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それから、のそのあと(一)

 辺りを覆い尽くす雪が、朝日を受け薄っすらと橙色に輝くのを視界の端に捉えながら、レオンハルトは楽しそうに雪原を進むルシアナを見つめ続ける。

 肌を刺す冷たさは気を引き締め、意識もしっかりしているというのに、心だけはどこかぼんやりとしていた。

 理由は考えなくてもわかる。


(ルシアナ……)


 部屋を出る直前のルシアナの姿が忘れられないのだ。

 溢れんばかりの愛を湛え、満面の笑みを向けてくれたルシアナ。差し込む朝日に照らされた彼女は、言葉では言い表せないほど美しかった。あれほど美しものなど見たことがない。

 だというのに、彼女の美しさは何物とも比べられないにも関わらず、その光景に何故か既視感があったのだ。レオンハルトの心があの瞬間、あのルシアナに囚われているのは、彼女の美しさもさることながら、その謎の既視感が心を燻らせているからだった。


(……、……だめだ、こんな上の空では……せっかくルシアナが俺の好きなものを見たいと言ってくれたのに……)


 今日、日も昇りきらない早朝から外に出たのは、冬の明け方の景色が好きだったとルシアナに伝えたのが発端だった。

 レオンハルトが自ら“好きだ”と公言できる数少ないものの一つが、“冬の晴れ間の夜明け”だった。

 旧ルドルティ地域では、冬は基本的に太陽を拝むことができず、ほぼ毎日雪が降り続けるというのが常だ。それでも、年に数回は、雪が止み、空に晴れ間が広がることがあった。

 レオンハルトは、その晴れる日の夜明けの景色が好きだった。


 闇を切り裂くように姿を現す太陽。

 燦然と輝く白銀の大地。

 太陽の輝きを受け、花が咲き誇ったように橙色に輝く木々。

 美しく雄大なその景色は、多くのことに無関心であったレオンハルトの心を強く打った。

 自分も何かを好きだと思えるのだと、何かを美しいと思える心があるのだと、若干の感動を覚えたことを今でも覚えている。


(……懐かしいな)


 戦争が始まり故郷を離れるまで、レオンハルトは毎年、晴れ間が訪れるたびに必ずその景色を目に焼き付けた。

 今でも簡単に、あの景色を思い出すことができる。


(俺が思い浮かべるのは、生まれ育ったヴァルヘルター公爵領の夜明けだが……)

 レオンハルトは白い息を吐き出すと、辺りを見渡す。

 シルバキエ公爵領の夜明けの景色も、変わらず美しかった。

 シルバキエ公爵領の夜明けは、ヴァルヘルター公爵領に比べると朝焼けが眩しい。太陽の薄い赤色が夜の深い青色と混ざり、空は淡い紫色に染まっていた。

 力強い自然の息吹を感じるヴァルヘルター公爵領の夜明けに比べると、シルバキエ公爵領の夜明けは静謐で神秘的な雰囲気がある。

 これもこれで好ましいものだ、と思っていると、視界の端で何かが動く。


「レオンハルト様ー!」


 鋭い冷気に乗って、溌溂とした愛らしい声がレオンハルトの耳に届いた。

 周りへと向けていた視線をルシアナに戻せば、彼女は大きく腕を振ってレオンハルトを見ていた。


「――」


 その光景に、レオンハルトは思わず息を吞んだ。

 靄がかかったようだった心が一気に晴れ、過去の出来事が走馬灯のように脳内に流れる。

 幼いころ見た故郷の景色。

 初めてルシアナと会ったときの場面。

 彼女を愛していると気付いたときのこと。

 それらが脳内で高速で流れるなか、意識だけはしっかりとルシアナを捉えていた。

 白く輝く太陽を背に、雪原と同じように薄橙色に染まる彼女の純白の衣装。

 緩やかな風に揺られ、降り注ぐ朝日のようにきらきらとした煌めきを放つホワイトブロンドの髪。

 逆光になっているというのに、星が瞬くように輝いている、朝と夜の境のようなロイヤルパープルの瞳。

 まるでこの景色の一部だというような彼女の姿に、小さく喉が鳴った。


(……そうか、俺は――)


 気が付けば、小さな笑みが漏れていた。

 既視感の正体に気付くと同時に、自分はここまで鈍い人間だったかと呆れた心地になる。


(本当に愚かだな、俺は)


 レオンハルトは深く息を吐き出すと、歩みを進めルシアナに近付く。


(何故今まで気付かなかったんだろうな。……あの景色の美しさを忘れたことは、一度もないはずなのに)


 自然と歩く速度は速くなり、その勢いのまま、レオンハルトはルシアナを抱き上げた。そしてそのまま体を反転させ、しっかりとルシアナを抱き締めたまま後ろに倒れる。


「まあ……! 大丈夫ですか、レオンハルト様……!?」


 あまりにも勢いがよかったため、レオンハルトが足を滑らせたと思ったのだろう。驚いたように目を瞬かせながら、ルシアナは心配そうに顔を上げた。

 ルシアナが自分を案じていることはわかったが、レオンハルトはその問いかけに答えることはできなかった。

 真正面から太陽の光を浴びているルシアナが、確かにあの景色を彷彿とさせたからだ。

 レオンハルトが初めて美しいと思った、記憶の中のあの景色。

 決して手にすることができないあの雄大な輝きが、今、自分の腕の中にあった。


(俺が貴女に惹かれたのは当然のことだった。俺が美しいと思う……俺が好ましいと思うすべての要素を貴女は持っていたんだから)


 これから先、ルシアナを愛する心が失われることは一生ないだろう。

 もとより失われると思ったことなどないが、今この瞬間、それが確信へと変わった。

 自分のすべての愛情と関心の基準がルシアナになったのだ。それらのすべての基準がルシアナであると、自覚してしまったのだ。


(ただでさえ俺は貴女に強い独占欲を持っていたというのに……そこに執着心まで加わってしまった。もう本当に……何があっても絶対に手放せない。貴女は俺のためだけの存在なのだと、そう思わずにはいられない)


 今もう一度あの景色を見ても、以前ほど心打たれることはないだろう。

 今後は、()()()()()()()()()()()、あの景色を美しく好ましいものだと思うに違いない。


「あの……レオンハルト様……?」


 レオンハルトが黙ったままなことに不安を抱いたのか、ルシアナがおずおずと名前を呼んだ。

 目の前の男がひどい執着心を芽生えさせたことなどまったく気付かない様子で、ルシアナはただその瞳にレオンハルトだけを映している。

 レオンハルトは、それに確かな優越感を覚えながら、ルシアナの頭を引き寄せ、唇を重ねる。

 ルシアナはわずかに瞳を揺らしたものの、特に抗うことはせずレオンハルトに身を委ねた。


(ルシアナ。俺の、俺だけのルシアナ。俺も、これからもずっと、今よりももっと、貴女のことを愛すだろう。――どうか恐れることなく、俺の愛を受け取ってくれ)


 レオンハルトは己の深すぎる愛を刻み込むように、ルシアナの舌を貪った。

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