精霊と契約者(二)
「今日はよく日が照っているな」
「そうですね。お天気が良くてよかったですわ」
コンスタンツェと別れレオンハルトと合流したルシアナは、レオンハルト共に邸の裏にある訓練場へとやって来た。普段であればラズルド騎士団の団員が鍛錬しているはずだが、今日は誰もおらず、がらんとした茶色い景色が広がっている。
(こちらまで来るのは初めてだわ。あの建物が騎士の宿舎なのかしら)
訓練場のさらに奥にある簡素な三階建ての建物を視界の端に捉えつつ、ルシアナは訓練場の隅にポツンとあるテーブルセットへと向かう。
金属でできた白い円形のガーデンテーブルは、天板がレースで編まれた蔦のような模様になっており、テーブルを挟んで向かい合うように置いてある椅子の背もたれも同じデザインになっている。
(……緑も花もない訓練場にガーデンテーブルというのは何と言うか……なかなか不自然なものね……。お話しできる場所があれば、とは確かに言ったけれど……もっと簡素なものでいいと伝えておくべきだったわ)
ルシアナが想定していた「話ができる場所」は、装飾も色付けもされていない、角材を組み合わせただけのような椅子が並べてある程度のものだった。
トゥルエノ王国で塔にいる間使用していた練武場にはそういった椅子が用意されていたため、敷地内の訓練場にもあるだろう、と「椅子が欲しい」と伝えた。しかし、よくよく考えてみれば、公爵夫人であり王女であった自分が椅子が欲しいと言えば、それなりのものが用意されるのは簡単に想像できたことだ。
(わたくしの言葉が足りなかったわね)
レオンハルトが引いてくれた椅子に腰掛けながら、小さく息を吐けば、レオンハルトがわずかに眉を下げ顔を覗き込んだ。
「やはり、茶か何か用意させようか?」
「あ、いいえ。大丈夫ですわ。ありがとうございます、レオンハルト様」
「いや。必要なものがあればいつでも言ってくれ」
頭に軽く口付けたレオンハルトは、向かい側の席に座ると腰に差していたヴァクアルドを鞘ごと取り、テーブルの上に置いた。
「では、レオンハルト様がここ数日されていたように、ヴァクアルドに宿る精霊に語りかけてみてくださいますか?」
「ああ」
レオンハルトは一つ深呼吸をすると、柄に輝く青い宝石の上に手を重ね、コンスタンツェたちが来たこと、新しい部屋が楽しみだということなどを話しかける。
(……本当に、精霊からの応答がないのね)
訥々と、一方的に声を掛けるレオンハルトを一瞥してから、ルシアナはヴァクアルドをじっと見つめる。
(レオンハルト様のお言葉を疑っていたわけではないけれど、何故精霊はレオンハルト様の呼びかけに応えないのかしら)
精霊との対話に、精霊が覚醒しているかどうかは関係がない。覚醒前でも意思疎通は可能で、姿を見ることもできる。覚醒前の精霊は、手のひらより少し大きい人型で、妖精のような翅はなく、ただ小型化した人のような姿をしていた。
精霊は覚醒することで本来の能力を扱えるようになるほか、本来の姿に戻り、容姿を自在に変えることができるようになる。
(ベルも本来は大人の女性型だけれど、昔わたくしが子ども姿を喜んだから、その姿でいてくれているのよね)
ベルと会った日のことは、今でも覚えている。
トゥルエノ王国の王族は、聖火を通して精霊と契約することがほとんどだが、ベルはそうではなかった。ベルは、人間界を彷徨っていた精霊の一体だったのだ。
聖火に引き寄せられるように妖精や火の精霊がやって来ることは多々あったが、そうやって寄って来た精霊は、だいたいの場合すぐに姿を消した。
精霊たちは、他の精霊の領分を無闇に踏み荒らすようなことはしない。そのため、野良で人間界を漂っているような精霊は、聖火とトゥルエノ一族を確認すると、己の身を弁えるように塔周辺から離れることがほとんどだった。
そんななか、珍しくも塔に留まったのがベルだった。
正確には、ルシアナがベルを気に入ったため、留まらざるを得なかったのだ。
当時のベルはまだ覚醒前で、小さな姿だった。しかし、当時まだ幼かったルシアナにとっては十分な大きさで、火の粉を散らすように飛んでいるベルが美しく、愛らしく、ルシアナは片時も傍を離れようとしなかった。それまで見て来たどんなものよりも、ベルが一番輝いて、鮮やかに見えたのだ。
後を追い回すルシアナを、ベルは当初面倒そうにあしらっていた。しかし、幼い体で何度も嘔吐し、高熱に寝込みながらも、トゥルエノ王家の一員としてその責務を果たそうとする姿にだんだんと心を開き、ついには加護を与えた。
(それから、ベルは覚醒しようと必死だったわ)
ベルが覚醒を果たしたのは、出会ってから五年ほど経ってからだった。
姉たちの精霊は、もともと覚醒していたり、そうでなくても、契約から一年以内には覚醒していた。そのせいか、ベルはなかなか覚醒できないことに焦りを感じていたようだった。
(わたくしも、お姉様たちのように動けなくて気が急いていたから、ベルの気持ちがよくわかったわ。だから、お互いを励まし合いながら、毎日を過ごした。……ベルはきっと、わたくしがいなくてもいつかは覚醒できたでしょうけど、わたくしはベルがいなければ、あの日々を乗り越えられなかったわ)
ベルは、精霊の覚醒は自己愛だと言っていた。
自分の受け入れ、愛することが、覚醒には必要だと。
しかし、それは自分自身にも当てはまると、ルシアナは思っていた。
自分はこれでいい。自分は自分なりの剣の道を進めればいい。母や姉、他の騎士と少し違う剣を振るうことになっても、それは自分にとって紛れもなく剣なのだから、それでいい。
そうやって、理想を追い求めつつ、少しずつ自分を受け入れることによって、ルシアナは自身を“精霊剣の使い手”だと言えるようになった。
そう思えるようになったのは、常に傍で自分を支え、励ましてくれたベルがいたからだ。
ベルは優しく、ルシアナに甘いが、ルシアナがやりたいと言って実行したことに関しては、どんなに苦しんでも「やめろ」とは言わなかった。その苦しみもルシアナが選んだ結果なのだから、やめたいと思うまでやればいい、と見守ってくれた。
(わたくしがここまで来られたのは、ベルのおかげ。精霊と契約者は、そうやって唯一無二の絆で結ばれる。だから、レオンハルト様と、レオンハルト様の精霊も――)
「ルシアナ……」
おずおずと呼ばれた名前に、ルシアナは、はっと意識をレオンハルトに戻す。
「すまない、もう話すことが……」
どこか申し訳なさそうなレオンハルトに、ルシアナは微笑を浮かべると緩く首を振る。
(レオンハルト様はお喋りなほうではないものね)
「何か変化や違和感はありますか?」
「いや……何も変わりはない」
この二日ほど、ルシアナはレオンハルトと距離を置き、レオンハルトには精霊と向き合ってもらっていた。その間も、何も変化はなかったと報告を受けている。
(これまで意思疎通が図れたことはないとおっしゃっていたし、わたくしが傍にいることはやっぱり関係ないのね)
ルシアナは少しの間思案すると、この対峙を申し出た日に考えていたことを口にする。
「レオンハルト様。ヴァクアルドに触れても、よろしいでしょうか?」
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次回更新は5月26日(日)を予定しています。




