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狩猟大会・三日目(六)

 心臓の音以外、何も聞こえない。

 先ほど聞いた音が幻聴だったのではないかと思うほど、レオンハルトからの反応が何もなかった。

 もしかしてレオンハルトではないのかと思い始めたところで、コツ、コツ、と近付いてくる足音が聞こえた。足音はすぐやみ、代わりにベッドがわずかに沈んだかと思うと、「ルシアナ」と優しく名前を呼ばれる。


 音の正体が正真正銘レオンハルトだったことに安堵したのも束の間、ルシアナはすぐに口から手を放すと、マントを捲られないよう合わせ目を掴み顔を伏せる。

 状態も状態なため、何もないと言っても信じてもらえないだろうが、とにかく泣いている姿だけは見られたくなかった。何故泣いていたのか問われた場合、それに対する上手な返答が思い浮かばないからだ。

 また少しの沈黙が訪れたかと思うと、今度は何かに体を包まれる。その温かさと若干の重みに、レオンハルトに抱き締められているのだと気付くのは、そう時間がかからなかった。


(早く……早く何か言わなければ……)


 レオンハルトは、こんなところで、こんな風に、自分に構っている暇などないのだ。だから、早く彼を解放するようなことを言わなければいけない。そう思うのに、話そうと口を開くたび唇が震えて、結局言葉は出てこなかった。

 どうしようと焦りばかりが募り、わずかに体が震え始める。


(だめ、だめ……)


 あまりの自分の不甲斐なさに、一時的に止まっていた涙が再び流れ始める。

 その姿は見えていないはずなのに、レオンハルトは抱き締める力を強めると、優しく背中をさすってくれる。

 少しの間を置いて、息を吸う音が聞こえた。


「……ここから離れる前にも、ベル様がおっしゃっていたが……俺は魔法術師の追跡には同行できないからと、追跡隊が戻ってくるまで時間を与えられた。この時間を……俺は貴女と過ごしたい。……だめか?」


 追跡以外にも、やることはたくさんあるはずだ。今この状況で暇が与えられるなど考えられない。


(きっと、ベルが何か言ったのだわ……)


 ベルが自らテオバルドの元へ行ったのはこのためだろう。精霊に命じられれば、たとえ一国の王でもそれに逆らうことはできない。

 精霊とはこの世界の絶対的上位者で、精霊と対等に交流できるのはドラゴンくらいなものだ。精霊の加護を受けた契約者も対等に接することができるが、これは各々が契約した精霊に限った話で、他の精霊には礼を尽くすのが原則となっている。

 だから、レオンハルトに対し申し訳なく思った。

 レオンハルトにはレオンハルトのやるべきことがある。だから気にしなくていい。ベルには自分が説明をしておくから戻っていい。

 そう言わなければいけないのに、それを口に出すことができなかったから。


「…………お、しごと、は……?」


 震える唇から漏れたのは、ここにレオンハルトがいてもいいのだと思える、免罪符を求める言葉だった。


「皆、優秀な者ばかりだ。俺一人いなくても現場は問題なく回る。……ああ、事後報告になるが、貴女の騎士たちにも働いてもらってる。テオバルドには経験豊富なエドゥアルド卿についてもらった。だから何も心配しなくていい」


 これを喜んでは不謹慎だと思う。しかし、嬉しいと胸いっぱいに広がる想いを、無視することなどできなかった。

 ルシアナはわずかに身を捩ると、そろそろとマントを開き顔を出す。

 涙のせいか、突然明るいところへ顔を出したせいか、視界がぼやける。ぼやけた視界の先で、レオンハルトが辛そうに眉を下げていたような気がするが、彼は何も言わずルシアナの濡れた頬を撫で、瞼や目尻に口付けた。

 レオンハルトの吐息が肌を掠め、唇が触れるたび、干からびた土に水を与えられたような心地になった。


「……レオンハルトさま」


 震える声で名前を呼べば、顔を離したレオンハルトが柔らかく笑み、涙や汗で張り付いた髪を払ってくれる。そのまま触れるだけのキスをして、ルシアナに覆い被さるようにしていた上半身を起こすと、レオンハルトはルシアナを持ち上げ自身の足の上に横向きに座らせた。

 まだ少し気まずくて、ルシアナは自分の足元へ目を向けていたものの、苦しいくらいに抱き締められてしまい、思わず身じろぐ。しかし、拘束は弱まるどころか、レオンハルトは離さないとでもいうように腕の力を強めた。苦しさに思わず息を詰まらせたものの、ルシアナはそれ以上動くことなく体の力を抜き、レオンハルトに身を預ける。


(……好き)


 胸の奥でぐちゃぐちゃと絡み合い燻る感情がある。それを、ルシアナ自身言語化することはできない。しかし、レオンハルトのことが好きだという気持ちだけは、すぐに拾い上げることができる。

 ぐちゃぐちゃの感情が消えるわけではないが、好きという気持ちを拾い集めるたび、少しだけ、救われたような気分になった。


(……レオンハルト様は、わたくしのことを気にかけてくださっているわ)


 感じた寂しさや、芽生えた自分勝手な想いは、消えないままずっと胸の奥にある。けれど、こうして自分のために時間を割いてくれていることを考えれば、もういいのではないか、という気がしてきた。

 別に、レオンハルトは自分のことが嫌いなわけではない。彼は根っからの騎士で、今回のことはただ自分が勝手に欲深い想いを抱き、勝手に傷付いただけなのだ。

 そのことを考えると胸が痛み、涙が出そうになるが、自分がそれらに蓋をして飲み込めば、すべて丸く収まる。


(レオンハルト様は、わたくしのことを愛してるとおっしゃってくださったもの。それだけで、もう十分……十分だと思わなくてはだめだわ)


 漏れそうになるものを我慢するように、すんっと鼻を啜れば、レオンハルトはルシアナの後頭部に手を回し、頭に顔を押し付けた。


「……言い訳に、聞こえるかもしれないが」


 突然話し出したレオンハルトに、自分でも驚くぐらい大きく肩が跳ねた。大袈裟な反応になってしまったことにルシアナ自身動揺してしまい、どうしていいかわからず体を強張らせる。


「……ルシアナ」

「あ、の……」


 名前を呼ばれても頭を上げられずにいると、顔を離したレオンハルトが後頭部に回していた手をそのまま顎に添え、ルシアナの顔を上に向かせた。


「! ん、ぅ……っ」


 驚いたのもの束の間、口付けられたと思った次の瞬間には口腔内を(ねぶ)られていた。


(あ、だめ……)


 レオンハルトとの深い口付けは、思考が溶かされ何も考えられなくなる。理性を失い、口付けが終わったあといつも口をついて出るのは、純粋な欲望だけだ。


(今は……だめなのに)


 蓋をして飲み込もうとしたものを引きずり出されては困る。

 そう思うのに、レオンハルトを拒絶することも、ルシアナにはできなかった。

 いつまでそうされていたのか、ついに体の力が抜け、くたりとレオンハルトに体を預けると、彼はやっと口を離した。

 ぼんやりとした頭で、自分を見下ろすレオンハルトの双眸を見つめる。そのシアンの瞳は濁りなくとても澄んでいて、何が理由かわからない涙が、目尻からぽたりと落ちた。

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次回更新は11月22日(水)を予定しています。

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