雨
大きな木の根元で、ジュナイルは目を覚ました。
幹に背を預けて眠っていたのである。
彼以外にも、鳥や小動物がこの木の下で安らいでいた。
小高い丘にあり、眼下に平原の広がる場所である。
なだらかな起伏を彩る、一面に広がる鮮やかな緑が、
寝覚めのまなこをやわらかく開かせてゆく。
無数の雫が大地に触れる音に包まれていた。
心地良い、そして優しい音であった。
「…雨か」
緑の向こうの、白と灰の間の色をした雲を見上げ、つぶやいた。
豊かな枝葉のおかげで、濡れてはいない。
周りは、茂みに囲まれている。
身を隠すために選んだ場所だった。
彼は、野宿は苦にしない。
しかし、雨の日には心も少し曇る。
幼い頃の長い旅の間には、雨を遮る物のない場所で
眠る時もあった。
そんな夜には、父が自分のマントにジュナイルを入れ、
掌と腕とで守ってくれた。
それでも、足元を濡らし身体を冷やす雨が
夜通し降り続くのは嫌なものだった。
「…そういや…」
雨音がよみがえらせる記憶を巡らせていると、
ふとジュナイルは思った。
今では、さほど心は曇らない。
新たに刻まれた、賑やかな雨の夜の記憶のせいだろう。
『雨が嫌いになっちまったよな、ジュナイル』
ある濡れた夜、父は言った。
すまなそうな、困ったような、そんな笑顔だったと思う。
『悪いな、オレのせいだ。
けど雨も世界の一部だ、降ってる時にしか見えないもの、景色がある。
旅っていうのは自然の中に飛び込んで、
その豊かさも厳しさも、全てを楽しむものなんだ。
オレもこの世界の一部だって、全身で感じることなんだ。
今は辛い思いもさせちまってるが、
…いつかお前が、雨の日も悪くねえなって正直に思える時が来るといい。
それは、お前の心が満たされてるって証拠だからな』
己の胸に、問いかけてみる。
声が、聞こえて来る。
それは、己の声だっただろうか。
『俺は世界屈指の晴れ男だからな!
雨が少ない快適な旅ができるのは俺のおかげだぞ、みんな!
もう少し感謝してもいいんだぞ』
いや、ともに旅をしているバカの声だった。
奴のおかげかどうかは知らないが、確かに
雨に降られることは減った気がする。
そのために、心が曇る日も少なくなってはいたのだろう。
「お前じゃない、黙ってろ!
今、オレは切なくも美しい思い出に浸っているんだ」
気を取り直して再び、己の胸に問いかけてみる。
ジュナイルは、ふっ、と笑った。
答えはすぐに出た。
「雨の日も、悪くねえな…」
空を見上げて、つぶやく。
そこにいる父に、話しかけるように。
正直に思えたのだ。
空も大地も濡れる風景。
一粒一粒の雫が奏でる音。
いつもと違う、大気や草の匂い。
心が満たされていれば、世界は全て美しい。
父といた頃は、幸せではあった。
それでも、一日一日を生きるのが精一杯の暮らしと
亡き母への思慕とが、幼いジュナイルの心に
ぽっかりと穴を開けていたのだろう。
だが、それを埋める存在と目的とが、今の彼にはある。
だからこそ、自分の過去を知り向き合おうという気持ちも、
前にも増して強くなっている。
「よし…行くか」
軽い朝食を済ませ、ジュナイルは立ち上がる。
目指すは、グランバル山脈。
ジェストールとニーベルムの国境近くに位置する、
無数の山々が連なる場所である。
これまでに、大陸各地の『この辺りではないか』と
いう所は回って来た。
もちろん、全て空振りだった。
実は、グランバル山脈も候補のひとつに入っていたのだが、
不思議と足が向かなかった。
あまりにも険しい地形で優先順位が低かったこともあるのだが、
足が向かなかったというのはまさにそこに故郷が
あるからなのではないか。
そう思えてきた。
だから、行ってみることにした。
それも空振りなら、しばらく故郷を探すのはやめるつもりだ。
ジュナイルは、違う目的を得ることができたのだから。




