虹の雷の魔女
エルトフィアで最大の戦力を持つ赤の騎士団が守るだけあって
ジェストール国内、ことにシャンデラ周辺は現在この大陸において
最も安全が保たれている地域だった。
もちろん広大な国土の全域を常に守ることなどできないので
油断はできない。
それでも、四大国の中では一番危険が少ないと言われていた。
だから、ニーベルム領内に入ってゾルカは驚いた。
一行はシャンデラを出て二日目の夕方に街道を通りかかった
乗り合い馬車に乗り、ジェストール領を順調に進んだ。
そして車上の旅を続け、国境を越えて三十分も進まない内に
馬車が止まり、巨大な野犬のような魔物に
遭遇したことを知ったのである。外はまだ明るい。
「ええ、もう!?
早くない?ちょっと早くない?」
危険な場面のなかったジェストールから打って変わって
いきなりの魔物登場を知らされ、ゾルカは動揺した。
「国境を越えちまったからな、赤の騎士団も
ここいらは手出しできない。
どの国にも言えることだが、境界線の守備は難しい」
そう言うとジュナイルは御者に
「オレたちでやる、あんたらは馬車を守れ」
と告げた。
この馬車には傭兵が四人乗っている。
魔物や野盗を退けるのが役目だが、ジュナイルは自分たちで
魔物を片付けると言ったのである。
「何言ってんの、ジュナイル!?」
「ちょうどいい機会だ、戦闘を知っておきな」
ゾルカに答え、さっさとジュナイルは馬車から降りて
すらりと剣を抜いた。
ムトーも同じ考えなのか、続いて行った。
「仕方ないなー」
つぶやいてフィラミラも降りる。
一人だけ行かないわけにはいかないので、ゾルカも出て行った。
すると、馬車のおよそ十メートル前方に五頭の魔犬の姿があった。
敵意むき出しで、今にも走り出さんばかりに唸り声を上げている。
旅慣れているだけあってジュナイルの様子はいつもと変わらず、
この場面でも冷静だった。
ムトーも落ち着き払い、フィラミラはというと後方に引っ込んで
完全に人任せという姿勢で、ゾルカだけが浮き足立っていた。
少人数での魔物との戦いは、子供の頃に森で出くわして以来である。
あの時は助けが入ってくれたが。
「よよよ、よーし、来い魔物!この俺が義烈の剣を…」
「よせ、声が上擦っているぞ。
お前はまだまともに戦闘を経験していないんだろう、
戦場の空気ってもんがある。慣れろ」
「え…」
滑るように動き出すジュナイル。
五頭の魔犬は前に出た彼を標的に定めたが、
ジュナイルは囲まれぬよう右端の魔犬に素早く接近し、
飛びかかろうとする面を水平に裂いた。
次いで右手から左手に投げるようにして剣を持ち替え、
左から迫る敵を斬り落とし、その後ろから現れた相手は
動きを見極めて刃を向け、自ら串刺しになるように仕向けた。
残る二頭は、ムトーが拳で大地に沈めていた。
戦場の空気とやらに慣れる間もなく、片が付いてしまったのである。
「…ムトーは見た目どおりだけど、
ジュナイルもこんなに強かったのか」
足元に横たわる魔犬の死体を見下ろしながらゾルカが言うと、
剣を納めてジュナイルは肩をすくめた。
「伊達に大陸中を回ってないってことかな」
「あんたがやればいいじゃん勇者を!」
「いやいや、冗談さ。
この魔物はさほど強くない、体も野良犬より
二回りばかり大きい程度だしな」
「…しかしムトーの腕力もすごいな…思った以上の怪力」
「いえ、これは怪力ではないのです」
「え?」
「我が主エウリスのご加護により私の力が高められているのですよ」
「…いや、ムトーの腕力そのものだと思う…
フィラちゃん、どうだった?君も戦えそう?」
「うん。
あのくらいのスピードなら楽に魔法を組み立てられそうかな」
あっけらかんとして、フィラミラは答えた。
高みの見物を決め込んでいたわけではなく、
頭の中で参加して訓練をしていたようだ。
話しているだけではそうとは感じないのだが、
彼女は魔導に関しては優秀だった。
それを実際に使用することについて、興味がわいているのだろう。
「あまりうろたえるなよ、ゾルカ。
数分おきに出くわすなんてことはないだろうが
魔物なんざ今や街の外を歩いてる人間様より数が多いんだからな」
魔犬との遭遇に驚き心を揺らすような神経は、このパーティーでは
ゾルカしか持ち合わせていない。
先は長く、戦いも続く。
ゾルカは早く『戦場の空気』に慣れなければと思った。
「次だよ、次!次は任せてくれ」
「そうか。喜べ、早速その機会が訪れたぞ」
「へ?」
ジュナイルが視線を送る先。
そこには、十数名の人相の悪い男たちの姿。
その数に、ゾルカは怯んだ。
「…な…何なんだろうね、あの人たち…
あんなにたくさん馬車には乗れないな、
御者さんにその旨伝えていただいて…」
「金目の物を全部出しな!
