62話 過去
七海の家は中層の北部にある。寮ほどではないがエレベーターに近いため、窓の外を見れば、機装部隊が出撃するところも見ることが可能だ。
普段は一人でいる七海のもとに、今日は客が来ていた。クロエである。クロエはリビングにあるクッションに腰をかけていた。
「お待たせ、クロエ。コーヒーで良いよね?」
「あ、冷たいやつで頼む」
「了解」
にこりと笑みを見せ、七海はキッチンに向かう。少しして、七海がアイスコーヒーを片手にリビングに現れた。もう片方の手には温かいココアの入ったカップがあった。
「はい、出来たよ」
「ああ、ありがとな」
「どういたしまして。まあ、インスタントの安いやつなんだけどね」
七海が冗談めかして言う。
時刻は午後十時。クロエは十年前から定期的に七海の家を訪れていた。お互いに仕事があるため、どうしても時間は遅くなってしまうのだ。
昔は七海が一花を失ってしまったことで病んでおり、それを励ますために訪れていた。現在ではその必要はなく、代わりに談笑をしたり戦況について話したりしている。
クロエは受け取ったグラスを口元へ運ぶ。人間用のためクロエには大きく飲み方は少しぎこちなかった。こくこくと音を小さく立てて飲む。よく冷えたコーヒーが喉元を通り過ぎると、仕事で溜まった疲労が少し和らいだ気がした。
向かいを見ると、七海がふうふうと息を吐いてココアを冷ましていた。割と真面目にココアを冷まそうとしている七海が面白く、クロエは少しそれを眺めていた。
ふと、顔を上げた七海と目が合う。七海はあ、と気まずそうに小さく声を発した。
「牛乳買い忘れちゃって」
「そ、そうか……」
しっかり者だが、どこか抜けている女性。それが蒼井七海だった。
クロエはそんな七海の姿に苦笑いしつつ、自分のアイスコーヒーから氷を取り出す。
「氷、一個いるか?」
「うん、ありがと」
七海はようやくココアを飲み、一息ついた。
「それで、今日はどうしたの?」
七海が尋ねると、クロエは居住まいを正した。その様子から真面目な話だと察し、七海も真剣な表情を浮かべる。
「明日、有希が出撃する」
「――そっか」
やはり、といった様子で七海は頷いた。その言葉を予想していたらしく、七海は多少驚きの色を見せるも、クロエが予想していたよりも落ち着いて見えた。
「時期的に、そろそろだもんね。わざわざ伝えに来てくれたの?」
「ああ。七海は有希の心配をしているだろうからな」
「なら、なおさら知らせない方が良いんじゃないの? 私さ、心配性だから眠れなくなっちゃうし」
そう尋ねる七海に、クロエは首を振った。
「七海だって、有希の初陣くらいは見送ってやりたいだろ?」
そうだろうと肯定を求めるクロエに、七海は微笑んだ。
「うん。毎回は仕事があるから難しいけど、初陣くらいはね」
七海は有希の初陣を脳内で描いた。妹のような、娘のような。そんな有希が機装部隊の一員として立派に戦うのだと思うと、七海は心配になるが、それ以上に誇らしく思えた。
七海と有希の出会いは十年前に遡る。当時、生活できる程度には精神も回復していた七海だったが、それでも一花を失ったショックは大きく、立ち直れてはいなかった。
そんなときに出会ったのが有希である。家にばかりいる七海を心配したクロエに連れられて、七海は地下シェルターを散歩していた。七海は、金属に覆われて冷たさを感じる地下シェルターはあまり好きではなかった。
だが、七海が精神を病んでいた内に、地下シェルターはいつの間にか暖かさを感じさせる空間になっていた。相変わらず剥き出しの金属は冷たいが、人々の暮らしがそれを打ち消していた。
広い道では屋台が並び、町を歩く人たちもどこか楽しげである。滅亡の危機に瀕していたとは思えない様子に、七海は非常に驚いた。
『七海もなにか食べるか? ちなみに串焼きがオススメだ』
『じゃあ、それをお願い……』
弱々しい声で言うと、クロエはおうと頷いて屋台へ買い物へ向かった。それを待つ間、七海は人々の営みを観察していた。
ふと、視界の端にちらりと小さな女の子の姿が映った。まだ学校に通う年には見えず、七海はそんな女の子が一人で歩いているのが気になり、話しかけてみた。
『ねえ、一人でなにやってるの?』
七海に声をかけられると、女の子はくるりとターンするように七海の方を向いた。それに合わせて、女の子の髪がふわりと楽しげに舞った。
『ぎあふぉーすを見にいくの!』
『へえ。好きなんだ?』
『うん! すごくかっこいいんだよ!』
目をきらきらと輝かせて、女の子は機装部隊について語り出した。帰還の際は必ず凱旋道に見に行っていること。少女たちが手を振ってくれたり、微笑んでくれたり。疲れているだろうにそれを見せまいとする少女たちの姿は、女の子の瞳にはとても強いものに映った。
小さな手足をぱたぱたと動かし、大げさな身振り手振りで説明する姿が微笑ましくて眺めていると、ふと、七海の頬を雫が伝った。それを見た女の子が首を傾げる。
『おねーさん、ないてるの?』
『え? あ、あれ……?』
涙で滲んでしまった視界の中で、機装部隊に憧れる女の子の姿が、一花と重なって見えた。もう一花はいない。その事実が、改めて感じられた。
七海は今にも声を上げて泣き出しそうだった。当時の七海はまだ十四歳である。友達を失うには、まだ早すぎる年齢だった。
女の子はポロポロと涙をこぼしている七海の姿にあたふたと困惑するも、意を決して七海に声をかける。
『おねーさん、しゃがんで』
『えっ?』
『いいから』
女の子に言われるがままに七海はしゃがむ。すると、女の子は七海の頭を抱え込むように抱きしめた。小さな手を一生懸命に動かしながら、女の子は七海の頭を優しく撫でる。
『だいじょうぶだよ』
その暖かさに触れ、七海は我慢できずに泣いた。悲しみを吐き出すように。辛さを吐き出すように。溜め込んだ負の感情が津波のように押し寄せて、防波堤を失った七海はひたすら泣き続けた。
女の子は七海が泣いている間、ずっとその頭を撫でていた。その姿は幼いが、聖母のような慈愛の表情を浮かべていた。
これが、当時四歳の有希との出会いであった。
地下シェルターに避難する際に有希は親を失っており、現在は一人ぼっちであることをクロエから教えられると、七海は有希の面倒を見たいとクロエに頼み込んだ。クロエとしても断る理由はなかったため頷いた。
ここから、七海と有希はしばらく一緒に暮らし、その後有希が一人暮らしを始めてから今に至るまでその付き合いは続いる。
そんな有希が機装部隊として初陣を迎える。ならば、それを見送りたいと思うのも当然のことだった。
「明日の七時前にエレベーター前にいれば、有希と会えるはずだ」
「七時前だね、分かった」
七海は頷く。有希のことだから寝坊して朝食をとる余裕がないかも。なら、お弁当でも持たせよう。メニューは何が良いかな。
明日の見送りに向けていろいろ考えながら、七海は準備を始めた。




