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「せいぎのみかた」  作者: わちがい
せいぎのみかた
6/32

06 電柱の怪

 樹海のように入り組んだ、薄暗い路地裏。


 一匹の犬が雨に打たれ蹲っている。

 影絵のような、不自然に黒い色の犬。

 ピンク色の傘を手にした少女が微笑みながら手を差し伸べると、犬は怯えるようにじりじりと距離を取った。

 もはや感情などないはずの、それが。


 「…良い子」


 「…残り物のごはんなんかあるけど、食べる?」


 「…食べないの?」


 「…そう」


 「…そうなんだあ」


 「もう何も解らないんだね」


 「じゃあ、しょうがないよね」


 「生きてても」


 「使えないし」


 「そこを――――離れて!!」

 「!」


 響いた声に少女は身を竦ませる。

 次の瞬間、眼前の黒い犬は弾け飛んだ。


 壁際に崩れる犬に向けて、突然現れた白い人影は何度も手にした奇妙な棒を振り下ろす。

 犬は呻き声すら上げず、徐々に身を腫れ上がらせ…やがて動かなくなった。


 「……ごめん。いきなり酷いものを見せて。怪我はない?」


 黒い血のついた棒を手に、息を吐く。

 白色のドレスが水を滴らせていた。


 「え…あの、あなたは…」

 「…僕のことはどうでもいいんだ。それよりも、この黒い犬…犬に限らないかな。

 とにかく、見た目異様に黒いものには今後一切近づかないで。…危険なんだ。すごく」

 「……」

 「あきら、まだいるみたいだぜ」

 「く……君、それじゃあ。今言ったこと気をつけてね」


 びしょ濡れの身体のまま大きく飛び上がる。

 ビルとビルの壁面を交互に蹴りながら、空へ消えていった。


 「……あきら、さん?」


 残された少女は空を見上げる。

 その瞳には異様な熱が籠もっていた。


 /


 「はっ…つ、疲れた」


 身体が冷え切っている。

 バスタオルで水滴を払いながら身を震わせた。

 指先が震えてうまく使えない。


 「変身すれ、ば…っ、暑さ寒さもなんとかしてくれればいいのに…うう、寒い」

 「あてしほどの一流になると平気で眠れる…めっちゃ眠い」

 「たぶんそれ眠っちゃダメなやつだ。気を強く持つんだヒカリ」


 /


 「悪いわねー映、あれ?」

 「れ?」

 「お茶煎れてくるんじゃなかったの?」

 「う、うん。やっぱり、やめたんだ」

 「ん…………あ、そう?」


 怪しんでる…。


 「疲れてきた?」

 「まだまだ平気だよ。続き頑張ろう」


 ヒカリをタオルにくるんでこっそりこたつの中に突っ込む。

 小刻みに震えていたが、これでなんとかなるだろう。

 タオルの端を僕がヒザで抑えておけばやんちゃも出来ない。


 「さっき聞いたばっかりのところで悪いんだけど、どうしてもここ解らないわー」

 「どれどれ…」


 うん、教えた記憶がまったくないな。


 記憶は適当に埋め合わせがつくけど、実際に教えたことにはならないらしい。

 流石にゼロからは何も生まれないということか。

 あちこちに僕の知らない「結果」だけが残されるのは考えてみれば怖いことだ。

 不便さはある。でも、これがベストなのかもしれない。


 「遠慮しないで解るまで聞いてよ」


 …教えてないわけだし。


 「えーと、これは、この公式を丸暗記してないと出来ないかな…」

 「なにこの公式。ありえない」

 「ありえないと言われても」

 「なんか存在するだけで不快だわ。だいいちものの十分そこらでこんなのあった気がするってイメージさえ消滅してるのに」


 考えた人も後生でこんな風に言われるとは思わなかっただろうな。


 「逆に言えば覚えさえすれば出来るんだから、何度も書いてみて頭に入れよう」

 「あー…やだやだ」

 「よっぽど勉強嫌いなんだね…」

 「好きな奴居るわけないでしょ…って、あー映…」

 「僕は好きな訳じゃなくて、苦にならないだけ。それよりサスケ…ずっと寝てるけどいいのかな」

 「ほっとけばいーのよ、危機感足りてないんと違う?」

 「春菜だってさっき僕に起こされたじゃないか…そういうわけにはいかないよ。ほら、サスケ」


 机に突っ伏したサスケを揺する。


 「ん…あ…カぺリートは…?」

 「どこにもいないよ」

 「うお…夢か。あぶね…」


 カペリートに何をされそうだったのか気になる。


 「うおっ、もう二時じゃないか!やべえ、勉強、いそげ!」


 慌ただしく教科書をめくり始める。


 「よし、俺の解らないところはどこだ!」

 「僕に聞かれてもな…」

 「だめだ、どこが解らないのかが解らな……いっ?」

 「…?」


 サスケの視線が止まる。

 それを追うと、いつの間にか窓際に白装束の天使が立っていた。


 「な…な、な…!」

 「…だ、誰?」

 「うわああああ!!!」


 何やってんだヒカリ!!!


