それから
丁寧すぎるくらい丁寧に髪を編み込んでいくレオンハルトを、ルシアナは鏡越しに窺う。
ルシアナの髪を梳く手つきは優しく、シアンの瞳は嬉しそうに細められていた。
レオンハルトは白いレースのリボンを取り、慎重に結わくと、ふ、と息をつく。ドレッサーの横にある三面鏡を手に取って広げ、鏡越しにルシアナを見つめた。
「どうだ? それなりに上手くできたと思うんだが」
編み込みのハーフアップにされた髪は、今日初めて髪結いを行ったとは思えないほど、とても綺麗に整えられていた。
「とてもお上手ですわ。レオンハルト様は手先が器用でいらっしゃいますね」
「満足してもらえたならよかった。自分では意識したことがないが、その通りなのだろう」
三面鏡を元の場所に戻したレオンハルトは、ルシアナの肩に手を置くと、こめかみに軽く口付けた。
「では約束通り今日は外に行こう。あまり遠くまで連れて行くことはできないが……」
「構いませんわ。この土地の冬というものを肌で感じたいだけですし、吹雪いたら大変ですもの」
どこか申し訳なさそうなレオンハルトに柔らかな笑みを返せば、彼は目尻を下げて微笑み、ルシアナを椅子ごと自分のほうを向かせた。その場に跪き、室内履きを脱がせると、内側がもこもことした厚手のブーツを履かせる。
ルシアナはレオンハルトを制止することなく、されるがままレオンハルトを見つめた。
レオンハルトがしたいと言ったので身を任せているが、やはり申し訳ない気分になる。
(けれどレオンハルト様は一から十までされたいみたいだから……)
先ほど髪結いをしていたとき同様、レオンハルトは嬉しそうだ。あまりレオンハルトにいろいろとしてもらうのは申し訳ないと思うのだが、レオンハルトが望んでいるのなら遠慮しないほうがいい、とルシアナはある程度のことは受け入れることにした。
そもそも休暇が終わればこうして過ごせる時間はほとんどなくなるのだ。新婚でもあるし、周りから呆れられるような行動も今なら多少許されるのではないかという気がしていた。
レオンハルトに手を引かれ立ち上がれば、彼は軽い口付けを贈ってくれる。レオンハルトは一日に数えきれないほどのキスをしてくれるのだが、口へのキスはまだあまり慣れず、されるたびに頬が淡く染まった。
そんなルシアナを愛おしそうに見つめながら、レオンハルトは近くに用意されていた真っ白な毛皮のコートを手に取る。それをルシアナに着せると、コートと同じ真っ白な毛皮で作られた頭より大きな帽子を被せる。
「せっかくレオンハルト様が結ってくださったのに、残念ですわ」
「またやらせてくれ。タウンハウスに帰ってからもたまにさせてほしい」
「まあ。楽しみにしておりますわ」
ルシアナが明るく笑えば、レオンハルトも笑みを深める。
ルシアナの幸せが自分の幸せなのだと、目線や仕草、彼のすべてからその想いが滲み出していた。
あの日。
ルシアナからレオンハルトを誘い、これまで以上に激しく執拗に求め合った日。
あの日から、ルシアナとレオンハルトの仲はさらに深まり、これまで以上の愛情と絆をお互いに感じていた。
これまでも、政略結婚だとは思えないほど二人は深く愛し合っていたが、やはりどこか遠慮があった。初めての恋に浮かれてはいけないと、ルシアナは特に甘えすぎないようにということを気を付けていた。
けれど、お互い何も繕わず、文字通りすべてを曝け出した結果、欲望や願望は遠慮せず口に出したほうがいい、という結論に至った。
レオンハルトは特に、ルシアナに甘えられたり、お願いされたりするのが好きなようだった。あの日以降、意識的に彼に甘えているのだが、その結果今まで以上にレオンハルトの表情が柔らかくなったのだ。
出会った当初、ほとんど表情の変わらなかった彼のことを思うと驚くべき変化だ。
(あと三ヵ月もすれば、レオンハルト様と出会って一年になるのね)
シュネーヴェ王国に来るとき着ていた防寒具を身に着けているせいか、当時のことが鮮明に思い出された。
あのときは外の世界をほとんど知らず、会ったことのある人物も限られていたため、何も気にすることなくレオンハルトと向き合えた。
今だったらどうだろうか。
肌を刺すような冷気が場を支配するなか、黒い馬に跨るレオンハルトを想像する。
黒いマントに黒いコートを身に着け、凛と佇むレオンハルトの姿というのは、切り絵として残しておきたいほど荘厳な光景ではないだろうか。
当時の少々警戒を滲ませながら自分を窺うレオンハルトのことを思い出すと、自然と顔が熱くなる。
今のルシアナなら、間違いなく一目惚れをしていただろう。
「ルシアナ?」
レオンハルトの呼びかけに、ルシアナは、はっと顔を上げる。
気が付けば防寒用のグローブが着けられ、ケープも肩にかけられていた。
「どうした? 少し顔が赤い気がするが」
レオンハルトもすっかり防寒着を着こんでおり、あの日見たような真っ黒な装束を身に纏っていた。
けれど、その眼差しはあのときとは比べものにならないほど深い愛情が見て取れる。
あのときは、お互いに「閣下」「王女殿下」と他人行儀に呼び合っていた。
馬車を降りる際のエスコートですらぎこちなく、口数もとても少なかった。
今にして思えば、とても貴重な時間、関係性だったように思う。
もう二度とあのような振る舞いをすることはないし、今では触れていないほうが珍しいくらいだ。会話がない時間というのもあるが、あのときとは沈黙の意味が違う。
会話がなくても、ただ一緒にいるだけで愛は深く、増すばかりなのだ。
(……今の状況を当時のわたくしに伝えても、おそらく信じられない……いいえ、愛する人と愛し合える喜びというものがあまり理解できなくて、そうなのね、と流したことでしょうね)
「熱は……特にないようだな」
ルシアナを気遣うように、わざわざ手袋を外して素手で触れてくれるレオンハルトに、愛しさと喜びが込み上げてくる。
レオンハルトを愛せたことも、愛されたことも、どちらもこのうえなく嬉しい。
未来は何もわからないが、この深い愛情は、お互い永遠に失われることはないだろうという確信があった。
「――レオンハルト様」
ルシアナは、自らの愛を伝えるように彼の名前を呼ぶ。
レオンハルトはただ優しく目尻を下げ、「なんだ?」とルシアナの頬を撫でた。
その柔らかな手つきに、ほう、と息を漏らしながら、ルシアナはたっぷりの愛情が籠った眼差しでレオンハルトを見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「愛しております、レオンハルト様。これからもずっと、今よりももっと、わたくしはレオンハルト様を愛しますわ」
初めて会ったときと何も変わらないはずの白い装束が、昇り始めた朝日に照らされ、輝かしいくらいに煌めく。それはまるで、特別な愛を知ったルシアナの心情を表すかのように、とても眩いものだった。




