獣の原
数分後、ゾルカはハンマー、レイファスは棒を手に
小屋の外に立っていた。
ゾルカは恨めしそうな目つきでハンマーとレイファスを
繰り返しちらちらと見た。
「…くそ…何で俺がハンマーを…」
なぜ馬鹿正直に最も使いづらそうな物を選んでしまったのだろう。
どういう方向に話が転んでもいいように、
無難な選択をしておけば良かった。
レイファスは、それをしたのかもしれない。
彼が選んだ物も使い慣れていなければ戦いやすくはないだろうが、
ゾルカが手にしている、いかにも鈍重という造形の武器よりは
ずいぶんマシに思える。
「それでは、最初の訓練を始めよう」
ゾルカの愚痴は気に留めず、ロトは口を開いた。
「ここから西に二時間ほど歩くと『獣の原』と呼ばれる
場所がある。
門のように一対の大きな樹が立っておるのが目印だ。
そこは昔から大型の獣が多くおったのだが、
今では魔物に取って代わられておる。
迷い込んだ獣は瞬く間に襲われ、魔物同士の争いも
日がな一日。
知る者は決して近寄らぬ魔境じゃ」
話の先が見えてきた気がして、ゾルカはうすら寒い心地になった。
剣の修行に来たのである。
なのになぜ、ロト自らが魔境などと形容する、
物騒なことこの上ない場所の説明を受けているのか。
「ロトさん!
そんな危ない所にある何かを取って来いって
言うんじゃないでしょうね」
「いいや、違う。
そこで一週間生き抜いて来い」
「一週間ずっといなきゃいけないの!?
嫌だ!
修行に来て死ぬなんて!」
予想よりもっとひどい話だった。
しかし、ロトは平然としたままだ。
「それならばどこかの街の流派で習うと良い。
単に技術だけを向上したいのならそれでも
ある程度の水準に達することはできよう」
ゾルカの泣き言を一蹴し、断ち切るように言った。
「だがお前が求めるのは強大な敵を打ち倒す力であろう。
それは安全の中では身につかん」
「…」
「短期間で腕を上げるなら生死の境に
身を投じる以上の手段はない。
その中で命を落とすならそこが寿命だったと思うまで。
剣は他者の命も己の命も奪うもの、それを扱う者が
死線に立つことを恐れていては話にならん。
血の臭いもせぬ鍛錬で身につけた強さなど脆く、たやすく崩れる。
お前もレイファスも命のやり取りの経験が不足している、
真剣勝負に魂をさらけ出して来い。
それだけで力量は数倍に跳ね上がるもんじゃ」
「…でも、なぜわざわざ使ったこともない武器で…
俺は剣の修行を…」
「なぜといって、これは剣の修行ではなく
生き延びる力を培うための訓練だからじゃ。
これは精神的なものも含める。
行うにあたっては、条件は不利な方がいい。
剣士だからとて常に剣を使えるとは限らん、
取り落とすこと、損じること、奪われることもあろう。
そうなればひるむことなく不屈の闘志をもって
いかなる武器、身体ひとつでも戦わねばならぬ。
できなければ死ぬだけじゃろ。
人生勝つこともあれば負けることもあるが、
一度の敗北で終わらぬ戦いもある。
生き抜くことができればこそ再起もできる。
這いつくばってでも、泥水をすすってでも
進むことができるかどうかじゃ。
そのために必要なのがお前自身の生き延びる力であり、
それこそがお前の強さの土台ともなる。
そこが脆弱ではいかに剣の技を磨いても張りぼてにしかならん」
「…」
生き延びる力。
そうだ、とゾルカは思った。
あの『青い目』クリング・ルーは、戦闘能力のみならず
その力も優れていたからこそ、単純な強さだけでなく
「どうすれば倒せるのか」と思うほどの脅威を感じたのである。
強いだけなら、それ以上の力をもってすれば倒せる。
ふとしたことで倒れることもある。
しかし生き延びる力、あえて言い換えるなら
しぶとさやしたたかさといったものが備わった時、
剣士として、人間としての強さは何倍にもなるに違いない。
「よし!