 『―――突然のご無礼をお許し下さい。今あてしは窮地に立たされています。理由?あちーんだよ』


 慌ててヒカリをこたつの中から引っ張り出してタオル越しに叩く。

 幻影はゆらゆらと少しずつ薄くなっていった。


 「………」


 サスケと春菜が顔を見合わせる。


 「ちょっと、あたし達頑張りすぎた?」

 「だよな。疲れてるみたいだ」

 「少し寝るべきよね。一時間くらい」

 「ああ、なんというか、朦朧としている状態で、勉強しても、身にならないよな」


 二人は頷き合ってこたつで横になった。

 人間の脳は理解の限度を超えると、記憶が納得できるように繕う機能があるという。

 繕いきれずにオーバーヒートしてしまったようだった。


 「助かった……。もう!…ヒカリのバカ!!」

 「熱かったのと暇だったのでちょっといたずら心が芽生えたと言わざるをえないぜ。

 そして今度は痛くて死にそうだぜ」

 「頼むから叩かれるようなことをしないでよ…ほんとに…」


 案の定その後二人は熟睡してしまい、僕がいくら揺すっても起きなかった。


 /


 「あたしは世界を憎む!」

 「俺もだ!」

 「…ダメだったんだね」


 開き直ったのかなんとも爽やかな笑顔をしている。


 「自慢じゃないけど、もうダメとかいうレベルじゃなかった」

 「俺もだ!」

 「うん、ほんとに自慢にならないからね」

 「今回はもう突き抜けてダメだわ…。胸を張って落としましたって感じ」


 ……とヒカリのせいかもしれない。

 結局…ちゃんと教えてあげた時間が正味一時間もとれていなかった。


 「俺が思うに、教科書のわかりやすいシリーズって名前が良くないんだ。

 俺たちみたいのにはわかりやすいレベルじゃ足りないんだよ。「わかる」じゃないと」

 「それはあたしも前から考えてた」

 「………わかるシリーズってのも発売してるよ」

 「それ読んで解らなかったら返金して貰えるの?」

 「裁判だろ」

 「……………」


 こりゃ…僕が抜けたりしなくてもこの二人はダメだったかな。

 そう考えると少し気が楽になった。


 /


 「このどうしていいか解らない怒りを主将にぶつけることにするわ。殴りまくる!」

 「主将は喜ぶと思うよ」

 「うげー…そうかも。じゃあ副部長!」

 「どっちにしろとばっちりだよね」


 部活の目的から外れているわけではないので止めることも出来ない。


 「三日間の休みが…フフ、あたしだけ補習なのね。映は家でのんびりするのね。そういうことなのね」

 「部活あるし。一応来るつもりだよ」


 来れればの話になるが。


 「あ、そうだった。それ考えると気が少し楽だわ…」

 「…留年はしないようにね」

 「あたしはするつもりないんだけどさ。学校側がどう思ってるのかが問題よね」

 「他人事…」

 「アキラせんぱーーーい!」

 「ん」


 足を止めて振り返る。


 「ぶっ」


 凄まじい衝撃に吹き飛ばされた。


 「きゃー!もう!同じ学校だったなんて!運命ですかね!運命ですよね!絶対そうですね!」

 「…あ?あれ?え?え?」


 目の前が暗い。

 …のし掛かられている?

 甘い臭いで頭がくらくらした。


 「いきなりなにしてんのこのクソ女。離れなさいよ、ほらっ!」


 春菜の怒声がして、身体が軽くなる。

 開けた視界の端に転がっていく少女の姿が見えた。


 「映、怪我は?」

 「うん…大丈夫。驚いただけで」


 差し出された手を掴んで立ち上がる。


 「あいたた…ごめんなさいアキラ先輩。ちょっと感動しちゃって!」


 舌を出しながらウインクしてみせる。

 上履きは僕らよりも一つ下、一年生の色だった。


 「…ゲー。超ぶりぶりタイプ。あたしこういうのダメ。なんなのこいつ?」


 春菜がそっと耳打ちをしてくる。


 「いや…僕にも何が何だか。ごめん、君は誰だっけ…?会ったことがあった?」

 「ひどいですー!ほらぁ、昨晩、路地裏で…」

 「!!」


 あの時の…傘の子!?


