対立 妙子vsまゆみ
五月になり、花が咲き乱れるようになった。ツツジの桃色の花弁が目に眩しい。
開ききった葉を台座にして、天に向かって衣装を披露しているようにも見える。
北国の遅い春の訪れだ。花壇にはパンジーが愛らしい子犬のような表情を見せている。
雑草の芽も遅いスタートを始め、黄緑色の葉の胎児のような姿を、あちこちに覗かせている。
俺は予備校主催のハイキングの参加を断った。
去年に続き二度目だ。元々集団行動が苦手でもあり、下手に知り合いを作って、勉強の進捗状況をいろいろと詮索されるのが嫌だったせいもある。
二年目の予備校生活だ、馬鹿にされるのは目に見えている。
心の平安と引き換えに、自分を監視する外部の目、切磋琢磨する仲間を得る機会を失う。
ゴールデンウィーク中は家にいた。近所のおばさんが来ると、自室にこもった。
二浪目と言うこともあり、近況や将来の志望校、決意の程等を尋ねられるのが、心苦しかった。
やる気はあるのだが、変な期待感というべきレベルの楽観的な心情でしかなく、去年一年を無駄にした傷を覆うだけの効果はあるが、それゆえに心底追い込まれる危機感にはつながらなかった。
昼食後は、妙に瞼が重くなるので昼寝をした。
睡魔には抵抗するだけ無駄な事は、体がよく知っている。
だからといって眠りから覚めた頭脳が、聡明でよく働くというのでもなく、ただ怠惰な習慣のようになっていた。
うっすらと目を開けると、まゆみが仁王立ちをしている。
「また寝てる。寸暇を惜しんで勉強したらどうなの」
強い口調で責められる。俺は仕方なく机へと向かった。
英語の長文読解問題にチャレンジしてみるが、英単語力不足により、和訳した文章は日本語ではなかった。まどろっこしい言い回しの日本語が気分屋の海蛇のように頭をもたげているような、ゲル状の文章以前の何かしか作れなかった。
彼女は、俺のできそこないの訳文にいらつき、脅しをかける。
背後に立たれる。軽い緊張感が背中から首筋を駆け上がる。
高校時代、教師に背後に立たれた時は不快だったが、今は心地よかったりする。
彼女の頭の匂いが、鼻腔をくすぐる。
もちろん妄想だ。
「単語をちゃんとおぼえないから、いざと言う時に何もできない」
俺の想像力不足で、まゆみはセーラー服を着ている。
女性の服飾に疎いのだから仕方がない。彼女は、俺の背後をうろうろしている。
1時間たったので、休憩を申し出るが却下される。
「きちきち休まないと煮詰まるよ」
「休み過ぎでしょ。あんたは時間が足りないのよ」
英文読解で知らない単語を帳面に書き写していたが、ノートがいつの間にか紛失して二冊目になった。
おそらく、ここにいくら書いたところで、覚えることはないような気がしていた。
機械的に英単語、発音記号、意味の順に並べる。
よくわからないが、一番聡明だった中学時代に比べて、記憶力が後退しているのだ。
その割には、新しいプロレス技の名前、お笑い芸人の芸名とネタなどは、葉にたまった水滴が、茎の元へ滑るように脳にしみこんでいく。
勉強に費やす時間より、娯楽に興じている時間の方が、記憶効率がいい。
まゆみは妙子を呼んだ。
カーキ色のキュロットスカートに黒タイツ、水色のブラウスを着て登場した。
まゆみは、妙子に詰めより、管理の甘さをなじる。
今の俺の惨状をぶちまけて彼女の甘さを糾弾し始めた。妙子はクールにいなし、
「本人がやる気にならなきゃしょうがないでしょ」と俺の援護射撃に回った。
ほくそ笑んで、妙子を応援している自分。受験生としては失格なんだと思う。
「去年もそれで失敗したじゃない。彼には全てが足りないのよ。時間も」
痛いところを突かれている。自分には計画性も実行力も基礎も全てが欠けていた。
その癖、学習意欲はないが、望みだけは高く、去年も実力以上の大学ばかり受けて全滅している。
もし、この頃の自分にもっとコスト意識があれば、無駄な二浪などせずに、実力相応の大学を受けていただろう。中学生時代なまじっか勉強ができたプライドが、現実を直視する邪魔になっている。
「具体的な受験勉強も知らない人が、はっぱかけても仕方ないじゃない」
とあくまで妙子はフォローに回る。言葉に詰まるまゆみ。なぜなら、彼女はあまり勉強が得意ではない不良娘という設定なのだから。
「今後は彼に計画を立ててもらい、それに沿って指導方法を決めます」
妙子が具体案を出すが、俺は楽観視していた。
今まで学習計画を立てたことがない俺が、完璧な計画など立てられるはずがない。
そして妙子が甘やかすことも、まゆみが急かしても決定打にならないことも全てお見通しだった。
現実にいる両親も、俺にはあきれ果てているはず。
勉強よりもお笑い番組やプロレス視聴を優先している俺に対する、批判めいた発言は耳にしている。
それでも、息抜きと言う免罪符と予備校に真面目に通っていることで帳消しにされている。
この危機感のなさはしばらく続いた。
当時の関心ごとは、予備校近くの喫茶店に置かれている落書きノートだった。そこに書きこんで返事がつくのを楽しみにしていた。そこへ1時間ぐらいはたむろしていた。
だが、孤独好きな俺は、リアルでは誰とも交流しなかった。
自分が不勉強なのを悟られるのが嫌で、あえて友好関係を求めなかったと言うのが正しい。