初めての準備(一)
シュネーヴェ王国で迎える初の新年は、新たな年を大々的に祝うこともなく、平凡に過ぎていった。というのも、シュネーヴェ王国の前身とも言える旧ルドルティ王国には、新年を祝うという習慣がなかったのだ。
ルドルティ王国のあった場所は不毛の土地で、冬はほぼ毎日雪が降り続けるという土地柄もあって、食糧難による餓死者が少なくなかった。たまの晴れ間以外は屋外に出ることが難しい旧ルドルティ地域では、冬は備蓄食料を消費するしかなく、あまり贅沢ができないのだ。
現在は食糧問題も解決し、十分なほどの備蓄を用意できているが、それでも新年は特別なことをせず過ごすのが一般的だそうだ。その代わり、春と夏の訪れは大々的に祝うそうで、旧ルドルティ王国の流れを汲むシュネーヴェ王国でも、春の祭りは盛大に開かれる、と家令のギュンターが教えてくれた。
ギュンターから冬の過ごし方について教わるなかで、ルシアナには一つ心配なことがあった。
それは、レオンハルトの誕生日を盛大に祝えるかどうか、ということだ。
レオンハルトの誕生日は一の月の十八日で、あと二週間ほどでその日がやって来る。
これまではレオンハルトがずっと傍にいて確認することができなかったため、ルシアナはレオンハルトが報告書を確認している隙に、こっそりと家政婦長であるバルバラの元を訪れた。
家政婦長室で向かい合いながら、ルシアナは率直に自らの思いを告げる。
「――というわけで、レオンハルト様のお誕生日をお祝いしたいのだけれど、昔はどのようにお祝いしていたのか教えてくれないかしら」
バルバラはレオンハルトの乳母だった人だ。過去のことを尋ねるのに、これほど最適な人はいないだろう。
そう思いながら言葉を待っていると、バルバラは微笑ましそうに目尻を下げた。
「もちろん、私でお力になれることなら喜んでご協力いたします。……懐かしゅうございますね。大旦那様も大奥様も、わかりやすく愛情表現をされる方ではありませんでしたが、お坊ちゃま……いえ、旦那様のお誕生日は毎年盛大にお祝いしていらっしゃいました。野菜や肉、魚などの料理はもちろん、果物やデザートなども様々な種類をご用意して……旦那様は好き嫌いのない方ですから、毎年料理の種類だけ増えていって。ルドルティ以外の国からも食材を買い付けていたくらいです」
昔を懐かしむように、バルバラは楽しそうな笑みを漏らす。
にこやかな彼女の姿に、ルシアナの心も温かくなる。
(レオンハルト様はきっと、お小さいころからとても可愛らしくて素敵で、多くの人に愛されていたのでしょうね)
このまま幼少期の話もたくさん聞きたい、という欲に駆られるものの、ルシアナはそれをぐっと我慢した。ルシアナを探しに、いつレオンハルトがやってくるかわからないため、必要なことは早く聞かなければならない。
(お誕生日の準備をしていることを知られても問題はないのだけれど……レオンハルト様はいつもたくさんの驚きとともに喜びをプレゼントしてくださるから、わたくしも驚かせてみたいもの)
改めて気合いを入れ直したルシアナは、「なら」と言葉を続ける。
「豪勢な料理でお祝いするのは問題ないのね?」
「もちろんにございます。今年の冬期休暇はお二人がいらっしゃるとお聞きして、いつもの倍近く食材を買い込んでおりますので何の問題もございません」
(えっ、倍近くも?)
それでは逆に食材を使いきれないのではないかと思ったが、シュネーヴェ王国には食料を保存するための特殊な魔法道具があったことを思い出し、ほっと息をつく。
ルシアナの生まれたトゥルエノ王国にも魔法道具は出回っているが、ルシアナは触れる機会が少なかったため、魔法道具についてはあまり詳しくなかった。
まだまだ学ぶことは多いな、と思いつつ、ルシアナは顔を輝かせた。
「それなら、是非盛大にお祝いしたいわ。みんなにも同じお料理を食べてほしいから、ホールでパーティーを開くのはどうかしら。華美な飾りつけはせずに、立食形式にして、全員で一斉に参加は難しいでしょうから、みんなは交代制で……」
つらつらと希望を述べていたルシアナだが、バルバラが少々困ったような表情を浮かべているのを見て、はっと我に返る。
「ごめんなさい、無理を言うつもりはないの。準備するのはみんなだもの。でも、せめてお料理だけでも特別なものにしてくれないかしら。なんなら、わたくしがお手伝いしても――」
「奥様にそのようなことはさせられません!」
驚いたように声を上げたバルバラは、慌てて「申し訳ありません」と頭を下げると、言葉を続けた。
「パーティーも、その準備も、もちろん喜んでいただきます。ただ、旦那様のご様子を見る限り、旦那様は奥様と二人きりでゆっくりお誕生日を過ごされるのを好まれるのではないかと思いまして……」
バルバラの言葉に、ルシアナは、はっと目を見開いた。
(確かにそうだわ。自分で言うものではないけれど、レオンハルト様の一番好きなものはわたくしでしょうし、レオンハルト様は二人きりの時間をとても大切にされるもの)
大好きなレオンハルトが大勢の人に祝われている姿を見たい、という一心でパーティーを計画していたが、それがレオンハルトの望みとかけ離れていたら意味がない。
(バルバラの言うことはもっともだわ。けれど……でも……)
「その……来てくださるかはわからないけれど、レオンハルト様のお誕生日にお義父様とお義母様をご招待するつもりだったの」
「大旦那様と大奥様をですか?」
「ええ。レオンハルト様が公爵位を賜ってから、あまりお会いになられていないと聞いて……もう少し交流する機会を増やせないかしらって思っていたの。余計なことかもしれないけれど」
「まあ、そのようなこと! ご招待いただけましたら、大旦那様も大奥様も大層お喜びになりますよ」
「そうかしら?」
力強く「もちろんです」と頷いてくれたバルバラに、ルシアナは安堵の息を漏らす。
けれど、ディートリヒとユーディットを呼ぶにしても、レオンハルトがパーティーを喜んでくれなければ意味がない。
(レオンハルト様に内緒で準備して驚かせたかったけれど……やっぱりレオンハルト様自身の希望を聞くほうがいいかしら)
それでもパーティーは開きたい、と思っていると扉がノックされ、「入るぞ」という言葉とともに素早く開かれる。
「バルバラ、ここにルシアナが……」
扉を開けたレオンハルトは、椅子に座っているルシアナに気付くと、ふわりと目元を和らげた。
「ルシアナ」
先ほどとはまるで違う、とびきり甘く優しい声に呼ばれ、ルシアナは考えるより早くレオンハルトの元へ駆け寄っていた。
「お仕事はもうよろしいのですか?」
「ああ。今年は例年に比べ雪害が少なくてやることがあまりないんだ。貴女の用事は……まだ済んでなかったか?」
どこか申し訳なさそうな問いかけに、ルシアナはバルバラを振り返る。大きく頷いた彼女に、ルシアナも小さく頷き返すと、レオンハルトを見上げた。
「いえ、大丈夫ですわ。ちょうどレオンハルト様にお尋ねしたいことがあったので」
「そうか。では、部屋に戻ってからゆっくり聞こう。――邪魔したな、バルバラ」
「とんでもないことでございます」
深く腰を折ったバルバラに、ルシアナも「ありがとう」と告げると部屋を後にする。
レオンハルトに肩を抱かれながら、ルシアナは密かに意欲を燃やした。
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次回更新は6月15日(日)を予定しています。