5話 状況
翌日、日曜日の朝。クロエに呼び出され、一花は七海の家に向かった。クロエ曰く、説明したいことや、今後についての話し合いなど、いろいろと話題があるとのことだった。
一花は七海の家に向かう道中、ずっと七海のことを考えていた。七海の怪我は酷いもので、現代医療では対応の難しいものだったが、クロエ曰わく命に別状はないとのことだった。
傷は七海の持つブレイクギアの治癒力増強によって傷は治ると聞いているとはいえ、一花は不安を抱いてしまう。
表面上は回復したとしても、精神面の影響を考えると、心配をせずにはいられなかった。
腕を失ったときの七海の表情を、一花は一日経った今でも鮮明に思い出すことが出来た。いろいろなものが混じり、それが何の感情なのか形容することが難しいほど、七海の表情は複雑に歪んでいた。
一花のイメージにある七海は、少なくとも、ちょっとやそこらの物事には動じない強く頼りになる人物だった。
その七海がああなってしまうほど、イーターに腕を喰い千切られた痛みは酷いらしいが、それを体験したことのない一花には、それがどれだけ辛いものか想像することは出来なかった。
今回は大丈夫だったが、次回も大丈夫だとは限らない。もしかしたら自分も酷い怪我を負ってしまうかもしれない。
一花は体をぶるりと震わせるが、その責任は冬の寒さに押しつけられた。
七海の家に着くと、一花はインターホンを押した。少しして七海の母親が現れ、一花を七海の部屋に案内する。
部屋の前まで来ると、七海の母親は「ここが七海の部屋よ」と言い、去っていった。
「七海、来たよ」
一花が声をかけると、中から七海が出てきて一花を迎え入れる。中にはクロエも居た。暖房がついており、部屋の中は暖かかった。
部屋の中は青や水色のものが多かった。大きなベッドが端にあり、部屋の中心には小さな机と、幾つかクッションが置いてあった。それを見て、一花は七海のブレイクギアと同じ色だなと思った。
部屋にはあまり余計な物は無く、七海のさっぱりした性格がでているように思えた。
一花は適当な場所に座ると、七海の方を見る。
七海は部屋が暖かいためか、薄着だった。半袖のシャツから出た腕はきれいに治っており、喰い千切られたのが信じられないくらいだった。
七海は一花の視線に気付いたのか、
「いやー、ごめんごめん。心配させちゃったよね」
と、明るい声で言う。多少気にしているようでもあったが、精神的にも回復したようだった。
「よかった……」
七海の様子を見て、一花は安心する。七海の家にくる途中に抱いていた不安が取り払われ、一花は安心する。
ギアの治癒力増強効果は想像以上のもので、傷跡一つすら残っていなかった。
いくら体の傷が回復しても、心の傷までは治せない。クロエからそう言われ、一花は、七海が酷く傷ついているのではないかと心配していた。
七海はいつも明るく、優しく、そして頼りになる存在だった。その七海のことだから、無理をして気丈に振る舞っているのではないかと、一花は思った。
しかし、今の七海の様子を見て、一花は安心した。七海は普段と何ら変わりのない明るい笑顔で再度「大丈夫だってば」と言った。
七海の様子に異常はなかったため、一花は安心する。やっぱり七海は強いなと一花は思った。
一段落つき、七海もクッションの上に座る。水色の星形クッションは、七海のお気に入りのクッションだ。
昨日の出来事のせいか、部屋の中の空気は重い。二人が落ち着いた頃を見計らって、クロエが二人の間に立った。
「よし、じゃあ始めるぞ」
クロエが言うと、二人は真面目な顔でクロエの言葉に耳を傾ける。
「まず、昨日の戦いについてだが、まあ、思った以上に戦えていたな。まだ慣れていない分、失敗はあるだろうけど、それでも初めてにしては上出来だ」
クロエの言葉に一花は喜ぶ。七海は足を引っ張ってしまったという気持ちがあるせいか、表情は固いままだ。
「けど、これから先、敵はもっと強くなる。波がくる度に敵はさらに強くなっていくだろう」
「あ、クロエ」
「ん、なんだ?」
