、ほっと息を吐き出しながら、ルシアナは緩く首を横に振った。


「いいえ……申し訳ありません、ただ……」


 ルシアナは小さく鼻を啜りながら、ただ柔らかに微笑む。


「ただ、お義父様とお義母様が、レオンハルト様のことを深く愛していらっしゃるから……その想いに感動してしまって。このようなことをわたくしが思うのは烏滸がましく傲慢ですが……お二人がレオンハルト様のご両親でいらっしゃることが、レオンハルト様を深く愛していらっしゃることが嬉しくて……申し訳ありません、わたくしは部外者ですのに」


 レオンハルトの手をやんわりと退かし、自ら濡れ頬を拭うと、「ルシアナさん」と優しく名前を呼ばれた。視線をユーディットへと向ければ、彼女もシアンの瞳を潤ませながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。


「貴女は私たちの娘よ。部外者なんかじゃないわ。それに、ルシアナさんがそうして涙を流してくれたことが嬉しいの」


 ユーディットの言葉に同調するように、ディートリヒも頷く。


「それだけルシアナ殿がレオンハルトのことを愛してくれているということだろう。元は政略で結ばれた縁。義務感だけの冷え切った関係になってもおかしくなかった。それなのに、そうして涙を流すほど息子を愛してくれたことを、レオンハルトの親として嬉しく思わずにはいられない」

「ルシアナさんが、そうして真っ直ぐレオンハルトを愛してくれたからこそ、この子は変わったの。とってもいいほうにね」

「お義父様、お義母様……」


 二人の言葉に、さらに涙が滲む。けれど、これだけは言わなければと、レオンハルトの手をしっかり握りながら、ルシアナは真っ直ぐ二人を見た。


「そのようにおっしゃっていただけて、とても嬉しいですわ。けれど、わたくしとレオンハルト様が愛し合う関係になれたのは、最初からレオンハルト様がとてもよくしてくださったからです。最初から、歩み寄ろうとしてくださったから」


 ルシアナは、ただ一心に自分を見つめるレオンハルトを見上げる。

 初めは、義務や責任感からだったろう。けれど、だとしても、レオンハルトは最初からルシアナのことを強く気遣ってくれていた。

 少し口下手で、不器用だったとしても、いつだって真っ直ぐルシアナと向き合おうとしてくれた。

 出会った当初のレオンハルトと比べると、確かに彼は変わった。表情は格段に豊かになり、あれほど口数が少なかったのが嘘のように饒舌になった。

 けれど、根本的な部分は決して変わっていないように思う。


(レオンハルト様は、きっと元からとても愛情深い方だったわ。レオンハルト様はただご両親の期待に応えたかっただけなのではないかしら。だからこそ、与えられるものを一生懸命こなそうとした……レオンハルト様自身に、そのつもりがなかったとしても)


 結果を残すことが、レオンハルトなりの愛情表現だったのではないだろうか。

 今でこそレオンハルトは言葉を惜しまず想いを伝えてくれているが、彼はもともと行動が先に出るタイプだ。そう思うと、彼は何一つ変わっていないとも言える。


「……すべて、レオンハルト様のおかげです」

「ルシアナ……」


 レオンハルトの瞳が、かすかに揺れる。その眼差しには様々な感情が滲んでいそうだったが、彼から出てくる言葉はなかった。

 レオンハルトは開きかけた口を閉じると、居住まいを正し、義両親を見る。


「私が未熟なばかりにご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません。……父上と母上が伝えようとしてくださったことをすべて理解したのかと言われると……正直できていません。恥ずかしながら、ルシアナが泣いた理由も、私にはわかりません」


 レオンハルトの言葉に、ユーディットが少しだけ寂しそうに微笑む。

 けれど、そう言われることは想定内だったのか、彼女はただ穏やかに頷いた。ディートリヒも、レオンハルトの言葉を取りこぼさないよう、しっかり耳を傾けている。


「ですが、少しずつ理解していきたいと思います。いえ、きっといつか理解できるでしょう。……私の傍にはルシアナがいてくれますから」


 自分へと向けられた優しい微笑み。他に向けられたものよりはるかに柔らかい声。

 自分への愛と全幅の信頼を感じられるレオンハルトの眼差しに、ルシアナは花が咲くような満面の笑みを返した。

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次回更新は8月17日(日)を予定しています。

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