閑話 マリアーノ・ド・エルザリン・ロイス王女
ロイス王国は大国リーグラード王国の東にある小さな国である。
小さいが西は大国アルトリア帝国があり、リーグラードの商業都市カリフともつながる交通の要所であった。
そのために両国から常に独立を脅かされていた。ロイス王国は両大国との外交に神経を使い、バランスを取ることで国を保ってきた。
歴代の国王は外交感覚に優れたものが多く、その巧みな手腕で何とか独立を保ってきた。
リーグラードもアルトリアもロイスを緩衝地帯として重要視し、併合するようなことはしてこなかった。
しかし、5年前にアルトリア帝国の皇帝の座に就いたレオポルト・ハーン帝は、リーグラードとの争いにけりをつけるべく、戦争を仕掛けた。
ロイス公国も緩衝地帯というより、前線基地と考え侵攻してきたのだ。
アルトリア軍は残虐で占領したロイスの町を蹂躙。略奪を繰り返した。これは新しく皇帝となったレオポルトの性格によるものであった。
暴虐帝と呼ばれたこの皇帝は、血で血を洗う皇帝争いを勝ち抜いただけあって、力が正義であるということを常に口にする男であった。
そんな皇帝が小国に対して寛容であるはずがない。侵略した領土は奪い取るだけの場所であった。
大陸の花と言われた豊かな土地がアルトリア帝国に蹂躙されるのを見て、ロイス国王は腹を決めた。
リーグラード王国に頼ってアルトリア帝国を排除するのだ。
リーグラード国王は慈悲深く、また政略に優れた人物でこの好機を逃さなかった。すぐに援軍を派遣してアルトリア軍を追い払った。
ロイス国民はリーグラード軍を歓迎した。リーグラード王国はこれをきっかけにしてアルトリアとの長い戦争に入ったのだ。
無論、リーグラード王国もお人よしではない。ロイスを味方にすることで戦争が優位になると計算したからこそだ。
戦争は一進一退であったがロイスが加担することで、リーグラードにやや優勢な状況であった。
「マリアーノ、お前をリーグラードに人質として送る」
マリアーノが18歳になった時にロイス国王はそう愛娘に告げた。マリアーノ王女が生まれた時から始まった動乱で、国王はこの王女の運命が平穏ではないと涙した。
マリアーノ王女も自分の運命を知っている。そして自分の生まれた国を守るために自分を犠牲にする覚悟をできていた。
「はい、陛下。このわたくしを今まで育てていただいたのは、全てこの時のため。100万のロイスの民が血税を出して、わたくしにこのような贅沢な衣装に贅沢な食事を与えてくださいました。ここでその御恩を返す所存です」
「うむ。リーグラードではケント王子に近づくがいい。かの王子は女癖の悪い輩と聞いているが戦の天才。現国王の覚えもよく、次期国王の有力候補だ。気に入られれば、お前は王妃となりうるだろう」
国王はマリアーノを単なる人質として差し出すつもりはない。後継者として有力な王子の目に止まり、その夫人となればロイスにとっては有利に働く。
そこまで計算していた。だから愛娘に色仕掛けで第3王子の正妃の座を射止めるように命令したのだ。
マリアーノ王女は深く頷いた。彼女の両肩に100万人のロイス国民の幸せがかかっている。
意気込んでリーグラード王国王都クロービスにやって来たマリアーノであったが、思ったよりも早く自分の目的が達せられることとなった。
パーティで紹介されたケント王子は一目で自分に首ったけであった。すぐにベッドに誘われたが、早々簡単に許すわけがない。
散々にじらして数多くの愛人と手を切らせた挙句、やっと自分の屋敷で本望を遂げさせた。
それ以来、ケントはマリアーノの屋敷に逢引に来ては一晩中遊び、帰っていくことを繰り返した。
「ねえ、猿はあの行為をすると止まらないと聞くけれど、ケント王子はまるで猿みたいですわね」
そうお茶を持ってきた侍女にマリアーノは話しかけた。まだ歳が若い侍女は頬を赤く染めて頷いた。どういうことかはよく分かっていなさそうだ。
代わりに侍女頭が応える。表情は王子に対する侮蔑がにじみ出ている。
「あの王子は猿ですわ、王女様。顔はイケメンですが品性がなさすぎます。あれは表面上は忠誠を誓っている者は多いくいますが、いざとなれば裏切られる人物です」
侍女頭は大国に翻弄されてきた小国の王家に長年仕えてきた経験がある。人物を見る目は確かである。
「そうですわね。わたくしもそう思います。あれはイケメンの面を被った獣ですわね。昨晩の5回も求められました。もう腰が立ちません」
「おいたわしや姫様。ご苦労が絶えませんね」
