1.出会いと始まり
入学から2ケ月が経ち、新しい学校生活に慣れてきたある日の放課後、読書が好きな蒼井心は、いつも通り図書室で本を読んでいた。ふと時計を見ると午後5時5分。相談者は来ないだろうと思い、帰り支度を始めたとき、ドアが開いた。
春風「失礼しまーす。」
小さなその声の方向に目をやると、入って来たのは、春風さなだった。春風さなは、蒼井心と同じ1年1組で、成績は中の上、陸上部である。ショートヘアでくっきりした目が特徴的である。
春風「あっ、いた! よかった。」
春風の言葉を聞いて、心はもしかしてと思い、質問した。
心「春風さん、俺に何か用事があった?」
春風「掲示板のチラシに『なんでも相談に乗ります』って書いてたから、来たの。もう遅いから蒼井君帰っちゃったかなと思ったけど、まだいてくれてよかった。」
心「あのチラシを見て、だれか来るとは思わなかったよ。」
心は、1週間前に掲示板にあるチラシを貼りだした。内容は、『最新科学で解決! 蒼井心がなんでも相談に乗ります』といったありきたりなことを書いたチラシだった。まさか相談者が来るとは心自身も思っていなかったので驚いている。
春風「あのー、相談に乗ってくれますか?」
心「えっ、あ、うん。どうぞ。」
心は言葉に詰まりながらも、向かいのイスに座るように促した。春風は、そのイスに座り、2回深呼吸をした。
心「俺に相談ってことでいいのかな?」
春風「うん。」
5秒程沈黙が流れた後、春風が質問してきた。
春風「あのー、相談の内容ってほんとになんでもいいの?」
心「うん。いいよ。俺に答えられるかわからないけど、それでもいいなら。あっ、秘密は絶対守るから心配しないで。」
春風「うん。そこは心配してないよ。蒼井君は、そんな人じゃないと思っているから。それに、もし心配してたら相談には来ないから。」
心は、春風さなとほとんど話したことがなかったので、なぜそんな印象を持たれているのかと思いながらも、いったいどんな相談なのだろうと聞く態勢になった。
春風「実は…最近なにをやっても上手くいかなくて。ダメダメなんです。」
心「うーん。そうか。具体的にはどういうことが上手くいってないの?」と心は聞いた。
春風「勉強だと国語と社会が苦手で、この前の小テスト全然できなかったの。あと、部活も陸上部なんだけど、全然タイムが伸びなくて。あと、最近友達ともなんだか距離を感じる気がして…」
春風の悩みはそれから30分続いた。心は、春風から目線を離さずに所々で頷いたり、わからないところで質問したりして親身になって話を聞いていた。
そして一通り話を終えたところで、春風がハッ!と我に返った。
春風「ごめんなさい。私、なんかたくさん喋っちゃって。ここまで喋るつもりじゃなかったのに。なんか悩みというより愚痴になっちゃてたね。」
春風は、焦りながらも自分がなぜ30分も話し続けたのかわからないような表情をしていた。そんな春風を安心させるために心は優しく声をかけた。
心「いや、大丈夫だよ。もともと悩み相談を受けてたんだから。逆にそこまで話してくれて、俺も考えることができて良かったよ。」
春風「たくさん喋っちゃったから内容ぐちゃぐちゃだよね。ごめんね。」
心「大丈夫だよ。自分の思いをちゃんと話してくれたからわかりやすかったよ。悩みを多く抱えてるの大変だったね。」
春風「優しいんだね。ありがと。」
心「別に優しいというか、ただ話を聞いていただけだけど…。」
心は、ぶっきらぼうに答えたつもりだったが、表情は柔らかくなっていた。
春風「私の悩み…いっぱい喋っちゃったけど、なにかいいアドバイスはありますか?なにか一つでも教えてくれたら嬉しいです。」
春風の悩みを一通り聞いて、心はいくつかアドバイスが浮かんでいた。
心「そうだなぁ。春風さんの話しを整理すると、主に勉強と部活と友達関係のことが多かった気がするけど……どうかな?」
春風「うーん、そうです。その通りです。」
心「だったら、まず知ってもらいたいのは、この3つの悩みは、高校生なら誰でも持ってる悩みだということかな。もちろん人によって悩みの大きさはそれぞれ違うけど…。」
春風「そうなんだ!えっ!じゃあ蒼井君も悩み事あるの?」
心「もちろん、俺もあるよ。他にも友達や先生だってなにかしら悩み事はあると思う。そんな風に見えない人でも悩んでいることがあったりもするし。」
春風「そうなんだぁ!」
春風は、何度も頷きながら関心を示していた。
心「どう?他にも自分と同じ悩みを抱えている人がいるってことを知って、少しは楽になった?」
春風「あっ!そういえば、なんだか少しホッとしたかも。」
心「人って自分が悩んでいるときや失敗したときに、視野が狭くなって自分だけが不幸になっている感覚に陥る性質があるから、自分だけじゃないっていうことを知ると気持ちが楽になるんだ。」
春風「へぇー。そうなんだ!」
心「それともう一つ聞いていい?」
春風「うん。なに?」
心「例えば、この前の小テストで点数が悪かったって言ってたけど、そのとき自分に対してどう思った?」
春風「どう思ったかぁ。うーん、また、悪い点数とっちゃったなぁ。ダメダメだなぁ私と思ったかな。」
心「それかな。悩みの根本原因は。」
春風「えっ!なにが!?」
心の言葉に春風はつい驚いてしまった。
心「その『ダメダメだなぁ私』っていう自己批判が悩みの根本原因だと思う。」
春風「自己批判……」
心「そう。自己批判っていうのは、なにか失敗したときに、自分を責めることで。例えばさっきの『自分はダメダメだ』っていうのが自己批判になってる。」
春風「そっか!今まで意識してなかったけど、振り返るといつも自己批判してた、私。」
心「そう。なにか失敗したときとかは結構自己批判してる人っているんだよ。しかも自分では気づいていない人もね。でも、春風さんは、今自分が自己批判してることに気づいたから、もし今後自己批判することがあっても、それに気づけば防ぐことができると思うよ。」
春風「ほんと!よかったぁ。」
春風は少し安心した表情になった。
心「まあでも、失敗したときって自己批判したくなるよね。俺も前よくしてたし。」
春風「そうなの!?」
心「うん。『なんで俺は人と話すのが苦手なんだろう、ダメだな』とか『テストの点数が悪くて俺はバカだな』とかよく自己批判してたよ。」
春風「へぇー!意外!そんな風には見えないよ。」
心「まあ、今はほとんどしなくなったから、そんな風には見えないのかもな。自己批判って自分をネガティブな気持ちにするだけで、そこから成長がないからする意味がないんだよ。」
春風「そうなんだ!私も自己批判しないようにできるかな?」
心「うん。」
心は力強く頷いた。
心「そのために知ってほしい考え方があるんだ」
春風「知ってほしい考え方?」
心「『セルフ・コンパッション』っていう考え方なんだけど」
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