8話 飛行
深夜。気づけば辺りは暗くなり、先ほどまで聞こえていた話し声も無くなっていた。国立公園は静寂に包まれている。
どの仮設住宅も明かりを消し、皆が寝静まっていた。深い闇の中で、月が控えめにその存在を主張している。
そんな中、一軒だけ明かりを点けたままの仮設住宅があった。もう夜中だというのに、カーテンの隙間からは明かりが漏れ、微かに話し声が聞こえていた。
「そろそろいいみたいだな。よし、行くぞ」
「ふわぁ……りょーかい」
「早く行こう!」
皆が寝静まった時を狙って囁き声でクロエが合図を出す。七海は眠い目を擦りながら頷き、一花は我先にと玄関に向かう。
仮設住宅に到着して少しした時に、クロエは二人にこの後の予定を伝えていた。
これからのことを考えると、戦うときに機動力があった方が良いだろうと判断し、クロエは早い内から飛行訓練をするべきだと提案したのだ。
しかし、日中に空を飛ぶと人目に付くのと、夜でもギアの明かりは目立ってしまうとのことで、深夜に訓練をする事になった。
よほど飛行訓練が楽しみだったのか、一花は勢い良く飛び出そうとする。
「あんまり音を立てるなよ。誰かに気付かれでもしたら拙いからな」
「はーい」
そうは言いつつも興奮は抑えられないようで、ドタバタと急いで出て行く。そんな一花を見て七海とクロエはやれやれと首を振りつつ、一花の後を追って仮設住宅の外へ出た。
外に出ると、途端に暗闇に包まれた。空を見上げれば、月が煌々と輝いている。
身を刺すような強い寒さに襲われ、クロエと七海はあまりの寒さに身震いする。真冬の、しかも深夜に出歩いているのだから仕方のないことなのだが、やはり耐えられないようで、七海とクロエは体を震わせていた。
一方、一花は空を飛ぶのが楽しみすぎるあまり、寒さは意識の外に追いやられているようで、寒さを気にしている様子はなかった。
「さ、さむい。寒すぎる……」
「が、頑張るんだ七海。もう少し人目のないところに行けばギアを装着出来るからな」
「ギアは露出が高いし、もっと寒いんじゃないの……?」
「いや、ギアには防寒機能があるからな。むしろ暖かいくらいだぞ」
「そうなの? ……あー、そういえば、初めて変身したときも寒さが気にならなかったような気がする」
「まあ、あのときは初めての変身だったからな。寒さまで気が回らなかったんだろ。今の一花みたいに」
そう言われて前を見ると、寒さなど感じていないかのように一花がはしゃいでいた。
「……あれだけ無邪気になれたらなあ」
「お前まであんな風になられたら俺が困るぞ……」
クロエが今までのことを思い出し、がっくりとうなだれる。短期間でこれなのだから、クロエよりも長い間一花と一緒にいる七海はもっと大変なのだろうとクロエは思った。
「七海、お前も大変だったんだな……」
「まあね……でも、今はクロエがいるから、大丈夫かな」
「えっ!?」
そんな愛の告白でもするような言葉が七海の口から飛び出し、クロエは慌てるも、七海はそれに気付く様子も無く言葉を続ける。
「苦労が分散されるし」
「だよなー……」
所詮俺はネコだもんな。クロエの呟きは誰の耳にも聞こえず、虚空に消えていった。
少し歩くと、見晴らしの良い丘に出た。後方には木々が生い茂って壁を造っているため、仮設住宅のある国立公園からは死角である。
なおかつ、前方を見ると障害物が一切無く、一花たちの住んでいた町を見渡すことも出来るため、完璧な位置にある場所だった。
丘自体もそれなりの大きさがあるため、飛行訓練をするにはちょうどよかった。
町の方では、自衛隊の警戒線がぐるりと円を描いていた。高いところから見下ろすと、改めて今回投入された自衛隊の規模の大きさが窺えた。
「ここで飛行訓練をするぞ。二人とも、変身してくれ」
寒さが限界に来ていた二人は、クロエの言葉を聞くなりすぐに変身を開始する。
「アクセルギア、インストレーション!」