クロエの話の最中に七海が疑問を抱き、質問する。
「前から思っていたんだけど、その波っていうのは何なの?」
「ああ、そうだな。この際だし、全部説明しておくか」
そう言うと、クロエはどこから出したのか、タブレット端末を二人の前に置いた。デザインを見る限り、現代の物ではなかった。
「先ずはイーターに関してだな。お前たちが戦った犬みたいな奴、あれはイーターの一種だ」
クロエはタブレット端末に犬型の映像を映し出す。背景が見たことのない場所なのは、恐らくクロエの来た未来での映像だろう。
「イーターは基本的に形を持たない。だが、戦うときだけはその術を得るためになにかしらの形に擬態するんだ」
「それが昨日戦った犬型なんだね」
「ああ。あいつ等は基本的にその星にいる生き物に擬態する。擬態っていっても形だけで、見ればすぐに区別できるけどな」
クロエがタブレット端末を弄り、別の映像を映し出す。そこには色々な生き物を象るイーターの姿が映し出されていた。
「こんな感じで色々な形になるわけだが、個体の強さによって擬態出来る生き物の性能が違うらしい」
「へえ。なら、人型のイーターとかも出てくるの?」
「あ、ああ。出てくるには出てくるんだが……」
七海の問いに、クロエが眉をひそめて顔を背ける。何か言いにくいことがあるのかと思い、七海は首を傾げた。
クロエは再びこちらに向き直ると、口を開く。
「イーターは基本的には擬態するだけだが、強い個体になると別の方法で形を得ようとするんだ」
「その方法って?」
「相手を取り込むんだ」
「ふぇ?」
一花が首を傾げる。クロエの突然の言葉についていけていないようだった。
「だから、相手を取り込むんだ。相手を取り込むことで体を得る」
「取り込んじゃうの?」
「ああ。そして、生き物を取り込むような個体は相当強い。最低でもギアの力の八割以上はあると思って良いだろうな」
「八割……」
「そのレベルの相手だと命の危険を伴うだろうから、一人でやらず、必ず二人で戦ってくれ」
「うん、わかったよ」
一花が力強く頷くと、クロエも満足したように頷く。
「さて、次はギアについてだが、これは、イーターの力を解析して作ったものだ」
「ほー」
クロエはタブレット端末にギアを映し出した。
「徹底的に研究したおかげで奴らの弱点が分かったんだ」
「そういえばさ、クロエ」
「ん、なんだ?」
「自衛隊とかじゃ戦えないの? ギアを作る前にも仕留めたことがあるんでしょ?」
「うーん、戦えなくもないが、気休め程度にしかならないだろうな。今のお前たちの一撃は核に匹敵するくらいだし」
「そんなに強いの!?」
「ああ、そりゃあ、未来の技術の結晶だからな」
「なるほど」
未来の技術の結晶という言葉を聞き、一花は納得する。同じような理由を何かの番組で見たことがあったからなのだが、それが何かまでは浮かばなかった。
「それに、最初にイーターを仕留めたのはどこかの国が撃った核だったしな」
「そうなの?」
「ああ。たまたま残骸が残っていたのを俺たちが回収したんだ。アレがなければ、ギアを作ることも出来ずに人類は滅んでただろうな」
「そっか、そんなに大変だったんだね」
頷いた後、七海はふと気付き、疑問を口にする。
「でも、なんで未来で使わなかったの?ギアを持ってくるより、向こうで戦った方が設備も整っていたんじゃない?」
「設備は整っていても、生き残りが少なすぎたんだ。あの時代を救ったところで、もう、手遅れだったんだ……」
「そう、なんだ……」
クロエの話を聞き、二人は言葉に詰まる。クロエが居た未来は、それだけ多くの人間が死んだという事だった。
もし、クロエが来なかったならば、一花や七海も死んでいたのかもしれない。
「そこで、この時代に転送されたのが俺なんだ」
「そういえばさ、なんでクロエは喋れるの?」
「ああ、それはだな……」
クロエは立ち上がると、身につけている首輪を指差した。
「これはいわゆる翻訳機だ。他にも異空間収納とかの機能もある。ギアと同様に、イーターの死骸から得た技術だ」