そういってベッドにうつ伏せに横たわったマリアーノの腰をマッサージする。
ケント王子はマリアーノ王女を一晩中抱いて目の下に隈を作って朝方に出陣していった。キツネ族の侍従が迎えに来たが表情は呆れかえっていた。
自分の部下にですらため息をもらさせるダメっぷりである。
それでも軍事の才能は認められ、この度は遠征軍の司令官として出征するという。わずか18歳での抜擢だ。
「それでも次の国王はケント王子でほぼ決まりですわ。わたくしの選択は間違いではなかったということ」
マリアーノは机の上にある新しい封筒に目をやった。
第1王子メイソンからの手紙だ。
メイソンは宮廷の舞踏会でマリアーノを見かけ、熱烈な恋文を送ってきているのだ。メイソン王子は、マリアーノがすでにケントの女になっていることは知らない。
根っからの軍人で無骨なメイソンは滅多に宮廷には現れず、舞踏会もほとんど参加しない。たまたま義理で参加した時にマリアーノに一目ぼれしたのだ。
「メイソン王子はまっすぐでよい人ですが、よい人ではロイスは守れません」
それでもマリアーノはメイソンへの返事は適当に気がある振りをして返していた。能力的に99%メイソンが国王になる可能性はないとマリアーノは思っていたが、それでも保険にはなる。
ケント王子が転べばメイソンに乗り変える。これが小国ロイスの王女として行う使命である。
「王女殿下、大使が来ております」
「そう定時連絡にしては早いですわね」
マリアーノは急に駐リーグラード大使が屋敷に来たことが何かが起こると胸騒ぎがした。
月1回の定時報告を聞きに大使はやって来る。つい1週間前もやって来た。
ケント王子との仲が進み、ライバルの侯爵令嬢とのデッドヒートが繰り広げられていることを報告するのが常であった。
それなのに急にやって来るのはおかしい。来るときは少なくとも1週間前に予定を入れて来るのが普通だからだ。
「王女殿下、ケンジントン公爵に怪しげな動きがあります」
そう大使は告げた。ロイスが派遣する駐在大使は選りすぐりの者が多い。小国にとって情報は国の浮沈に関わる重要事項だ。
ロイスの諜報機関はそう言った意味では大陸でも優秀であった。大使館は諜報活動の司令塔であり、大使はそのボスなのだ。
「リーグラード国王の病態もよくないとの報告もあります。ケンジントン公の動きを見ると国王崩御に伴い大きな政変があると思われます」
そう大使はマリアーノに告げた。これは作戦の変更を意味するのだと聡い王女は理解した。
「ケンジントン公爵はケント王子の即位を望んではいません。女癖が悪い王子ですが、戦の天才ですし、政治能力も他の王子よりも抜きんでている。だがらこそ、宰相はケント王子を嫌うでしょう」
「……そうですわね。優秀な国王では自分の地位が危ういですもの」
マリアーノは若干18歳であるが、政治の機微も感じ取れるほどよく勉強していた。
長年国を支えてきた臣下が王の代替わりに廃されることは歴史上よくあることだ。現国王も優秀であったが、リーグラードがアルトリア帝国と張り合い、大陸で強国になったのは40以上も宰相の地位にあるケンジントン公の政治手腕によるところが大きい。
「陛下からは様子を見るようにとのことです」
「分かりました。ケント王子との交際は少し中断します。手紙を書きます。女官長、ペンと紙を持ってきて」
マリアーノはそう命令した。すぐに女官長が上等な便箋と封筒を持ってきた。マリアーノは羽ペンですらすらと手紙をしたためる。
相手先はメイソン王子。内容は恋文である。
「これで第1王子を繋ぎ留めます。ケント王子が廃されれば、操りやすい愚かな者が国王になるでしょう。ケンジントン公が白羽の矢を立てるのは脳筋王子でしょうね」
くすくすとマリアーノは笑った。
それから数日してケントの戦勝の報告があった。そしてロイスの諜報機関がケンジントン公爵が貴族を統合し、次の国王にメイソン王子を付ける動きをしているという情報をもたらせた。
マリアーノは大使と次の作戦を立てる。恐らく、ケント王子が凱旋してきてから何か行動を起こすと思われた。
その時にロイスが取るべき行動は2つである。1つはケンジントン公に手を貸す。これはケント王子と手を切るということだ。
うまく恩を売ればケンジントン公が立てる王の正室になれる可能性もある。2つ目はケント王子側につくこと。
この場合はロイス軍を動員してケント王子を加勢する。ケンジントン公とその一派を武力で抑え込めば勝てる。ケントは戦争の天才だ。軍を率いれば勝利は間違いがない。