そうすりゃ命は取らないでおいてやるぜ」
現実逃避しようとするゾルカの言葉をかき消すように、
男たちの中の一人のだみ声が響き渡った。
野盗である。
馬車の中から、乗客たちの怯えの声が漏れてくる。
相手の多さを見て加勢しようと、
四人の傭兵が険しい表情で近くに来た。
その間に、ムトーが野盗たちとの距離をいくらか詰めた。
そして、朗々たる声で呼びかける。
「このような行為は神の御心に背き、人の道に外れるもの。
今すぐに武器を納め、立ち去りなさい」
「その図体でまさかとは思ったが白ずくめの服装、
神官様かよ」
野盗の内の四人が、薄ら笑いを浮かべながらムトーの前に出た。
彼の巨体にはやや驚きがあるようだが、
数で優位に立ち気が大きくなっている。
武器を抜いているということもあったろう。
「ありがたい説教、恐悦至極ってやつだけどな。
残念ながら、俺らのようなモンにとっちゃそういうの、
虫酸が走るんだよッ!!」
怒鳴りながら、野盗は剣を振りかぶる。
その瞬間、彼は紙屑の如く後方へ吹っ飛んだ。
あまりに軽々と宙を舞ったので、他の野盗たちは目と口を見開いて
仲間の描く放物線を凝視した。
一方、ムトーは悲しげな眼差しを彼らに向けている。
「…あなた方は、魔物ではなく人…拳などは使いたくない…
しかし、私の未熟ゆえ言葉では止められぬのならば、
力無き善良なる方々を守るため、あなた方を人の道に戻すため、
この想いを鞭に、この心を鉄に!
ですが神の教えは慈悲深きもの、最後に今一度機会を…
ここで悔い改めれば拳は使いません。どうしますか」
「もう使ったじゃねえか!見ろ、あいつ泡吹いてやがる!」
野盗の一人が抗議した。
先程飛ばされた男は、地面に転がり起き上がる気配はないが、
生きてはいる。
「彼に使ったのは拳ではなく平手です」
「何をしゃあしゃあと!この野郎!」
ムトーの前にいた三人が、一斉に襲いかかる。
その行動を目にしたムトーの顔から、悲しみが消えた。
怒りではない。だが、激しさを秘めた決然とした瞳。
「神よ、お許しを!
今ッ、私はッ!!
この拳をもって、悪に魅入られた者たちを正すゥゥゥゥゥッッッ!!!」
豪音とともに先程の男よりさらに長い距離を吹っ飛ぶ三人の野盗。
敵のみならずゾルカの顔にも恐怖の色が満ちた。
「…も…もうちょっと優しく正してもいいんじゃない…
完全に折れたよ…骨の二、三本じゃ済まないよ、あれ…」
「中途半端は一番悪い、ってな。
さて、まだ十人以上残ってるがどう出るか…」
再び剣に手を掛けながらジュナイルが言うと、
「はいはい、下がってムトー君、ジュナイル君、デス君」
後ろからフィラミラの場違いにのんきな調子の声が聞こえた。
振り返ると、彼女の左手の人差し指の先に赤い雷が
ばちばちと弾けていた。
「撃てるのか、フィラミラ」
なぜか突然やる気になった彼女をやや意外そうな顔で見て、
ジュナイルが尋ねた。
フィラミラはうなずくこともなく、煌めく紫水晶の瞳を野盗どもに向けていた。
「あんな人数いちいち相手にしてらんないよ。
そこの人たち、やっちゃうからね!覚悟してよ」
魔導士(正確には違うが)がいたことに、野盗たちは動揺を見せた。
彼らは、後方にいる美少女は斧らしき物を背負っていたので
戦士だと思っていたのである。
「シャンデラ魔導学院では虹の雷の魔女と恐れられたこのわたし!
