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未来の話(一)

「西の離宮が王太子宮だったのは知っているよな?」


 こくりと頷きを返せば、レオンハルトは小さく笑んで視線を前に向けた。それに合わせ、ルシアナも前を向く。

 書き終えた手紙をギュンターへと託し、ルシアナとレオンハルトは西の離宮の下見に来ていた。

 余計な装飾がない、質実剛健という雰囲気の本城とは違い、西の離宮は華やかな雰囲気がある。


「父は母と結婚するまでこの離宮で過ごしていた。だが、父の跡を継ぎ新たに王太子となった陛下はこの離宮には住まず、今はない王子・王女宮に住まわれていたんだ」

「まあ……それは何故でしょうか?」


 主のいない住まいだと思えないほど隅々まで綺麗に整えられた離宮を見回しながら尋ねれば、レオンハルトが少し困ったように息を吐いた。


「陛下は……父のことを敬愛していてな」

「それは……素敵なことなのでは?」


 思わずレオンハルトを振り返れば、彼は眉尻を下げ「そうだな」と呟いた。


「俺も父のことは尊敬しているし、素晴らしい人だと思っている。父を敬愛する陛下の気持ちがわからないわけではないが……陛下は少々そのお気持ちが強くてな」

「お気持ちが強い?」


 それは悪いことなのだろうか、と首を傾げれば、レオンハルトは苦笑を漏らした。


「神聖視しすぎていると言えばいいのか……陛下は父が長く過ごした宮を自分が使って汚すことはできないと考えていたようでな」

「まあ……」

「この城を譲り受ける際も、他にいくつかあった離宮を取り壊すことは許されたが、この王太子宮だけはそのまま保存するようにと厳命を受けたんだ。調度品も何もかも、父が使っていたときのままにするように、と」

「それは……」


(レオンハルト様があのような反応をされたのも納得だわ)


 ルシアナは思わず、レオンハルトの腕にぴったりとくっついた。うっかり何かにぶつかったり、汚したりしては大変だと思ったのだ。

 きゅうっと腕に抱き着くルシアナに、レオンハルトは繋いだ手に力を込める。反対の手でルシアナの頭を撫でながら、「だから」と続けた。


「本城と離宮、何故二ヵ所を準備するのか、という貴女の問いに答えるなら、ここは父上のために残された場所だから、というのが理由だな。父上がどちらで過ごされてもいいように」

「そうなのですね。お答えいただきありがとうございます、レオンハルト様」


 レオンハルトは小さく笑むと、「いいんだ」とルシアナの額に口付ける。


「いつかヴァルヘルター公爵家の本邸にも行こう。俺が生まれ育った場所を貴女に見せたい」

「! それは是非拝見したいですわ。絶対連れて行ってくださいませね」

「ああ。約束だ」


 レオンハルトはルシアナの頬をひと撫ですると、唇に軽く吸い付いく。そのまま何度か触れるだけの口付けを繰り返すと、レオンハルトは突然ルシアナを抱き上げた。


「やはりこのほうが落ち着くな。戻るまでこのままでいいか?」

「まあ。もちろん構いませんんわ」


 ルシアナはすっかり慣れた様子でレオンハルトの首に腕を回しながら、再び周りへと目を向ける。

 色鮮やかな絵画が飾られた廊下。

 白い壁を煌々と照らすシャンデリア。

 深い海のようなターコイズグリーンのカーペット。

 厳格な雰囲気の義父は、確かにこの場所がよく似合うかも知れない、と思った。


(いつかわたくしたちに子どもできたら、ここでは遊ばないよう注意をしなければいけないわね)


 いつか訪れるであろう未来に思いを馳せながら、ルシアナはずっと抱えていた疑問を、ふと思い出す。


(……お義父様とお義母様がいらっしゃるのだから、このタイミングで尋ねるべきかしら)


「ルシアナ? どうかしたか?」


 考え込むルシアナに、レオンハルトが不思議そうに声を掛ける。

 シアンの瞳を見下ろしながら逡巡したルシアナは、一拍置いて、小さく拳を握った。


「レオンハルト様にお伺いしたいことがありまして……本城の本館に帰ってからでいいので、お時間をいただけませんか?」

「ああ、もちろん構わない。あと、奥の部屋だけ確認したら戻ろう」


 レオンハルトの言葉に頷きながら、ルシアナは静かに深呼吸をした。






 本城の本館にある私室へと戻り、侍女のエステルが淹れてくれた紅茶を一口飲むと、ルシアナはほっと息を吐き出す。もう一口飲んでカップをソーサーへと戻すと、ルシアナは隣に座るレオンハルトを見上げた。


「今までお伺いするタイミングがなかったのですが……」

「ああ。なんだ?」

「その……わたくしが尋ねていいことなのかわかりませんが、ヴァルヘルター公爵家の後継者について、レオンハルト様やお義父様、お義母様はどのように考えていらっしゃるのでしょうか?」

「ああ……」


 レオンハルトは何かを納得したようにそう小さく呟くと、口元をわずかに緩めた。


「貴女もヴァステンブルク家の一員なのだからその疑問を抱くのは当然だ。だが、貴女に言われる前に俺から話すべきだったな。……実際に子を産むのは貴女だから、負担になってはいけないとなかなか話が切り出せなかった。すまない」

「まあ、そのようなこと……」


 謝る必要はないと両手を振れば、レオンハルトはその手を優しく取った。

 そのままルシアナの手を揉み、無言で何かを考え込んでいたレオンハルトは、少ししてルシアナの名を呼んだ。


「ルシアナ。その話をする前に……俺も貴女に尋ねたいことがある」


 緊張しているのか、レオンハルトの声は硬かった。ルシアナを見つめる眼差しも、いつもの慈愛に満ちたものに比べると、ひどく冷静だ。


(いったい何かしら……)


 先ほどまでと違い、空気はどこか張り詰め、ルシアナも小さく喉を鳴らす。緊張に、じわりと汗が滲むのを感じながら、しっかりと頷けば、レオンハルトは静かに息を吸った。


「貴女の……トゥルエノ王家の血筋について、教えてほしい。その……生まれる子どもが本当に……」


 そこまで言って、レオンハルトは口を閉じる。どこか気まずそうな、申し訳なさそうな様子のレオンハルトに、ルシアナは強張っていた肩の力を抜いた。


(なんだ……そのことだったのね)


 レオンハルトに話さなければと思っていたのに、すっかり後回しにしていたな、と思いながら、ルシアナは柔らかな微笑を浮かべる。


「そうですね。まずそちらの話をすべきでした。レオンハルト様にお話ししなければと思っていたのに……子どもはしばらく先だと思って、すっかり後回ししてしまいましたわ。申し訳ございません」

「いや、謝らないでくれ。むしろこんなことを訊かなければならないのが申し訳ない。トゥルエノ王国は女性も爵位を継げるというのに……」

「国の在り方は様々ですからそのように思われる必要はありませんわ。それに……」


 ルシアナはレオンハルトの頬を撫で、覗き込むように彼の双眸を見上げると、ふふ、と目を細めて笑った。


「わたくしが産む子が女児とは限りませんから、そのように心を痛める必要はありませんわ」

「……え?」


 一拍置いて驚いたように目を見開くレオンハルトに微笑を向けながら、ルシアナはトゥルエノ王家の“祝福”について話し始めた。

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次回更新は7月20日(日)を予定しています。

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