青と黒
オルタ川は、アルトリアの西にある。
距離はさほど離れておらず、
デスゾルカは三時間ほど歩いて川岸に出た。
幅が広く大きな川で、流れはかなり速いようだった。
周囲に人の姿は見えない。耳に飛び込んでくるのは、
心を削り砕いてしまいそうな冷たい川の声だけ。
デスゾルカが帰宅が遅くなり
街からの脱出も遅れたということもあるが、
川にぶつかる西より街の南側へ抜けた人々の方が
多かったのかもしれない。
東へ行くと海に出るし、北は林と台地しかないので
そちらへ向かった人はあまりいないだろう。
暗闇の中、流れを眺め、その音を聞いていると
恐ろしさと心細さが生まれ膨れ上がってゆく。
足早に、川に沿って歩き始めた。
ほどなくして広くなっている岸に出ると、何かにつまづいた。
今夜は新月。ここまで歩いて来て闇に目は慣れてきたが、
足元に何があるのかわからない。
デスゾルカは、魔導の力を持つ照明器具を灯し辺りを照らした。
すると、驚くべき光景が浮かび上がった。
倒れている人々が多数いたのだ。
いずれも、すでに絶命している様子である。
もう変わることのない表情には、恐怖が刻みつけられていた。
「…み…みんなやられたのか…!?
母さん!エリエル!」
地獄のような恐ろしい状況であったが、全身を襲う戦慄より
家族もこの中にいるのかという不安が勝った。
叫びながら、デスゾルカは母と妹を探し回った。
しかし二人の姿も、動く者の姿も見つけることはできなかった。
暗い予感が、大きくなっていく。
母と妹は、もうこの世にいないのか。
これからどうすべきなのか。
川の流れの淵に立ち目をこらしても、向こう岸の様子はわからない。
言葉を交わす相手も行くあてもないまま、
デスゾルカは進むべき道を必死に思案した。
その時、背後にぞくりとする気配を感じた。
それまで周囲には一切何者の気配もなかったが、
異空間から扉を開いて異界の住人がそこに現れたかと
荒唐無稽な想像をしてしまうくらい、
前触れもなく突然のことだった。
今まで経験したことのない異様な空気が、辺りに満ちる。
額に、脂汗が流れた。
何かが、後ろにいる。
人?
獣?
どちらでもない何か?
見当もつかなかった。
が、自分にまとわりつく異様な空気の正体を、
今この場面で呼び覚まされた本能で看破した。
殺意だ。
先刻の魔熊の、獲物を見つけた獣に似たものとは全く違う。
比較にならぬほど強く、明確で、鋭利だった。
このままでは死ぬ。
そう直感したが、身体が金縛りにあったように動かない。
声を出すことすらできなかった。
何者かはわからないが確かなことは、
背後の何かはデスゾルカを殺そうとしている。
動けなければ、動かなければ死ぬのだ。
腰には、レビブレイドがある。
父リグルスの言葉が頭をよぎった。
『抜く時には覚悟を決めろ』
――――腕は無い。
だが、デスゾルカには今、生半ではない心がある。
『死にたくない』と。
そのために、覚悟を決める。
命のやり取りに飛び込むことを。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
デスゾルカは、吠えた。
解き放たれたように、身体が動く。
「おれは、…おれは、未来の勇者だっっ!!」
レビブレイドの柄に手を掛け、振り返る。
回転の力が加わり、剣が抜き放たれた。
重い。
バランスを崩した。
同時に、左頬に鋭い痛みが走った。
体勢が崩れていなければ、首が飛んでいただろう。
デスゾルカは、後ろ――――
すなわち川の方へ倒れながら何とか剣を振り抜いた。
かすかに手応えがあった。
光をも吸い込みそうな水の中へ落ちる直前、
彼は背後にいた者を目にした。
何かをまとっているのか顔の一部しか見えなかったが、
恐ろしく冷たい瞳が研ぎ澄まされた刃の如き鋭い光を放っていた。
レビブレイドの切っ先が頬を裂いても
眉ひとつ動かしていないようである。
ただただ、闇の中に光る氷のような青い双眸だけが
脳裏に焼きついた。
「残念だったな…!
おれは絶対、死なない…死なないもんね…!」
そう叫んだのは、意地だったのだろうか。
直後、デスゾルカは暗い川に沈んだ。
荒々しい流れが、一瞬で彼を飲み込みさらってゆく。
やがて意識は遠のいていき、全てが漆黒に包まれた――――――




