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灼眼の小刀 (一話完結編)

作者: 七紙野くに

研ぎ澄まされた紅の小刀。次は何を斬る。

 知は山が好きだ。登るのも降りるのも。但し自分の脚は使わない。単車を駆る。


 「とも」という名前と無骨なバイクから男と勘違いされることもあるが麓の大学に通う女子学生だ。


 愛機は敢えて白一色にペイントしたNSR250R SP。家庭教師のバイトで得た報酬を注ぎ込んだ。


 或る日、午後が休講となったので走ることにした。


 知はシンプルな服装を好む。ロッカーから黒のライディングジャケットを取り出し歩きながら羽織る。駐輪場で時を移すNSRの鍵を探る。自然と早足になる。


 彼女の到着を待っていたかの如く無愛想なカウルが鈍い輝きを放つ。キーを突き挿し右へ捻る。春の陽気と休講を知るためだけの短時間駐車だ。チョークは要らない。キックを踏み抜く。


「よぉ相棒、ご機嫌、如何」


 軽くレーシングする。紫煙が舞う。ツーストロークオイルが焼ける独特の香りが漂う。


 サイドスタンドを蹴り上げカラカラと鳴る乾式クラッチを繋いだ。


 単純なエンジンが奏でる湿度の低い響きが北へ向かう。「表」だ。


 忘れられた技術。バブルの結晶が躍る。


「次は右、アールは」


 体が覚えている。


 真剣にはならない。パワーバンドはキープするが膝を擦ったりはしない。


 知が描くラインには無駄がない。


 直ぐに丁字ヶ辻に出た。


 オルゴールか牧場か。


「羊に挨拶しよ」


 左折する。「西」だ。


 いつもの光景を横目に流していると前走車に届いた。


「カタナ?」


ナンバーを一瞥する。


「小刀、珍しいわね」


 一般的にカタナと呼ばれるのは1100だ。軽自動二輪、250は小刀として認知されている。「コガタナ」、一部の者にとっては蔑称であるが知は気にしていなかった。ターゲットデザインの至宝であることに変わりはない。コンパクトに纏められたホイールやマフラー故か小刀の方がデザイン原画に忠実に見えることさえある。


 カタナが左にウィンカーを灯し速度を落とした。先に行かせるつもりらしい。知は有り難く右側から抜かせて貰う。


「綺麗な赤」


 現存する殆どのカタナは排気量を問わずシルバーだがシールド越しに覗いたのはキャンディーレッド主体のツートンだった。


 遮るものも無くなったのでペースを上げる。ツーストの破裂音が木霊する。良い汗が浮いてきた。だが続くクリッピングポイントへ視線を移動する際、ミラーに眩しさを感じた。


「小刀、やる気? その重さとパワーで」


 片や軽量高出力を極めた全盛期のレーサーレプリカ。対して自主規制により牙を抜かれたスタイル重視のプロダクト。戦闘力の差は歴然だ。


 パッシングを浴びる。


「本気?」


 知の右手が意識とは無関係にスロットルを開いた。ブレーキングもギリギリまで遅らせる。勿論、回転計の針は美味しいところを外さない。


「排気量は同じでも根本から違うのよ」


 心で呟き背後を窺う。


「嘘!」


 背中にクォーターマルチの咆哮が迫る。もう牧場は遥かに遠く、タイトターンと中速コーナーが複雑に絡むアップダウンで競っていた。


 競って。そう思っていたのは知だけだった。


 森林植物園が近い。


「何とか抑え切れた」


 一瞬の隙だった。高周波がフロントへ駆け抜け知は後ろ姿を拝むこととなった。


「余裕、か」


 植物園の玄関で停車している赤い小刀を網膜に焼き付ける。並んで停まったりはしない。プライドではない。本能がそうさせた。


 アンタレスレッドとベージュのシートが印象的だ。消灯したヘッドライトがミラーに映える。


「朱い」


 走行中は白いLEDだったがレンズが仄かに、いや、鮮やかに染まっている。バルブのベースにでも着色しているのだろう。


 他に目立ったのはブレンボのキャリパー位だ。


「それにしても普通の音じゃなかった」


 確かに知の記憶に刻まれた一連の四気筒サウンドではなかった。マフラーとかFCRキャブとか大きく改造されたバイクとも違う。恰もジェット機を見送った様だ。


「こんちわ」


 翌日、知はバイク屋のガレージにいた。未だ生意気さが残る店主に昨日の話を然りげ無く伝えると微笑みが返ってきた。


「バーニングアイ、別名、灼眼の小刀、俺も会ったことあるぜ」

「下りで彼奴に出会したら先に行かせな、どうにもならん」


 知も切り返す。


「上りならどうにかなる?」

「知らんよ、ふふふ。乗ってるのは生きた人間じゃないって噂もある」


 生意気なのは知だった様だ。


「音は点火系だな、高度にチューンされているはずだ」


 初夏の香りが運ばれてきた夜、知はまた「表」を行く。丁字ヶ辻では東に折れホテルの客に排気音で挨拶し旧い駅舎を目指す。正確には駅舎横の天覧台か。百万ドル、東洋一、等と在り来たりに語られる夜景だが知は其処で過ごす独りの時間を大切にしていた。


 駅への小さなワインディングが心地良い。駐車場が見えた。右折し、天覧台の下に入ると四輪用スペースの左半分に一台の単車が置かれている。お誂え向きだったので右に付ける。


 イグニッションを落とす。ここには静寂が似合う。


 ヘルメットを脱いで髪を解くと左の車体が知の目を奪った。


「灼眼の小刀!」


 鼓動を落ち着かせ階段を昇る。立ち止まった知の前に銀色のフルフェイスを持ちフェンスに寄りかかる「あの後ろ姿」があった。若くはない。しかし体躯も服装も、そして何より状況が、紅のパイロットに間違いない、と告げる。


 知は離れてフェンスに手をかけ男と同様、街を見下ろした。


 優しい風が首筋を撫でる。こうして現実から少し距離を置くことで日常のバランスが保たれる。何処かでエグゾーストノートが呼吸する。夜の峠を楽しんでいるのだろう。蚊が鳴く程度なので平静は破られない。視界を人々の営みから空へ転じると無数の星々が瞬いている。次いで深く息をつき漆黒の空間に支配されそうになった知を吹き上がるジェットサウンドが呼び覚ました。


「フォンッ!」


「しまった、奴の顔を見逃した!」


 知は久しぶりに大声を出して笑った。他に誰かいれば奇妙に映っただろう。


 僅か250ccという排気量を4シリンダーで分け合い16本ものバルブを有する精密時計さながらのエンジン。その日本のお家芸に更に磨きをかける刀研ぎ。


「今度、会ったら差しで話してみたい」


 部屋に帰った知はジャケットを脱ぎ捨て灯りを消した。数秒の沈黙の後、大きく背伸びをし、緩んだ頬のままベッドに飛び込んだ。


 それ以来、知は赤い小刀を見ていない。





(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かし等は迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。

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