快復
「もう普段通り生活されて問題ございませんよ」
熱がぶり返してから五日。すっかり熱も下がり、食事も十分取ることができるようになっていた。
ここ数日は念のため、と部屋に籠っていたが、それももう終わりでいいのか、とルシアナは表情を緩める。
「ありがとう、タビタ。領地に着いてからずっと気を張ってくれていたでしょう? もう大丈夫だから、今度はあなたがゆっくり休んでね」
「ありがとうございます、奥様」
タビタは柔らかな微笑を浮かべ頷くと、一礼して部屋を去った。
「では私も失礼させていただきます。何かございましたら、いつでもお声掛けください」
「ええ。エステルもありがとう」
手を振ってエステルを見送ったルシアナは、隣に座るレオンハルトを見上げた。
「レオ――ん」
すかさず重なった唇に、ルシアナはわずかに目を見開く。
レオンハルトは啄むように何度か唇を重ねると、ルシアナの頬に口付けた。
「貴女が元気になってよかった」
「ご心配をおかけしました、レオンハルト様」
ルシアナを抱き上げ膝に乗せたレオンハルトは、顔中に口付けを贈ると、指先でルシアナの頬を撫でた。
「ずっと部屋の外に出たがっていただろう。城を見て回るか?」
「まあ。よろしいのですか?」
ここ数日、ルシアナをベッドから下ろすことさえ嫌がっていたレオンハルトが、まさかそんな提案をしてくれるとは思わず、ルシアナは目を丸くする。
(タビタから許可が出ても、今日一日くらいは部屋にいるように、とおっしゃられるかと思っていたのに)
そんなルシアナの考えが伝わったのか、レオンハルトはわずかに眉尻を下げた。
「貴女が望んで、貴女に害がないなら、俺がそれを止めることはない。……どうする?」
窺うように顔を覗き込むレオンハルトに、ルシアナはぱっと顔を輝かせる。
「是非、回りたいですわ! では、誰かに案内を――」
「必要ない」
わずかに浮かせたルシアナの腰を押さえたレオンハルトは、ルシアナを抱えたまま立ち上がった。
「案内は俺がする。二人で回ろう」
淡く笑んだレオンハルトが、ルシアナの頬に口付ける。
レオンハルトからの口付けを受けながら、ルシアナは、ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。
(……やっぱり、気のせいではないわよね?)
レオンハルトに心の一番弱い部分をさらけ出してから、彼は以前にも増して二人でいたがるようになっていた。
以前は、周りに誰がいても特に気にすることなく、こうしてルシアナを手放さないだけだったが、あの日以降は、極力二人でいられるよう周りに人を置かないようにしているようだった。
(気遣って……くださっているのよね)
過去、多くの者に気遣われた結果、委縮してしまったルシアナのことを考え、極力人を置かないようにしてくれているのだろう。
ルシアナが、なるべく周りのことを気にせずに過ごせるように、気を遣ってくれているのだろう。
その心遣いが嬉しい反面、レオンハルトの負担になっていないか心配になってしまう。
(レオンハルト様は、きっと負担などとは思っていないのでしょうけど)
ここ数日、領主としての仕事を片付ける傍ら、嬉々としてルシアナの世話を焼いていたレオンハルトの姿を思い出す。何度か、「身の回りのことはエステルたちに頼む」と伝えたが、レオンハルトからやんわりと断られ、とことん甘やかされる日々を過ごした。
これまでもだいぶ甘やかされてきた自覚があったが、その比ではなかった。経験したことがないほどの甘やかしに、戸惑ったのは言うまでもない。
正直、今でも戸惑っている。
(嬉しい、嬉しくないで言えば嬉しいけれど……! けれど、レオンハルト様はそのようなこと思われていないとわかっていても、やっぱり負担なのでは、と不安になってしまうわ……!)
「どうかしたか? ルシアナ」
「……!」
ずっと黙ったままのルシアナに、レオンハルトが気遣うように声を掛ける。それに我に返ったルシアナは、慌てて首を横に振った。
「いいえ、なんでも――あ、いえ、そうですね……その、よければ、下ろしていただけませんか?」
わずかに足を揺らしながら尋ねれば、レオンハルトはわずかに眉根を寄せた。
「このままではだめか?」
「だめというか……できれば、レオンハルト様と並んで……一緒に歩きながら、お城を見て回りたくて」
レオンハルトがこのまま移動したいと言うのであればやぶさかではないが、できれば自分の足で確認しながらこの公爵城を見て回りたかった。
これからはこの城が、ルシアナの帰るべき場所になるからだ。
(しばらくは、レオンハルト様と一緒に一年のほとんどをカントリーハウスで過ごすことになるでしょうけど……ある程度落ち着いたら、社交界のシーズン以外はここで暮らすのがいいわよね。それこそ、子どもが産まれたら――)
「……。……わかった」
ルシアナが遠い未来へと思考を飛ばしていると、レオンハルトが不承不承といった様子で頷いた。
ルシアナはすぐに思考を停止すると、名残惜しそうに自分を床に下ろしてくれたレオンハルトに笑みを向け、その手を握る。
「ありがとうございます、レオンハルト様。代わりと言ってはなんですが、こうして手を握っていても構いませんか? 以前読んだ恋物語で、恋人たちがこのようにしている描写があって、一度してみたかったのです」
(あまり公爵夫人らしい振る舞いではないかもしれないけれど……)
そう思いつつも、憧れもあって握る手に力を入れる。入れてから、下ろしてほしいという要望を聞き入れてもらったうえにこのようなお願いをするのは、少々厚かましかっただろうか、と不安になった。
「あの、やっぱり……」
視線を下げ、手を放そうと力を抜いたルシアナの手を、レオンハルトがしっかりと掴む。反射的に顔を上げれば、レオンハルトは空いている手でルシアナの腰を抱き寄せ、肩に額を擦り付けた。
「一度と言わず、何度でもしていい。何でも言ってくれ。……いや、やはりしばらくは愛らしいことは言わないでくれ。貴女を離したくなくなってしまう……いや、待て。貴女は何をして、何を言っても愛らしいから……」
「……? ……レオンハルト様?」
黙り込んでしまったレオンハルトに、そっと声を掛ければ、彼はゆっくり体を離し、ルシアナの顔を覗き込んだ。
「貴女を抱き上げて移動するのは我慢する。だから代わりに、貴女が愛らしいことをして、言うたびに、こうして抱き締めて、口付けさせてくれ」
レオンハルトの言う愛らしいこととは何だろうか、抱き締めることも口付けも、いつもしていないだろうか、と思いつつ、ルシアナは首肯する。
「それはもちろ――っん」
もちろん、いくらでも。と言いたかった言葉は、レオンハルトの口付けによって喉の奥へと消えていった。
それから、口を開くたび、少し動くたびにレオンハルトに捕らえられ、深い口付けをされ、やっと部屋を出られたのは、しばらく経ってからのことだった。
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次回更新は12月22日(日)を予定しています。




