で、誰が本命ですか? 殿下?
遅刻した私が一人で入場した夜会は、重苦しい雰囲気に包まれていた。予想外の事態にやるべきことが増え、来るのが遅れてしまったのだ。出先からそのままの格好だが、今回は仕方ないだろう。今宵の夜会は公爵家が主催している。第三王子の婚約者である私も、出席せねばなるまい。
そこまでは良いとして、まるで私を待ち構えていたかのような、この会場の空気感は一体何だ。事態の進展には、私の存在が必要不可欠だったかのような……。
そうか、分かったぞ。これは巷でよくあると噂の、婚約破棄の流れではないか? 辺境伯家の一人娘である私が悪役令嬢で、今から殿下に婚約破棄されるということか。
私は冷めた目で、自分の婚約者である殿下を見つめた。現在殿下は五人の美女に囲まれている。誰が本命だ? まさか全員本命? そこまで節操ないとは思わなかったぞ。というか五人の美女に加えて、一人男がいないか? 女装でもなんでもなく普通に男だ。あいつ男まで守備範囲だったのか。婚約破棄が我が身に降りかかり、ヒロインに相当する人物が男を含めて複数いるなど、誰が想像するか。
現状を飲み込みきれなかった私は、思ったことをストレートに尋ねた。
「で、誰が本命ですか? 殿下?」
現在殿下が侍らしているのは、選り取り見取りの美女たちと男一名だ。誰が殿下の好みなのだろうか。気になる。
「そんなのここでは言えないよ」
なーに照れてるのだ、あいつ。そうか、ここで言ってしまうと、会場内に自分の性癖を暴露した挙句、修羅場になると分かっているからか。
「……茶番には付き合いきれないので、もう帰ってよろしいですか?」
来て早々私は踵を返そうとした。
「エーレ、待ってやめて、帰らないで」
私の名前を呼んで必死な殿下に、私は認識を改めた。
「では殴ります」
「お手柔らかに~」
「よーし、歯食いしばれー」
私は腰を落として床を蹴り、魔法で加速をかけた。一瞬腰にある剣を抜こうとしたが止めた。ここを血で汚すわけにはいかない。それに有言実行、殴ると言った以上は殴るべきなのだ。まず一番殿下の近くにいる美女の背後を取った。魔力を乗せた手刀を叩き込む。一人目を仕留めた。
「次」
私の動きに反応しきれない敵を、一人また一人と床に沈めていった。最後に残ったのは唯一の男だ。男は何らかの魔法を使おうとした。だが相手が何の魔法を使おうと、私には関係ない。魔法が発動する前に、仕留めてしまえば全て同じだ。
「遅い」
私は飛び蹴りで、男を壁近くまでぶっ飛ばした。
ドレスに着替える時間が無かったので、騎士団の制服のままここに来たが、それが正解になるとは思いもしなかった。もしドレスであればこの短時間での制圧とはいかずに、三割増しぐらいの時間がかかっていただろう。
私が会場に入って以降、賊がだんまりを決め込んでいたのは、きっと私を刺激しないためだ。あわよくばそのまま帰ってくれないかと。よくよく見れば、他の騎士団からの報告にあった、先程取り逃がした残党の特徴とも一致する。
賊どもを床に転がしたままで、私は殿下の無事を確認した。
「殿下、お怪我はありませんか?」
「きゅん」
「きゅんじゃない」
緊張感がない殿下に一瞬イラッとしたが、殿下には傷一つないようなので、良しとする。
「連行を頼む。情報は徹底的に吐かせろ」
殿下が人質にとられていたため、今まで身動きが取れなかった騎士団員たちに、賊どもを引き渡した。彼らは決して練度が低い人員ではない。今回の失態は殿下がとった想定外の行動のせいでもあるので、処罰に関しては後で取り計らっておく。夜会の警備マニュアルに関しては見直し必須だな。
折角の夜会はこの騒ぎと、その後始末のためにすぐさまお開きとなった。出席者の安全確認、被害状況の把握、残党の捜索と捕縛、全て終わるころには、既に日付が変わっていた。
他に場所が無かったので、私と殿下は王宮にある殿下の自室で話し合うことになった。夜中にしかも殿下の部屋で二人きりだが、私は殿下より強いので何の問題もない。
現在殿下は騎士団総長に任じられている。殿下は第二騎士団団長である私の、上司でもあるわけだ。私は殿下に向き合い、姿勢を正した。
「報告いたします。今回の地下組織壊滅作戦は、お世辞にも成功したとは言えません。各騎士団合同で、複数のアジトを同時に襲撃いたしましたが、一部の賊を取り逃がしました。その結果、私の夜会への参加は遅れ、夜会への賊の侵入を許し、あまつさえ殿下の身を危険にさらす事態となりました。一部団員の気の緩みが原因かと推測されます。現在の各騎士団の状況を考慮し、騎士団の人員入れ替えを推奨いたします。また夜会における警備マニュアルを、見直す必要があります。こちらは明日からでも、早急に取り掛かるべきです。取り急ぎの報告は以上となります」
「報告ご苦労」
とりあえずは、ここで一区切りだ。私は姿勢を崩した。
「はぁ、殿下、なーに人質になってるのですか」
「あはははは、ごめんね」
「笑って誤魔化さないでください。そういえば婚約破棄の件ですが」
「え!? そんなことしないよ?」
情けなく殿下が答えた。ぷるぷるしてそんな子犬のような目で、私を見ないでほしい。
「あれ? あー、妄想と現実が混ざりました。申し訳ありません」
「婚約破棄がエーレの願望なの!?」
「意識はありませんが、内なる願望の可能性はあります」
「そんなこと言わないで。君がいないと、僕は生きていけないよ?」
はっきり言って、殿下は大げさだ。
「それは私が最も信頼できる護衛だからでしょう。私は殿下の護衛であり、婚約者なのですから」
「護衛の方が先に来るのがエーレらしいよね。普通は婚約者が先なんじゃないかな」
殿下が苦笑した。殿下に普通を説かれるのは癪に感じる。
「私が普通でないのなら、ただ腕が立つだけの辺境伯家の娘である私を、婚約者にしている貴方も大概です。だいたい本来なら、殿下は護衛なしでも平気ではありませんか」
「騎士学校の剣術大会で優勝した君が、あまりにかっこ良かったんだよ。僕は結局一度も、君には勝てなかった。そんなエーレに守ってもらえるのが、言い様がないほどに僕は嬉しい」
騎士学校一年目の剣術大会一回戦で、私は殿下と対戦した。私は完膚なきまでに殿下をボコボコにし、その後も勝利を挙げ続け優勝した。翌年以降は決勝戦で殿下とあたり、私が勝って優勝するのが毎年の恒例行事だった。
「私に負けて以降、殿下は変わられました」
「あの時はだいぶ調子に乗ってたからね。エーレのおかげで目が覚めて良かったよ。あのイタいままで大人になってたらと思うと、ははははは」
殿下の口から乾いた笑いが漏れた。
「たしか殿下は私に負けるまで、『クレイジ~なナイフ』と呼ばれていました。あの『クレイジ~なナイフ』は殿下が考えたのですか? 今思えばあの二つ名は、クソダサすぎませんか?」
「やめてエーレ、僕の黒歴史を掘り起こさないで!」
殿下は深刻なダメージを負った!
