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私はパールの呼び出しに応じ、人気のないところまでくる。
「すみませんセレス様、お待たせしてしまって」
「いいよいいよ。昨日買った新刊読んでたから。部屋で読むのも外で読むのも変わらないしね。それより本題は?」
「あ、そうでしたね。えと、その、セレス様のご友人を悪く言ってしまうようで大変申し訳ないのですが」
スカーレットの事? 今回は大人しいと思ってたけど、やっぱりやらかしたのか。
「あの、シャルト様という方ですが、気をつけた方がよろしいかと思います。何の確証もないのですが、なんだかその、あまり良い感じがしませんので。本当に失礼ですが。あ、もしかしてもう婚約を済ませてしまったとか……」
不安そうな顔を向けるパールに笑顔を向ける。
「断ったよ。婚約の申し込みは。それでその、嫌われたからたぶんもう関わらないと思う。なんだか申し訳ない事をしたと思うよ。もっと良い断り方があれば良かったんだけどね、中々そうはいかないよ」
私の返答を聞いて、パールは少し安堵した表情を見せた。
「そうでしたか。あの、どうして断ったのか聞いてもよろしいでしょうか? 身分的にも申し分なかったと思いますし、見た目も性格もよろしいと思いましたので」
「ただ単純にそういう意味で好きじゃなかったから」
そもそも私女だし。それに、一応あの馬鹿の言葉も引っかかったってのもあったし。
「それでよろしかったのですか? 私は平民ですからよく分かりませんが、貴族の方は身分を見て婚約するものではないのですか?」
「僕は自由にしろって言われてるから。もう両親も呆れて、問題さえ起こさなければ好きにしろってね」
「そうなのですか? セレス様が呆れられるとは思えませんが」
「僕、貴族間の交流を昔から嫌っていてね。すぐに逃げて、隠れるってのをよくやってたんだよ。今もだけど。だから僕の事を知ってる貴族は本当に少ないんだ。それこそスカーレットくらいだと思う」
「セレス様とスカーレット様の出会いってどのような感じなのですか?」
「えっとねー」
◇◆◇◆◇
私とスカーレットの出会いは十年前に遡る。
あれは王宮で行われる社交会での出来事だった。
「また〜!」
「セレス、我慢して下さい。これも貴族であるからには避けては通れぬ事ですから」
「別に好きで貴族になったわけでもないのに」
「その言葉を聞いたら、お父様とお母様が悲しんでしまうわ。お姉ちゃんも悲しい。ね、少しだけ我慢して。ホリゾン王子様にだけ挨拶すればいいから。あとは自由にして大丈夫。ですよね、お兄様」
お兄様は仕方ないなと言いたげに眉を顰めて微笑んだ。
「後々苦労すると思いますよ」
「別にいい」
「分かりました。ですが、挨拶されたらしっかり対応するんですよ」
「はーい」
その言葉通り、私はホリゾン王子への挨拶を済ませてそうそう、花摘みに行く。と会場を後にした。
この言葉はあまりに使いすぎて、私が言うと、トイレに行く。ではなく、逃げるね! という意味へと変わっていった。
「さーて、トイレ探してそこで時間潰そ。細かなところまでプログラミングされてないおかげで、トイレとか見えないところは日本となんら変わらないから良いんだよね。欲を言えば、ウォッシュレットとか付けてほしかったけど」
と、独り言をこぼしながらトイレを探していたが、まったく見つからなかった。
「王城広すぎでしょ! トイレないじゃん! こういう時に限って使用人もいないし。もー、トイレまでの地図くらいほしいよ。したくないけどここまできたら少ししたくなってきたよ」
ドアを開け閉めしてトイレを探していると、他とは多少異なる形のドアを見つけた。
ここだ! っと思って勢いよく開けると、全然違かった。
ワガママを喚き散らしていた一人の少女は一瞬大人しくなり、周りの使用人も一斉にこちらを見た。
あー、この子が例の悪役令嬢か。って思ったよね。
「あー、お取り込み中すみません。トイレってどこですか?」
「トイレでしたら──」
メイドさんが丁寧に教えてくれようとした時、若きスカーレットがそれを遮った。
「何よあなた! 邪魔しないで!」
「トイレの場所さえ教えてもらえればすぐに消えます」
「何を言ってるの? ここにいるのは全員私の使用人よ。あなたが使う権利なんてないわ!」
いやー、我ながら大人気なかった。ちょっとかちんってきたよね。
「そーですか。では仕方ありませんが、ここで粗相を行うことになってしまいますね」
私がドレスの裾を上げようとすると、スカーレットはメイドさんの手を振り退けて走って寄ってきた。
「ちょっと、やめなさい!」
「では教えてください」
スカーレットは自身の中のプライドと戦っていたのか、数十分の格闘の末、ようやく折れた。本当にトイレ行きたい人間だったら漏らしてたぞ。
「わ、分かったわ。教えてあげるわよ。でもその代わり、三つ指ついてお願いしなさい」
「え、嫌だよ」
「い、今、今あなた、嫌って言いまして?」
「言いました」
あの時動揺した顔を見せたスカーレットは、今でも忘れない。あの顔はあれが最初で最後だろうから、一生忘れてやんない。
「何よあなた! この私のお願いが聞けないってわけ⁉︎」
「私は使用人ではないので。残念でした〜」
幼児をおちょくるのは、今思うと本当に大人気なかったと思う。
「何よあなた! 偉そうに!」
「実際貴族なので」
「どこの家の子よ」
「さあ?」
「さあってなによ! 言えないわけ⁉︎」
「言ったら告げ口されそうなんで。黙秘権を行使してるまで」
「何変なこと言ってるのよ」
こんな感じでぎゃいぎゃい言い合っていると、流石に時間的にまずくなったのか、メイド達がスカーレットを宥め始めた。
「私はあなたと違って忙しいの。一人貸すからあなたは出て行きなさい」
「はーい」
私は部屋を出る前に、ギリギリスカーレットが聞こえる声で
「私の勝ち」
と言い残した。
閉まったドアからは
「一時休戦よ! まだ勝敗は決まってないわ! 次回持ち越しよ!」
と、叫んでいるのが聞こえた。




