37話 有希
地下シェルターは地表から百メートルほど下に構えられている。その造りは三層に分かれており、上層、中層、下層の三つだ。
上層は見晴らしがよく、建物はほとんどない。あるとしても、固定砲台を操作するための管理室くらいである。
基本的に上層は訓練などに使われている。地表にもっとも近いためイーターの侵入などの非常時にはこの場所で迎え撃つことが想定されている。そのため、ここを利用するのは軍人か一部の研究者くらいである。
中層は大半が居住区となっている。この時代においても学校や店があり、人々が利用している。
また、中層の中央には会議室や研究施設が密集しており、都市機能の大半がここに集まっている。
上層は平地であるのに対して、中層は金属製の細長い足場が入り組んで出来ている。建物も多いため見晴らしは悪いが、現状では解決の兆しは見えない。
下層はまだ開発中である。名義上は下層とされているが、実際はまだ岩盤がむき出しになった穴でしかない。工作機装の持ち場は基本的にここである。
とある日の朝。
朝と言っても時計の針が七時を指しているだけで、空は見えない。地下シェルターにおいて、空を見ることは叶わないのだ。
慌ただしく足音が響く。金属の足場の上を走る音だ。
それ自体は、特に目立つものではない。居住区である中層において、朝の時間帯は皆が慌ただしいものだ。
足音は少女の物である。名前を識世有希といい、特別学校に所属する少女である。
有希は栗色のセミロングの髪を揺らしながら、慌ただしく走っていく。道行く人たちは転んでしまうのではとハラハラしながら道を譲ったりしていた。
有希の目的は一つ、機装部隊の凱旋を見ることである。
今回の任務は、地下シェルターの地表から十キロほど北に行ったところに現れたゲートの破壊、及び周辺のイーターの掃討である。
地下シェルターにおいて機装部隊の帰還を迎えるのは恒例となっている。上層からエレベーターで降りてきた場所から中央までの道のりで、帰還した彼ら彼女らの苦労を労うのだ。
有希も機装部隊の凱旋を観に来た内の一人である。
中層は金属製の細長い足場が入り組んでいるのだが、唯一、エレベーターから中央までの道だけは大きな金属板で出来ている。
その道は住民からは凱旋道と呼ばれている。かなりの数の露店がここに集まっており、いつも賑わいを見せていた。
有希は近くの露店で串焼きを三つ買うと、凱旋道の上を通る道に移動する。有希は機装部隊の帰還時に毎回ここで眺めている。時間帯によっては学校があるために見られないことも多々あったが、それでも観られるときは観に来ていた。
しかし、今回は違った。
有希は今回、学校に遅刻するのを覚悟して観に来ていた。もしそれが普段通りの凱旋ならば、有希は渋々だが学校を選んだだろう。
ここ一ヶ月の間、地下シェルターの地表付近に何度もゲートが発生していた。そのため、機装部隊も酷く体力と精神を消耗していた。四つの部隊を様子を見ながらローテーションしているとはいえ、短期間に死線を何度も掻い潜ると流石に疲弊してしまう。
そのため、今回任務に当たったのは舞姫である。他の追随を許さない圧倒的な力を誇る彼女に比肩する者は地下シェルター内にはいない。そんな彼女に負担をかけることを申し訳なく思いながらも、高城は会議において決定した。
そんな事情までは知らない住民たちは、地下シェルター内で最強といわれる舞姫の帰還を心待ちにしていた。
しばらくして、エレベーターの扉が開く。そこから現れた女性に誰もが息を飲んだ。
まず目にはいるのは、艶やかで美しい黒髪である。腰の辺りまで伸びたそれは、一歩進む度に艶めかしく揺れて視線を誘う。
だが、それだけではない。黒髪に目を引かれていた人々は彼女の目に気づく。どこか突き放すような冷たさを感じさせる目は、住民たちの心に畏怖を与える。
そんな人間離れした女性だが、その高い身長とは違い、胸はあまり育っていないようだった。頑張ってもBカップに届かない程度だった。
そこまで気づいて、ようやく住民たちは安心した。彼女も自分たちと同じ人間なのだと。誰しもが欠点を持っているのだと。
それまでは女性の発する威圧感に誰もが言葉を失っていたが、いつの間にか親近感が湧いていた。そして、住民たちは歓声を上げ始める。
「あれが、舞姫さんなんだ」
有希が呟く。憧れの機装部隊の中でも最強と言われ、事実そうである舞姫を見て、有希の胸が高鳴った。
「カッコいい……けど」
そこで有希に一つ疑問が生まれた。
「あの人の本名って何だろう?」
本人がその言葉を聞いたら顔を赤くしながら目を逸らしつつ「そ、それが本名よ……」と返しそうな疑問ではあるが、住民たち全員がその疑問を抱いていると言っていいほどであった。事実、皆は舞姫という名前はコードネームか何かだと思っていた。
有希は身を乗り出して舞姫の姿を見る。金属製の足場には手すりもあるが、有希はあまりにも身を乗り出しすぎていた。
「え……うわ!」
故に、転落する。
凱旋道の上を通る足場は少し高さがあった。真正面から見ることは出来ても、近くで見ることは出来ない。身を乗り出しすぎた有希は真っ逆様に転落してしまう。
「殲滅機装――装着!」
辺りに凛と声が響いた。その直後、風を切る音がした。
住民が気づいたときには既に、有希をお姫様抱っこした舞姫の姿があった。
有希は落下の恐怖から目を閉じていたが、衝撃が中々来ないことに疑問を感じ、恐る恐る目を開く。すると、すぐ目の前に舞姫の姿があった。
「大丈夫? 痛いところはない?」
「え? えと……あ、大丈夫です」
「そう、なら良かったわ」
そう言うと、舞姫は有希を降ろした。有希は少しの間戸惑っていたが、やがて舞姫に助けられたらことに気づく。
「あ、ありがとうございます?」
「どういたしまして」
有希は頭を下げてお礼を言う。そして、顔を上げたときに気づいてしまう。舞姫の装甲の露出度の高さに。
「なんか……エロい?」
舞姫の姿を見て、有希が呟いた。そんなことなど意識していなかった住民たちも、思わず見とれてしまう。
なぜ今まで気づけなかったか。十年という長い時間がありながら、舞姫がギアを装着している姿を見せるのは稀である。出撃の際も外に出る前に装着しているため、知っているのは機装部隊や中央の高城たちくらいである。
「おい、エロいぞ……」
「や、やばいな……」
ひそひそと聞こえてくる声に、舞姫は顔を真っ赤にした。
有希はなぜ舞姫が顔を赤らめたのかも気にせずに、手元にあった串焼きを一本取り出す。
「これ、お礼にどうぞ!」
差し出された串焼きを見て、舞姫が逡巡する。どこか一花に似た彼女から差し出された串焼きを受け取るか悩んでいるからだ。
これを受け取ってしまうと、また失うかもしれない。だが、有希の好意を無駄にするのも心が痛む。故に、舞姫は妥協点を見つける。
串焼きを受け取ると、そっぽを向きながら言う。
「べ、別に助けたくて助けた訳じゃないんだから……」
その言葉によって、舞姫=ツンデレだという認識が広まったのは当然のことであった。




