32話 否定
一花が顔を上げると、そこには惨状が広がっていた。千尋たちが霧型に襲われていたのだ。慌てて助けに行こうとするが、足を捻ってしまったらしく、転倒してしまう。
「嫌、嫌あああああッ!」
聞こえた悲鳴に顔を上げると、霧型が千尋を包み込んでいた。中で苦しそうにもがく千尋の姿を見て、一花は恐怖を感じて身を震えさせる。そして、追撃をかけるように悪寒が走る。巨大な霧型が迫っていた。
「助ケてッ! 誰かァッ!」
助けを求める千尋の声が聞こえるが、一花は動けない。目の前に広がる惨状に、完全に心が折れていた。
「嫌ァぁぁァァあアあアアッ!」
最後に、千尋の絶叫が響き渡った。それを機に、千尋の声は聞こえなくなった。
『一花! しっかりしろ!』
クロエの声が聞こえた。でも、一花にはそれがどこか遠くでの出来事のように感じた。呆然と立ち尽くす一花の前に巨大な霧型が来ると、動きを止める。そして、中心で不気味に光る赤黒い水晶を一花に近付けた。
「やめなさいッ!」
舞姫が必死に光弾を撃ち込むも、ダメージにならない。巨大な霧型は体の一部を触手のようにすると、一花の体を絡め取る。その時、一花の変身が解けた。一花は最後にその腕からアクセルギアを外すと、舞姫の方に投げた。舞姫はそれを慌てて受け止める。
「■■■■」
舞姫の方に一花が何か言葉を発する。その声は余りに小さくて聞き取れなかったが、口の動きから「ごめんね」と言ってるように思え、舞姫は涙を流す。
そして、一花の体が赤黒い水晶の中に一気に引きずり込まれた。
「あぁ……あああああ」
舞姫が戦慄く。手にしたアクセルギアと水晶の中の一花の間を何度も目線を行ったり来たりさせる。そして、一花の方に目線を定めた。舞姫は震える手で銃を構える。
「あああああッ!」
半ば狂乱状態になりながら舞姫は銃を乱射する。無数の撃ち出された光弾は、しかし、ダメージにならない。
「返しなさいッ! 一花を返しなさいッ!」
それでも、撃つことを止めない。怒りを込めた光弾は、先ほどよりも遥かに威力が高い。撃てば撃つほど強力になっていくが、それでも僅かに表面の霧を散らす程度で終わってしまう。
「返せえええええッ!」
特大の光線を一発。滾る殺意をそのまま撃ち出したかのような、ギラギラと輝く光線。舞姫の持ちうる全ての力を注ぎ込んだ一撃は、霧型の巨体を大きく揺らした。
ドクン。急に舞姫の心臓が跳ね、その顔が青くなる。巨大な霧型の放つ気配が変わったからだ。
その巨体を圧縮させ、歪めながら形を作っていく。子どもが粘土で遊んでいるように、ぐにゃりと蠢く。そして、それが姿を固定する。
それは、人の形を模した何かだった。漆黒の、光沢のない金属のような体。胸部には赤黒い水晶があり、その中では一花が膝を抱え込むように丸まっていた。そこに収まるのが本来の姿であるように見えて、舞姫はギリッと歯を鳴らす。
『舞姫! ソイツは不味い、七海と遠藤、それと集団の生き残りを回収して脱出してくれ!』
「無理よッ! 一花があの中にいるのよ? 置いていけるわけ無いじゃないッ!」
『ダメだ! 今の戦力じゃ勝てない。今は体勢を整えるのが先だ!』
「くっ……」
舞姫は悔しそうに表情を歪めた。クロエの言い分が正しいと理解しているからだ。
『大丈夫だ。必ず一花を助ける』
クロエに促され、舞姫は渋々従う。巨大な人型となった霧型が襲ってくると思い警戒していたが、こちらを見つめるだけで何もしてこなかった。それを好機と見て、舞姫は走り出す。
舞姫は動けなくなっている七海を回収する。体中の怪我のせいで気を失ってはいるが、息があるので死んでるわけではないようだった。
舞姫は七海を担ぐと遠藤の元へ向かう。遠藤は耳から血を流して倒れていた。蟷螂型の悲鳴のせいで聴覚を失ってしまったらしい。自力で歩くことは可能だったので、歩いてもらう。
そして、辺りを軽く見回して生き残りを探す。が、ほとんどが死んでいるか霧型に取り込まれているかしていたため、生き残りを見つけるのは絶望的だった。舞姫が早々に諦めて立ち去ろうとすると、一人、走ってくる人物がいた。
「おーい、待ってくれ! 僕はまだ生きているぞ!」
