72話 静寂
「らぁぁああああッ!」
力任せに振り下ろされた爪は、蜘蛛型の硬さをものともせず叩き切る。手に伝わる確かな手応えに、唯は犬歯を剥き出しにして嗤う。
「次はどいつだッ!」
獣のような獰猛さを宿した瞳は、次なる獲物を探して辺りを見回す。だが、あるのはどこまでも空虚な空間だけだった。
それを見て、唯は不思議そうに首を傾げた。そんな唯に、クロエから通信が入る。
『今の蜘蛛型で最後みたいだ』
「ちっ、そうかよ。つまんねーな」
戦いの終わりを告げると、唯は心底残念そうに呟いた。その後ろでは、無事に戦いを終えることが出来た有希が安堵の表情を浮かべていた。
結局、有希は唯と共に行動をしている。有希自身の実力がまだ足りないため、唯と離して一人で戦わせるのには危険があったからだ。
だが、戦いはほとんど唯が暴れるだけで終わってしまう。有希も離れた位置にいる犬型や鳥型の相手はするが、ゲート付近の強力なイーターは全て唯が倒していた。
有希が戦いに消極的なわけではない。唯の領域に入り込むだけの技量がないからだ。陣内唯という名前を体現するが如く、唯は自分の戦闘領域に有希を受け付けなかった。
ゲートを破壊すると、二人は地下シェルターに帰還した。
唯は地下シェルターに着くと、先ずはフィットネスルームへ向かう。戦場では暴れたりなかったため、フラストレーションを発散しようと思ったからだ。
唯はランニングマシーンで疾走する。機装部隊に入ってから体を動かすのは好きだったが、ここ最近は異常と言っていいほど体を動かすことに執着していた。
唯は静寂が嫌いだった。静かな空間は、デパートの地下に生き埋めになっていた頃を思い出す。イーターに襲われる恐怖から息を殺していた日々は、唯にトラウマを与えていた。
体を動かしていると、そんな恐怖が和らいだ。頭の中から余計な考えを追い出せるからだ。こと戦場においては、力を振るうことで恐怖から逃れることが出来た。
戦っていると、己が生きていることを実感出来る。力を振るえば、己が一人でも生きているのだと思える。だからこそ、唯はどこまでも強くなりたかった。
そのせいか、唯は戦うことに執着していた。戦っていない時間はなぜだか無性に寂しくなってしまう。
普段横で騒がしくしていた有希はいない。何かをしなければあたりは静かになってしまう。唯は、静寂が嫌いだった。
ふと浮かんだのは、舞姫の姿である。舞姫は十年もの間、この孤独と戦っているのだろうか。唯は自分に置き換えて考えると、唯は恐ろしくなった。
「ブレるなよ。あたしは、一人で戦える」
だが、その考えを振り払うため、唯は自分に言い聞かせるように呟いた。そんな考えは甘えであると、切り捨てるために。
運動を終えると、唯は少し休憩をすることにした。幸い、他にもフィットネスルームの利用者が何人かいたため、それなりに騒がしかった。
唯はタオルで軽く汗を拭う。トレーニングウェアは気付けば汗でびっしょりと濡れていた。考え事をしているうちに、いつの間にか長時間トレーニングをしていたらしかった。
それだけハードなトレーニングをしたはずだったが、体にはまだまだ余裕があった。何かしたい。何かをしなければ。そんな強迫観念に囚われてしまう。
唯はスポーツドリンクをカウンターで受け取る。運動で火照った体を冷やしたかったからだ。勢いよく飲み干すと、ぷはあっと息を吐いた。心地よい冷たさが体に気持ちよかったが、期待していたほどさっぱりはしなかった。
そんな僅かな休憩の後、唯は戦闘訓練場へ向かった。




