レオンハルトの精霊(七)
レオンハルトの精霊は一度目を伏せると、すぐにこれまで通りの、どこか人らしい遠慮がちな笑みをルシアナたちに向けた。
「ベルも言った通り、おれはあんまり精霊らしくない……と思う。精霊界にいたのはずいぶん前だし、他の精霊との交流もあんまりなかったから。それに、人間界に来ても、他の種族とは交流せずにすぐマナ石の中に入ったから……おれが人間界で知ってることは、レオンハルトと出会う少し前から今までのことくらいで……何も知らないって言ってもいいくらい」
精霊は肩を竦めると「だからね」と続ける。
「これからはもっといろんなことを知っていきたい。周りと関わるのを避けて、怖がるんじゃなくて……。きっと、レオンハルトやルシアナに迷惑をかけちゃうと思うけど、どうか呆れずに、仲良くしてくれると嬉しいな」
はにかむ精霊に、ルシアナは躊躇いもせず頷いた。
「もちろんですわ、精霊様。むしろ、そのようなことはわたくしのほうからお願いすべきでしたのに……」
「ううん! お願いしたいのはおれなんだから、おれがよろしくって言うのでいいんだよ! ルシアナはずっと精霊が傍にいる生活をしてたから、俺に対しても精霊に対する態度を取っちゃうのかもしれないけど、おれはもっと親しく接してほしいっていうか……ベルにするみたいに接してほしいっていうか……」
精霊はもじもじと指先を合わせると、窺うようにルシアナを見上げた。
「名前を貰ったら、ベルを呼ぶみたいに呼んでほしいし、ベルに話すみたいに話してほしい……だめかな?」
上目遣いにじっと見つめられ、ルシアナは目を瞬かせる。
世界の絶対的上位者である精霊には、礼儀を尽くし常に敬意を表さなければならない。
それが精霊と向き合う基本で、例外は契約した精霊ぐらいなものだ。もちろんそれも契約した精霊が許せばの話で、許しがなければ礼節をわきまえた態度を取らなければいけない。
(世界は広いと言うけれど、このような方もいらっしゃるのね)
どこか感心したような心地になりながら、ルシアナは小首を傾げる。
「むしろよろしいのですか? わたくしはレオンハルト様の伴侶という、それだけの存在ですが……」
「レオンハルトの番だからだよ! それにルシアナはベルの愛し子でしょ? 精霊に加護を貰える人間が、それだけってことはないよ! それに何より、おれはそのほうが嬉しいから……」
期待の入り混じった表情で淡く笑む精霊に、もしかしたら彼は“家族”を求めているのかもしれない、と考える。
(精霊様が子どもの姿を取っているからかしら……)
顔色を窺い懇願する姿が、本当に幼い子どものように思えてしまった。
彼が、自分たちよりも遥かに長い時を生きてきていることは理解している。しかし、その心はどこか不安定で、幼いように思え、ルシアナは自然と温かな笑みを返していた。
「わかりましたわ。レオンハルト様の精霊に認めていただけるなど、これほど嬉しいことはございません。是非、わたくしからもお願いいたします、精霊様」
「! うん……! えへへ、ありがとう、ルシアナ」
精霊は晴れやかな笑みを浮かべると、指先で軽く頬をかいた。
「こうして外に出れて、レオンハルトたちと話しができるようになって本当に嬉しい。まぁ、外に出れなかったのも、話しができなかったのも、おれが怖がってマナ石の中に閉じ籠りすぎたせいなんだけど」
あはは、と苦笑を漏らした精霊は、何かを思い出したように「あ!」と声を上げた。
「そういえば、今ってマナ石って言わないんだっけ……? 魔石? っていうのが合ってるんだよね?」
少し前まで幼い子どものような思えていた精霊の、どこか年寄りめいた発言に、ルシアナはふふっと笑みを漏らす。
「そうですね。“マナ石”という言葉は現在、マナを含んだ鉱物の総称として使われています。精霊の宿る“魔精石”、精霊の生み出す“精霊石”、魔法が付与された“魔法石”、そして、そのどれでもない、マナを含んでいるだけのただの鉱石を“魔石”と、そう呼ぶのが一般的です」
「“魔石”って名前は、どこから来たの?」
「魔法を付与できるマナ石、ということで付けられたそうです。ただ、現在でも魔石をマナ石と呼ぶ方もいらっしゃいますし、マナ石と言えば基本的には魔石を指す、というのが一般的な認識なので、魔石をマナ石と呼ぶことは間違いではありませんわ」
「んん……なんていうか、人間界ってちょっと複雑だよね。決まりが多いし、なんか細かくいろいろ分かれてるし……まぁ、いろんな種族が住んでるからかもしれないけど……」
ルシアナの言葉に、精霊は難しそうに眉を寄せたが、すぐに「でも!」と声を上げた。
「これからは、人間界に住む一員としてちゃんと生きていきたいから、そういうのもちゃんと知って、覚えていきたい! だから、もしおれが間違ったことを言ってたら、遠慮しないでどんどん指摘してね!」
「はい。かしこまりまし――っこほ」
言葉の途中で小さく噎せ、ルシアナは口元に手を当てる。
そういえば喉が渇いたな、とぼんやり考えていると、それまで大人しくルシアナを抱き締めていたレオンハルトが、ルシアナを抱えたまま立ち上がった。
「悪いが、ルシアナも病み上がりだ。今日はこのくらいにしてもらってもいいか」
「あ、うん! むしろ、ごめんね! おれと会って、話しをしてくれてありがとう、ルシアナ。レオンハルトも。二人ともゆっくり休んで! またね!」
にこやかに手を振って姿を消した精霊を見送ると、レオンハルトはすぐにルシアナをベッドへと運んだ。
ベッドサイドにあった水差しの中身をグラスに移し、それを差し出してくれたレオンハルトにお礼を言いながら、ルシアナはグラスを受け取る。
「ありがとうございます、レオンハルト様」
「いい。むしろ止めるのが遅くなってしまない」
水を飲み、緩く首を横に振れば、レオンハルトはかすかに笑んで、ルシアナの頭に口付けた。
「灯りを消してくる。少し待っていてくれ」
サイドテーブルにある間接照明のゼンマイを回し、灯りを点けたレオンハルトは、それ以外の室内の照明を消して回り、再びベッドへと戻って来た。
ベッドには上がらず、縁に腰掛け、レオンハルトはルシアナを見つめた。
「……どうかなさいましたか?」
何も言わずにただ見つめてくるレオンハルトに、ルシアナはグラスをサイドテーブルに置くと、レオンハルトに近付く。
腕に触れ、そっと頬に手を伸ばせば、そのままきつく抱き締められた。
「レオンハルト様……?」
「……ルシアナ」
囁くように名前を呼ばれ、小さく胸が鳴った。
(何故かしら……先ほどまでだって抱き締められていたし、膝に乗ってもいたのに……)
先ほどまでとは比べ物にならないほど体温が上がり、心臓が高鳴っている。
レオンハルトと二人きりになれたことが、抱き締められたことが、名前を呼ばれたことが、心底嬉しいと。体中が歓喜に打ち震えているようだった。
(……好き。大好き。レオンハルト様……)
ルシアナの熱が移ったのか、体温の上がった彼の肌から、ふわりと香りが立った。彼自身から香るその匂いを取り込みながら、ルシアナは静かに目を閉じた。
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次回更新は9月15日(日)を予定しています。