 「そんな馬鹿な…ヒカリ!!僕はあのとき確かに服…っ」

 「…ヒカリ?服?」


 慌てて口を噤む。

 ポケットの中でヒカリが起きだした気配がある。


 「と、にかく!こっちへ!春菜、ごめん!部活は遅れて行く!」

 「え…うん…?…って、待った!あたしも行くわ!」

 「ちょちょ、ちょっと聞かせられない話!」


 少女の手を掴んで走り出す。

 春菜はものすごいジト目でいつまでも僕らのことを睨んでいた。


 /


 手近な空き教室に飛び込んで息を吐く。

 顔を出して辺りを確認してみても、春菜はおろか他の生徒の姿もない。

 ここならなんとか安心して話が出来そうだ。


 「…ふう。君は、昨日の路地裏にいた…あのピンク色の傘の…?」

 「はいっ。これからよろしくお願いします、アキラ先輩♪」


 …どうしてか、音符をつけて喋っている気がする。

 どういう技術なんだ。


 「…あ、ごめんなさい!わたし、興奮しちゃって。名前は雨宮亜衣、一年生です!

 気軽に亜衣って呼び捨ててくださいね!」


 …立ちくらみがした。


 …面影はない。

 似ては居ない。

 それでも、その名前は。それだけは。


 「…あのっ、先輩?」

 「…何でもない。…雨宮さん」

 「亜衣って呼び捨てに…」

 「……雨宮、さん」

 「んー……先輩が嫌なら、仕方ないです。それでなんでしょう」

 「僕のことを本気で覚えている?」

 「やだなあ、そんなに身構えないで…。コレコレ、これを見てくださいっ♪」


 手持ちのカバンを漁ると、中からするするとピンク色のステッキが現れた。

 僕のものと同じく先端に明らかなイミテーションの宝石がついていて、棒の部分はキラキラ輝いている。

 ちょっとした光の射し具合で輝き方を変えるようだ。


 「ああ…君は。…道理で」


 ヒカリを机の上に置く。

 万一誰か通りがかっても、僕の影になって廊下からは見えないはずだ。


 「はあ~………良かった。

 僕は倉敷映。服が不具合起こして、顔を覚えられてしまったのかと思ったよ。

 この通り…僕は、まあ、その………男、だからね…。

 こっちはヒカリ。雨宮さんも選ばれた時会ったんじゃないかと思う。今はこんなちんちくりんだけどね。一応天界の使者らしいんだ」

 「SMプレイがお好みですか?わたしちょっと…でも、先輩のためならがんばります!」

 「…は?あ、縛ったままだった」


 いくらなんでも定期試験は邪魔されたくないので縛っていたんだ。


 「ふう…なんか縛り方がどんどんうまくなってきて困るわさ。危ない道に目覚めそうだぜ。正直ちょっと後半戦気持ちよかった」

 「目覚めないでくれ。それよりヒカリ、どうして昨日、あの時すぐに雨宮さんが仲間だって解らなかったの?」

 「小粋な冗談で適当にはぐらかすのと真面目に答えるのあるけどどっちがいい?」

 「聞かなくても解るよね」

 「はい。つーかあてしはあくまで選ぶだけが仕事で、それ以外は別に別の別なんだぜ。

 代行者の能力を全部期待されても困る。せいぜい黒いものが解るくらいで、多分その範囲も精度も代行者より狭いぜ」

 「そうだったのか……。それはいいんだけど…全然よくないんだけど。

 それももっと早く言うべきことだったんじゃないのかなあ」

 「ぶーん」


 両手を広げて机の上を走り始める。

 都合の悪いことを流すつもりだ。


 「君ね……ん、雨宮さん?」

 「はい!なんでしょう♪」


 ……見間違いかな。

 ヒカリのことを、睨んでいた気がする。


 「ヒカリがどうかした?」

 「かわいいな~と思って…あの、先輩!ヒカリちゃん、わたしに預けてくれませんか?