まだ五色までしか完成してないけどその内のひとつ、
赤の雷をくらいなさーい!」
高らかに言ったフィラミラのしなやかな指から放たれる赤い雷。
おおっ、と目を輝かせるゾルカの視線を外れ、
雷は視界の彼方へ。
直後に聞こえた何かの壊れる音のした方を見やると、
馬車の幌の屋根部分が無くなっていた。
そして魔女はというと、雷を発した指先にふっ、と息を吹きかけた。
「惜しい!」
「惜しくない!キミの仕業かこれは!」
ぱちんと指を鳴らして悔しがるフィラミラに、ゾルカは言った。
どうやら彼女の雷が幌を破損させたようだ。
威力は大したものである。威力は。
「…魔導士認定試験に落ちた原因がこれのようだな…」
慌てふためく御者と露天状態になった馬車を眺めながら、
ジュナイルが言った。ムトーも静かにうなずく。
「魔女と恐れられるのもわかるというものですな」
比喩などではなく本当に恐れられていたのだろう。
的を外すにも程がある。
「…ああ。恐ろしいほどのノーコンだ」
だがしかし、当のフィラミラは一向に気にした様子はない。
しばし言葉を失って棒立ちになっていた野盗たちに向かって、
再度指を向ける。
彼女の魔法の精度を知ったゾルカは、慌てて止めた。
「ま、待った、フィラちゃん!
撃つな、撃つんじゃない!」
「大丈夫!わたし、まだまだいけるよ。
わたしの絶大な魔力は…
たとえ百発外してもたった一発、命中させるためにある!」
「いや、違うよ!
ちゃんと当てる練習してェェェェ!
そんな決め台詞みたいなかっこいい言い方されても、
狙われているはずのあの人たちと同じくらい
俺たちも危ないから!」
「ちょっと待て!
俺たち、帰る!帰るから撃つな!
どこに飛ぶかわからないのに平気で魔法を
ぶち込もうとする魔導士なんか相手にできるか!」
野盗の頭らしき男が懇願するように言った。
狙いをつけられて狙いどおりに飛んで来るのならまだ
かわせるかもしれないという気もするが、
めったやたらに撃ちまくられてはそれも難しい。
彼らは気絶した連中をムトーが治療してくれたことに
感謝を述べ、そそくさと立ち去って行った。
「…ありがとうございました…」
危機が去り乗客たちがほっとする中、
御者が複雑そうな表情でゾルカたちに頭を下げた。
あの規模の野盗団に出くわすのは非常に稀である。
傭兵だけでは手に負えなかったので感謝はしているのだが、
魔物と野盗を撃退してくれた一方で
馬車の屋根を破壊されてしまったのだった。
「…いえいえ、どういたしまして…
そして、すいません…」
顔を引きつらせながら、ゾルカは答えた。
馬車を破損させた張本人は、にこやかに
「いやー、めんごめんご」
と言ってさっさと馬車に乗り込んでいる。
その明るさと彼女の美貌に誰も何も言うことはできなかった。
「アクシデントはあったが全員無事だったんだ、
結果オーライってことで手打ちにしようぜ大将!
さあ先を急ごう、空を眺めながら馬車に揺られるのも
乙なもんさ。
あとは雨に降られないよう神官様に祈ってもらおう」
「雨も人によってはいい天気。天の意思に委ねましょう」
「それなら任せろ、俺は世界屈指の晴れ男!
運動会も遠足も雨だったことは一度たりともないぜ!
御者さん、お願いしまーす!」
ジュナイルとムトー、ゾルカも幌の中に消えた。
何とも前向きな一行だと思わず笑みを浮かべてしまった御者は、
彼らを讃える声で賑やかになった馬車を再び前へと進ませたのだった。




