いざ、シュネーヴェ王国へ
馬車の速度が落ちたのを感じ、ルシアナはわずかにカーテンを開け外を確認する。目前には、アリアン共和国に入るときに見たものとよく似た関所がそびえ立っていた。
ルシアナはすぐにカーテンを閉めると、椅子に座り直す。
(……やっぱり、まだ慣れないわ)
帽子を押さえるように触りながら背もたれに寄りかかると、全身を見るように両腕と両足を前方に伸ばした。
手にはレースやサテンではない防寒用の厚手のグローブがつけられ、ブーツも中がもこもことした暖かいものを履いている。
全身は真っ白な毛皮で作られたコートで覆われ、その上には白いケープを羽織り、頭にも同じく真っ白な毛皮で作られた顔より大きな帽子を被っていた。
これほどきちんとした防寒着を着るのは初めての経験で、ルシアナは少々落ち着かない様子で身じろぐ。
トゥルエノ王国の国境からシュネーヴェ王国の国境までは、ワープを使わなくても馬車で二日ほど走れば着く距離で、それほど遠いわけではない。それにもかかわらず、ずいぶん気温が違うようだった。
(向こうはトゥルエノに近いから、その影響であまり寒くならないのね)
アリアン共和国に入った直後は薄手のコートだけで事足りたが、シュネーヴェ王国へ近付くたびに用意される防寒着は多く、豪華になっていった。
(馬車の中は暖かいけれど、外はきっと寒いでしょうね)
先ほど窓に近付いたときに感じた冷気を思い出し、ルシアナはもう一度カーテンへ手を伸ばす。しかし、止まっていた馬車が動き出したのを受け、反射的に手を引っ込めた。
ガタガタと進んでいく音を聞きながら、胸の前で手を握ると大きく息を吸う。
(ついに、シュネーヴェへ入るのね)
ルシアナはゆっくり呼吸を繰り返すと、前の座席を見る。
そこには、これまで同乗していたベルの姿がない。
(――ベル、ベル)
――なんだ?
(――本当に外に出ていなくていいの?)
――ああ。迎えに来る使者ってやつがどんなやつかわからないからな。相手の邸に着くまで引っ込んでるよ。
(――そう、わかっ……わかったわ、ベル。またあとで)
関所を越えたはずの馬車が再び止まった、と思ったのとほぼ同時に外が騒がしくなり、「ルシアナ様」という呼びかけとともに窓がノックされる。ただならない様子に、早々に話を切り上げると、ルシアナはカーテンを捲った。
「どうか――」
窓を下げ、外にいたミゲラに何があったのか尋ねようとしたルシアナだったが、その疑問を口にするより早く、視界の端にはためく旗が見えた。
青い布地に日暈のような銀の輪、その上に描かれた黒い狼と二本の銀の剣。
「……!」
(シルバキエ公爵の紋章!)
ルシアナはミゲラの言葉を待つことなく、馬車の扉を開け外に出る。
「ルシアナ様……!」
「ルシアナ様……っ」
「王女殿下……」
周りのざわめきを聞きながら、ルシアナは真っ直ぐ前を見据える。吐いた白い息の向こう側には、黒い服を身に纏った集団が馬に乗って待機していた。
その集団は、先ほど見た紋章の他にもう一つ、銀の輪と黒い狼の間に盾が描かれた旗を掲げている。
(盾があるものはシルバキエ公爵が率いるラズルド騎士団のものだわ。まさか、公爵自らが騎士団を率いて迎えにくるなんて……)
よくよく見れば、ルシアナの前を走っていた馬車の扉も開け放たれている。
(前の馬車にはお義兄様が乗られていたわ)
「ルシアナ様」
馬から降りたミゲラが遠慮がちに声を掛ける。
振り返れば、ルシアナの後ろを走っていた大型馬車からメイドや侍女も降りて来ていた。
「ミゲラ、エステルたちに馬車の中で待機するよう伝えて」
「しかし、ルシアナ様は――」
言いかけて、ミゲラは口を閉じる。近付く蹄の音に、ルシアナが再び前を向けば、前方からロイダが近付いてきた。
「王女殿下」
さっと馬から降りたロイダは、深く腰を曲げた。
「お義兄様のもとへ向かいます。同行していただけますか?」
「かしこまりました」
ロイダの返答を聞き、ルシアナはミゲラへ視線を向ける。彼女は笑みを浮かべて大きく頷くと、後ろの馬車へと向かった。
「参りましょうか、ロイダ卿」
「はっ」
ロイダを連れ、ルシアナはカルロスのいる場所まで赴く。カルロスがいたのは、カルロスが乗っていた馬車とラズルド騎士団のちょうど中間地点だった。
そこにはカルロスともう一人、人がいた。ルシアナとは対極の、黒いコート、黒いマントを身に纏った人物だ。
彼は、カルロスへ向けていた涼しげなシアンの瞳をルシアナに向ける。
「! ルシアナ様」
その視線を追ったカルロスがルシアナに気付き頭を下げる。ルシアナはカルロスに笑みを返しながらその隣まで行くと、少々驚いたように目を見開いてる人物へ向け、カーテシーをする。
「トゥルエノ王国第五王女、ルシアナ・ベルト・トゥルエノでございます。お会いできて光栄に存じますわ、シルバキエ公爵閣下」
姿勢を正し、にっこりと笑ったルシアナに、レオンハルトは目を瞬かせた。