わかったよロトさん!
俺たち、生き延びてみせるぜ!」
「…承知しました」
親指を立てて見せるゾルカと、軽く一礼するレイファス。
ロトは、にっ、と笑った。
「うむ!
ではこれからわしが指定する食糧と水、道具を持ち出発せよ。
食糧が尽きたら獣や植物を魔物から奪え。
期間中、獣の原から出ることは禁止である。
どちらかが禁を犯したならもう一方のどちらかが
わしに報告せよ。
失格以外この訓練で優劣はつけない、
一週間後二人そろってここに戻ることのみが成功となる。
よって、お前たちは互いに監視者であるが同時に同志である。
生き残る確率を高めるため補い合い、協力せよ」
「了解ー!」
「…わかりました」
いけ好かない相手。
眼中にない相手。
互いに交わることはないと思っていた道が今、交錯している。
ともに歩む時間と、その先にあるものが二人にもたらすのは何か。
樹齢数百年を数えようかという一対の大木。
その向こうに広がるのが、通称『獣の原』である。
ところどころに背の低い植物や草が生えているが、
それ以外は乾いた大地が広がるばかり。
魔物が占拠するまでは、緑豊かな景色が広がっていたのかもしれない。
吹き渡る風には、血の臭いが混じる。
少し離れた場所に大型の獣の物と思われる骨が転がっており、
日々弱肉強食の争いが繰り広げられていることを想像させる。
「…俺…ハンマーで生き延びられるだろうか…」
「行くぞ」
背負ったハンマーに顔を向けていたゾルカを置いて、
レイファスは迷わず足を踏み出した。
「行くって、どこに?」
「比較的安全に休める場所と水場を探す。
一見すると巨大な岩が並んでいる所もある、
その隙間なら大型の魔物からの襲撃は防げる。
食糧も水も持参した分ではとても足りない、
食べる方は獣なり草なりでも何とかなるが
水だけは水場を見つけなければどうにもできない。
動物や魔物の血を飲み続けるわけにはいかないだろう」
「…奇遇だな、俺が考えていたことと完全に一致している。
現時点では、俺とお前は腕も頭も互角のようだな」
「出発だ」
「ちょ、ちょっと待て、置いていくんじゃない!
…ん?」
何者かの接近に気づいたゾルカ。
巨大な豹のような魔物が、猛烈な勢いで突進してくる。
この獣の原の端で、入り込む獲物を待ち構えていたのだろう。
「で、で、出たな!
来るなら来い、俺のグレートハンマーで…
あ~引っかかる!先っぽが!」
「下がっていろ」
ハンマーを下ろすのに手間取るゾルカに告げ、
レイファスは自分の身長ほどもある長さの棒を構えた。
そのまま、相手との距離がわずか三メートルまで詰まっても
微動だにしない。
あっ、とゾルカは思ったが、魔物が牙をむいて飛びかかったその刹那、
レイファスの身体は瞬時に反応し、棒が魔物の口腔を打ち抜いた。
「野生の獣、そして魔物もそうだが」
肉塊となり果てた巨豹から棒を引き抜きながら、レイファスは言う。
「奴らは優れた身体能力を持つが、技術、思考においては
我々とは比ぶべくもない。
対象がたとえお前でもだ。
隙は必ずある、冷静さを失うことなく対すれば勝てる」
「…うん…今、俺もちょうどそう言おうと思ってたとこ…」
空笑いしつつそう答えたゾルカであったが、内心衝撃を受けていた。
レイファスの腕を初めて目の当たりにしてだ。
ジュナイルからは、かなりの開きがあると宣告されていた。
いくつかの戦いを経て多少は縮まっているかと思ったが、
とんでもなかった。
敏捷な敵の動きを見極め、躍動するその巨躯の一点を
寸分の狂いもなく貫く技量。
彼が、自分を相手にしないはずである。
対すれば、おそらくゾルカは大地に沈んだ巨豹よりもたやすく
彼に敗れるであろう。
死と隣り合わせのこの場所での一週間で、
わずかでもその差は埋まるだろうか。