「自分のことをオイラと呼んでたのも」
「やめてエーレ、僕を再起不能にする気!?」
私の発言はクリティカルヒットした!!
「そういう正気を疑うような前科もあったので、最初に婚約の話を聞いたときは、負けた腹いせかと思いました」
「腹いせで婚約する奴が世の中にいる? あと正気を疑われてたのが、地味にショックだよ」
「世界は広いので、探せばいるかもしれません」
「事実は小説よりも奇なりって言うからね。そんな状態で、よく婚約を了承してもらえたよね」
「王家からの打診を、一辺境伯家が断れるはずがありません。それと殿下が婚約者に求める条件を聞いて、納得するしかありませんでした。殿下が出した条件は殿下より強いこと、私は確かに殿下より強いです。ただ婚約者に求める条件が、自分より強いことというのは、如何なものかと思います。殿下は十分強いお方です。先程だって人質にならずとも、あの程度の賊なら自力で制圧出来たでしょう」
「いいや、制圧はできても僕だと死傷者が出てたよ。賊は僕を人質にして仲間の解放を要求しようとしてたから、危害を加えられる恐れはなかったし、エーレがそろそろ来ることは分かってたから、それなら精々人質になって時間を稼ごうかなと思ってね。僕の思った通りに、君は血の一滴も流さずに解決して見せた。それにかっこいい君を、この目で直に見たくて。護衛になってもらっていても、普段中々見れないからね」
私はその言葉を聞いて、殿下に問答無用の背負い投げをくらわせた。ベッド上に落としたので、殿下は無傷だ。問題ない。
「すみません。殿下の緊張感の無さに、イラッとしてしまいました」
「あはははは、照れ隠しだと受け取っておくよ」
断じて違うが、反論しても無駄なので黙っておく。
「ねえ、今日はもう遅いよね。いっそ泊まっていかない? あと一月で僕たちは結婚するし、誤差範囲だよね」
寝転がったままで、ポンポンとベッドを叩く殿下。
「しょんなことできません」
動揺して噛んだ私を見て、殿下は堪えきれずに笑った。
「あはははは、分かった。あと一月我慢するよ。エーレの仕事以外だとポンコツなところも愛しいよね。夜会でも妙な勘違いしてたでしょ? たとえば自分が巷で話題の悪役令嬢だとか?」
反論できなくて思わず黙ってしまった。
「あははは、図星だね。ということは、エーレには伝わっているつもりだったんだけど、全然分かってなかったか。この機会にはっきりさせておくよ。僕が婚約者に求める条件として、エーレしか当てはまらない条件を出した。それってつまり、君を直接婚約者に指名したのと同じなんだよ?」
ベッドに座り直した殿下が見つめてくる。心拍数がものすごく跳ね上がるから、私は殿下のこの視線が苦手だ。
「ポンコツなエーレでも分かるように言葉にすると、僕は恋愛的な意味でエーレのことが好きだよ。あのさエーレ、そろそろ人目が無い時ぐらい、僕のこと名前で呼んでくれても良くない?」
あざとい殿下のお願いに、私は。
「そんなことできるわけ…………あれ……?」
今度は噛まなかったが、唐突なお願いに、動揺して、頭が真っ白になって、とんだ。
「どうかした?」
「いえ、ええっと……」
「言いたいことがあるなら、言ってくれていいんだよ?」
「何を言っても怒りませんか?」
「絶対怒らないから言って」
言質は取った。正直に言うしかない。
「…………ええっと……殿下の名前って何でしたっけ……?」
「なんで~!? なんで『クレイジ~なナイフ』は覚えていて、僕の名前は覚えてないの!? ド忘れ!? ド忘れだね!? ひどいよ~、エ~レ~」
ド忘れした私に、殿下は大号泣した。
翌日の殿下は全く使い物にならなかった。それと私が悪かったのは素直に認めるから、いい歳をした男が一人称を自分の名前にするのは止めて欲しい。
新たな黒歴史に、頭を抱える羽目になるのは、殿下自身なのだぞ? どうにか膝枕で手を打ってもらえないだろうかと思いながら、私は仕事終わりに愛する殿下の執務室に向かうのだった。