「ブレイクギア、インストレーション!」
二人が声を発すると、腕に着けたギアが反応して輝き出す。体を覆うように光が現れると、服が密着性の高いボディースーツに変わる。
服の変更が変わると、次々に黒色の装甲がギアから飛び出し、装着されていった。装着が完了すると、一花の装甲には赤い光の線が走り、七海の装甲には青い光の線が走った。
「あ、暖かい……」
「うん、だけど……」
「「露出度が高すぎ!」」
再びギアを装着し、二人は露出度の高さに思わず声を上げる。
「文句なら未来でそれを作った人に言ってくれ……」
クロエはため息を吐く。
前回の変身では非常事態だったために意識が回らなかったが、今回は敵が出たわけでもないため、二人は露出の方へ意識が向かっていた。
ほとんどビキニと変わらないような露出なため、中学生である二人にはかなり恥ずかしいことだった。
「はあ、仕方ないけど、慣れるしかないかな……」
「そんなあ……」
「オイ……」
がっくりとうなだれる一花を見て、クロエがため息を吐く。未来で沢山の死を糧にして生みだされた、人類の英知であり最後の希望であるギアも、露出という点を指摘されて形無しだった。
「そういえばさ」
「ん、なんだ?」
「どうしてこんなに露出してるのに暖かいんだろう?」
「ああ、それは体が不可視のエネルギー粒子で覆われているからな。実際はもう一つ服を着ているようなもんだな」
「ってことはクロエ!?」
クロエの話を聞いた途端、一花が慌てて確認を取る。
「この露出は、露出だけど、露出じゃないんだよね!?」
「何の哲学だよ! はあ、それで良いと思うぞ……」
疲れ果てたクロエを気にせず、一花は飛び上がって喜ぶ。しかし、ギアを装備しているために勢い余って、そのまま空高く飛び上がってしまう。
「うわっと! ……あれ?」
一花が体勢を整えようとすると背中の翼が赤く光って広がり、一花の体を空中に留めた。
「く、クロエ! わたし浮いてるよ!?」
「な!? まだ練習もしてないのに早すぎるだろ!?」
一花は自分が飛んでいることに気がつくと、目を丸くして声を上げる。
「すごいすごい! わたし飛んでるよ!」
一花はそのまま左右に移動し始める。すでに飛ぶイメージが出来ているらしく、慣れてくると結構な速さで飛び始めた。
赤い光が夜空を舞う。とても幻想的な光景のはずなのだが、わーきゃーと聞こえてくる興奮した声のせいで雰囲気は壊されていた。
そんな一花を眺めながら、クロエは本日何度目になるかも分からないため息を吐いた。
「いくらなんでも慣れるのが早すぎだろ……」
「よし、私も!」
一花に遅れるものかと七海が跳躍する。そのフォームは見事だったが、翼は展開されず、そのまま着地した。
諦めずに助走をつけたりするなど工夫を凝らすが、うまく結果に繋がらなかった。
「おかしいなあ……」
「イメージがまだ出来てないんだろうな。もっとこう、あれだ、空を飛ぶイメージを明確にするんだ」
「イメージって言われても、私は人間だからなあ……」
七海がイメージを上手く纏められず、首を傾げる。
「俺もネコだから、飛ぶ感覚は分からないな……ダメ元で一花に聞いてみるか」
クロエは空を見上げる。いつの間にか一花の飛行精度はかなり高いものになっており、縦横無尽に空を飛んでいた。
僅かな期待を胸に、クロエは一花に届くように大きな声で呼びかける。
「おーい、一花!」
「んー、なにー?」
「お前はー、どうやって飛ぶイメージをしてるんだー?」
「えーとねー、こう、シュバーってやるとー、バビューンってなるよー!」
「……ああ、そうか。ありがとな」
擬音しかない一花の説明を聞いて、やっぱりだめだったかと肩を落とす。抽象的すぎて七海も理解できなかったようだ。
「地道にやっていくか……」
「そうだね……」
これは長くかかりそうだなと、クロエは心の中で呟く。結局その日、七海が空を飛ぶことは出来なかった。