クロエはタブレット端末を指差して、それを消して見せた。異空間収納を使っているらしく、もう一度指を指すと、タブレット端末が現れた。
「未来では如何せん人手が少なくてな。まさに、猫の手も借りたいって状況だったんだ」
「あ、あはは……」
あまりウケなかったことにクロエは肩を落とす。しかし、クロエの冗談で、少し空気が軽くなった気がした。
「後は、波についてだな。波は、イーターが現れるゲートが出現することだ。回数は不明だが、結構な回数あったはずだ。それを頭に入れてくれればいい」
「りょーかい」
「クロエ、昨日あんなことがあったけど、町はどうなってるの?」
ふと思い出し、一花が疑問を口にする。思い出したのは、赤く染まってしまった、見慣れていたはずの光景だ。
「それはだな……これだ」
クロエはタブレット端末を操作すると、二人にその画面を向けた。二人がのぞき込むと、そこには町を囲うように引かれた自衛隊の警戒線があった。
戦車をはじめ、様々な兵器を配備してあったが、二人にはその用途が分からない。自衛隊は少しの隙間もなく町を囲っていた。
「昨日の波に気付いて、自衛隊が動き出したみたいだ。おそらく、各国の首脳陣にも伝わっているだろうな」
「よかった、自衛隊が来たんだね」
「いや、あまり良いとは言えないな……」
「ふぇ? なんで?」
「確かに戦う上では役に立つかもしれないが、囮になったり、僅かに傷を付けるくらいにしかならないだろうな」
そう言われて、二人は昨日のことを思い出す。
交番に駆け込んだとき、中にいた警官に助けて貰った。警官は非常時と判断し、発砲。
しかし、銃弾は犬型の体を貫くことはおろか、掠り傷一つすら付けられなかった。
二人は、銃がイーターに対して無意味なことを悟る。
「まあ、戦車やその他の兵器なら“当たり”さえすれば“掠り傷一つ”くらいにはなるだろうな」
「そんな……」
「だからこそ、ギアがあるんだ。使いようによっては、自衛隊も利用できるだろうし」
先ほどクロエの言っていたギアの一撃は核に匹敵するという言葉を思い出し、それはあながち間違いではないのだろうと七海は思った。
「ねえ、クロエ」
「ん、なんだ?」
「クロエは自衛隊にこの話を教えたりしないの?」
七海が尋ねるが、クロエは首を横に振る。
「いや、無理だ。信じて貰うことは難しいだろうし、なにより、俺たちの身も危なくなる」
「自衛隊は協力してくれないの?」
首を傾げる一花と七海。クロエは難しい表情を浮かべながら口を開いた。
「おそらく、自衛隊はギアのテクノロジーを欲しがるだろう。最悪の場合、無理やりに没収される可能性もあるだろうな」
「そんな……」
「まあ、イーターを倒すまでならそれでも良いかもしれないが、その先、戦いが終わったあとにこれが残るのは危険だ」
「そう言われてみればそうかも……」
「ふぇ? なんでダメなの?」
七海はクロエの話を聞いて納得したが、一花はまだ理解していないようだった。
「そうだな……例えば、今、この国は領土問題とかがあっただろ?」
「うん」
「そこに、ギアのテクノロジーがこの国に渡るとする」
「うん」
「そうなればこの国は、自分たちにはほとんど死者を出さずに、相手国を壊滅させられるようになる」
「うん」
「それだけパワーバランスが崩れるってことだ。ギアのテクノロジーは地球を滅ぼしかねないんだ。分かったか?」
「うん」
「……オイ、一花。さっきから『うん』しか言ってないよな?」
「うん」
「好きな食べ物は?」
「うん」
「好きなゲームは?」
「うん」
「…………」
「うん」
「だあああああ!」
クロエが叫ぶ。しかし、クロエの叫びを気にすることもなく、一花は機械のように固まったまま動かない。
七海は一花の前で手をぶらぶらと振るが、反応はない。
「おーい、一花、一花ってばー」
「うん」
「ダメだこりゃ。話が難しくて一花がフリーズしてるよ」
「そんな馬鹿なあああああ!」
叫んでから、クロエは床に突っ伏した。残された七海は苦笑いするしかなかった。
固まった一花と突っ伏したクロエ。二人が元に戻る待て、七海は何度もため息を吐いた。