手を振りながらよろよろと男が走ってきた。よほど逃げ回ったのだろう、必死の形相で走ってくる彼の姿は不審者にしか見えなかった。超自然現象研究部の部長である鈴木だった。
舞姫はその容貌から助けるべきか逡巡するが、生き残りは助けるべきだろうと考えて鈴木を迎える。
「はあ、はあ。どうにか、僕は生き延びられそうだ……」
首から下げた一眼レフを愛しそうになでながら、鈴木は呟く。そして、霧型のいる方向を見て現実に引き戻された。
「部員は誰も助からなかったか。それに、あの少女まで……」
鈴木がうなだれる。まだ人が死んだという実感はないらしく、そこまで気を落としてはいないようだった。
「まだ安心するには早いわよ? アレを振り切らないといけないんだから」
舞姫が銃を霧型の方に向けて言う。いつのまに増えたのか、霧型の数は優に百は超えていた。
人を取り込んだ霧型が舞姫たちに狙いを定める。その姿は人の形を象っていた。
舞姫は銃を撃ち牽制をしながら退却をしていく。遠藤もヒュドラ参型を使って援護する。そうしてしばらく走り、追いかけてくる霧型の数も後一体にまで減っていた。
(あれは、一花の友達の……)
千尋は霧型に体を蝕まれ、ほとんど体が黒く染まっていた。霧型の生態を知らなくても、それが手遅れであることは容易に予想が出来た。
人を取り込んだためか、霧型の動きは人の体の作りに則っていた。動きが読みやすくなった反面、身体能力が格段に上昇していた。
舞姫は七海を抱え、なおかつ生身の人間である鈴木もいる。ギアを持つ舞姫とヒュドラ参型を持つ遠藤なら逃げきれるだろうが、二人を追いていくわけにはいかない。戦わずに済む、などということはなかった。
(逃げ切れないわね……なら!)
舞姫は銃を構えて目を閉じる。そして、イメージする。彼女を解放する、救済の光を。
「お、おい、もうすぐそこまで来ているぞ!?」
鈴木が焦って声をかけるが、集中している舞姫にその声は届かなかった。深く息を吸い込み、目を開いた。
「眠りなさい!」
引き金を引く。撃ち出された光弾は霧型を撃ち抜いた。中にいる千尋諸共、霧型が消し飛ぶ。
(倒した……? さっきまでは効かなかったのに。……人を取り込んだから?)
考えるが、今はその時ではないと考えて舞姫は再び走り出す。初めての戦闘でこれだけの能力を使ったせいで、肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていた。
やがて、クロエと高城の姿が見えた。僅かに生き残って兵士を連れている。戦場から帰還出来たことに安堵する。
「無事でよかった」
クロエに出迎えられるが、舞姫の表情は暗い。七海は気を失っているままだ。遠藤と鈴木も言葉を発せずにいた。
そんな重い空気に耐えられなくなり、高城が口を開いた。
「これからのことだが、出来うる限り人を集めて避難する。各分野に精通する人を集め、地下にシェルターを作るぞ」
「それは、未来と同じ方法なの?」
「そうだ。だが今回は、最初からギアがある。前回よりは安全にいけるだろう」
ギアという言葉を聞いて、舞姫は手に持つアクセルギアを見つめる。高城の説明は続いていたが、頭の中が一花のことでいっぱいになっていた。
――また、失ってしまった。
アクセルギアを握り締める。まだ、どこかに一花の温もりがありそうな気がして、必死に探す。しかし、あるのは金属のような冷たさだけだった。
――確かに、一花は強かった。
舞姫はそれを認めていた。だからこそ、一花ならば、自分の前からいなくならないのではないかと期待していた。これが運命だとさえ感じていた。しかし、結果は無情なものだった。
――運命なんて、あり得なかった。そんなもの、存在しない。
舞姫は悔しくなった。泣きたくなった。だが、そこで泣けばイーターに屈したことになるような気がして、涙を堪える。しかし、我慢はいつまでも続かず、ついに感情が溢れ出した。
クロエがそれに気付く。
「舞姫……」
「なんでもないわよっ!」
「でも……」
「なんでも、ないって、言ってるのにぃ……うぅ……」
溢れる涙を拭いながら、嗚咽混じりに舞姫が言う。クロエは今はそっとしておこうと思い、それ以上は何も言わなかった。
舞姫はこの日、運命を否定した。