しかしクーデターは単純な武力衝突でははない。国の中枢を担う貴族の支持をどれだけ得られるかである。
今のところ、ケンジントン公は7割を抑えているとの情報である。しかしケント派もディップ侯爵を中心とする反体勢力がある。3割になったとはいえ、ケントの武勇とつながれば逆転の目もある。
「どうやらディップ侯爵はケンジントン公爵の動きを察知していないようです。自陣の勢力が切り崩されて3割になっていることも知らないようですし」
そう大使は呆れたように話した。ディップ侯爵の娘アイリーンは、ケント王子を巡って争っている好敵手であったが、その父親は凡人らしい。
「どう考えてもケンジントン公の勝ちのようね」
マリアーノはそう判断した。判断したらすぐに行動するのがよい。
すぐにマリアーノは父である国王に手紙を書いた。
その内容は簡単だ。
「リーグラードで政変が起こる可能性が高いです。ロイスはケンジントン公を頼るべきだと具申します。リーグラード国内にあるロイス軍は撤退して軍を動かさないよう意思表示をするべきです」
そしてその手紙を普通に国際郵便で出したのだ。普通ならこのような重要な手紙は大使館から密使で送る。敢えて郵便で出したのはわざとケンジントン公爵に見せるため。
検閲で手紙の内容を知ったケンジントン公爵は、ロイスが自分につくという意思表示をしたのだと判断したのであった。
「ロイスの姫、なかなかの切れ者のようだ。よかろう。ロイスの国土の安全は保障し、わしが立てる脳筋国王の王妃として立てよう」
ケンジントン公爵はマリアーノ王女の行動を評価した。このクーデターで手柄を立てたものには厚く遇したが、ロイスのマリアーノ姫の手柄は表には出さないが、手柄は1等級と位置付けた。
もし、マリアーノがケント王子に通じ、ロイス軍を動かしたのなら実に厄介なことになりかねなかった。
やり手の宰相はありとあらゆるところに手を尽くしていたが、外国であるロイスについては、手が打てなかったからだ。
*
政変はケンジントン公爵の計画通りに進んだ。
そしてマリアーノの思惑通りにリーグラードの実質の王はメイソンとなった。国は4分割されたが中心となる東リーグラードの国王になったのだ。
そしてその王の王妃の座はメイソンの要望とケンジントン公爵の推薦でマリアーノとなった。
我が娘を王妃にと目論んでいた数多くの貴族はこの裁定には不満であったが、ケンジントン公爵の推薦では認めるしかなかった。
「国王陛下、朝のお出ましありがとうございます。王妃陛下に置かれましては、今日も麗しくいらっしゃいまして臣は喜ばしい限りでございます」
朝の閣議に出席した国王と王妃にそうケンジントン公爵は挨拶をする。メイソンは老宰相に対して軽く礼をして王座に座る。自分が王になれたのはこの宰相のおかげである。頭が上がらず自然と態度がへりくだってしまう。
それを当たり前のように受け取るケンジントン公爵。
続いて王妃マリアーノ。ツンと澄まして視線を合わせずに宰相の言葉に応える。王妃の方が王族としての威厳があると閣議に出た大臣たちは思う。
「宰相も息災なによりじゃ……」
「は、お言葉ありがとうございます」
ケンジントン公爵はかしこまり、そして朝の閣議の議題に移った。議題を説明しながら、ケンジントン公爵は王妃マリアーノのことを考える。
(この王妃、御しやすいと思ったがなかなか侮れぬ。小娘と思わぬほうが良い。しかし、基本はロイスの安全さえ保障すればこちらの行動に文句は言わぬ。他の貴族の娘を王妃にするよりもはるかに無害。持ちつ持たれつの関係があるうちは共存できよう)
王妃マリアーノはマリアーノで説明している老宰相のことを考えている。
(この宰相が死ぬまで行動は慎む。死ねばこの王ではリーグラードはもたない。その時こそ、わたくしの出番。リーグラードを乗っ取り、わがロイスの傀儡国にする……)
「どうでしょうか、王妃陛下」
議題について意見を求められたマリアーノは、とびっきりの美しい笑顔でこう答えた。老宰相は当たり前のように裁可を王妃であるマリアーノに聞いたのだ。心あるものは眉をひそめたであろう。
しかし、この閣議においてそれを疑問に思う者は誰もいない。
「宰相殿のよろしいように」
「はっ。ありがたき幸せ。国王陛下もよろしいか?」
「ま、任せる……」
この光景をおかしいと周りの大臣は思っていない。
この東リーグラード国の政治は老宰相と王妃によって成り立っているのだ。
第2章 第1話「傭兵団」は明日の12時頃に更新です。