 わたし可愛いものに目が無くって。可愛いお洋服着せたりしたいです♪

 ね、ヒカリちゃん、かわいい服とか興味ない?一杯あるよお、作っちゃうよ」


 ヒカリが動きを止めて慌ただしく僕のポケットに潜り込んでくる。

 再び手を入れても、底を強く掴んで出ることを拒んでいた。


 「まあ、とにかく。男が代行者になるっていうのはイレギュラーみたいでね…。

 僕は他の代行者はおろか黒いものを探ることも出来ないし、変身は出来ても特別な力も何も無いんだ。

 運動能力だけは辛うじてあがるからなんとかしてるけどね。ヒカリがいなくなって、探知が出来なくなるっていうのは困るよ。ごめんね」

 「それなら大丈夫です♪これからはわたしが先輩を全力でサポートします!お任せ下さい!」

 「学校にいる間はそれでいいかもしれないけど、家に帰ったら一人だから。穴が出てきちゃうかな」

 「先輩のおうちはどこですか?わたしもそこに一緒に住めばいいと思うんです。料理洗濯にお掃除、なんでもやりますし!」

 「いやいやいやいや!!!それは、いくらなんでも」


 話が凄まじい勢いで飛躍していく。

 ちょっと……暴走する性格みたいだ。


 「さ、最終的には、ヒカリの意思だから。ヒカリ、どう?」

 「いーやーだーーーーーいやーーーだーーーー」

 「…だ、そうだから…」

 「残念ですう…」


 名残惜しそうに僕のポケットを熱っぽい視線で見つめている。

 良かった…。


 「僕は部活に行かないといけないから、今日はこれで。

 何かあったらこれからは二年の三組に来てくれればいいから」

 「先輩、明日お暇ですか?」

 「何か大事な用事?」

 「デートしましょう」

 「……いきなりだね」

 「昨晩の先輩のお姿を見て、もう一目惚れでした。

 りりしくて、颯爽として、わたしへの気遣いも忘れない!もう、びびっと来ちゃったんです。これはきっと、運命だって、思ったんです。

 先輩も思いませんか?感じませんか?私だけですか?絶対そうじゃないと思うんです」

 「……えー…と」


 言葉をそのまま信じれば、…昨日の僕のあの格好を見てすぐに男だって解ったってことかな。

 それは正直ちょっと嬉しくもある。

 制服以外の時に…ましてあの服で。初対面で…、っていうのはとても珍しいことだ、けど。


 「ご、ごめん。明日は部活。違う。テスト休みはずっと部活だ」

 「残念ですー…いつか時間が空いたら教えてくださいね!絶対ですよ!約束しましたからね!」


 元気よく手を振って、スキップ気味に教室を出て行く。


 たっぷり十分は机にかけてから、大きな溜息を吐いた。


 「一人目は通り魔ァ」

 「……うん」

 「続いてバカとメンヘラの入場です」

 「っぐ…………………また、問題が増えた」


 僕はそのうち頭痛で倒れるのかもしれない。


 「噂によると女装もいるらしい」

 「……そうか、僕も……僕もだった、あははは」

 「あっきらさんがやべえ。誰かピーポー呼んでピーポー」


 /


 剣道場では主将をはじめ、副部長以下数人がグロッキーになってあちこちに転がっていた。

 ここは地獄だった。


 「あーら映。お早いお着きね」


 春菜が寄ってきて、面を荒々しく外す。


 「べーっつにいいんだけどね。最近女の子ばっかり追いかけてるみたいね。

 このあいだの外道院とかってい・つ・つ・ぼ・しの!先輩はどうなったのかしらー?」


 春菜…それじゃどこぞのアホ天使とレベルが一緒だ。


 「ほん~~っとーに、別にいいんだけど。ただ、あたしたちの間で今更隠し事って、なんか水くさいわよねー、よね!

 あたしは今まで映に隠し事をしたことはただの一度もないんだけどなー!生理周期だって教えてるのにね」

 「いや前から思ってたけどアレすごく困るよ」

 「今そんな話してないでしょ」

 「う、うん…?ごめん」


 とにかく言えないものは言えない。

 変身のことをまだ知らなかった時は春菜に協力を頼もうかとも考えた。


 しかし今はすでに変身が出来て当たり前。

 犬の怪異を皮切りに、一歩間違えば死の危険がある怪異が溢れだした。

 ステッキがなければ…危険な目に合うだけだ。

 それでも事実を知ったら春菜は必ず黙っていないだろう。


 「いやーいいのよ。別に。フン。ほらそこ!練習するわよ練習をっ!」


 地獄は拡大した。


 /


 「あれ、裏切り倉敷。裏切ったんじゃなかったのか」

 「酷い形容つけないでよ。春菜と一緒に来たら、部活が始まるまで少し時間があったから」

 「酒寄は?」

 「徹夜で作ったカンニングペーパー忘れたとかで途中で走って引き返していったよ」

 「あいつ…ひでえな」

 「ほんとに」

 「これは俺たちの生命線じゃないか。作ったらすぐ仕込んでおかないと」

 「……」

 「あそうそう、暇ならこれ貸してやるよ。例のアレが書いてあった」


 机の引き出しから週刊誌を取り出して、差し出してくる。

 半裸の女性が表紙のいかにもゴシップという感じの雑誌だ。


 「なにコレ」

 「電車の網棚に乗ってた」

 「サスケは落ちてるものなんでも拾うよね…そういうの何がついてるか解らないよ」

 「ああいう網棚に乗ってるのはな、どっかのおっちゃんが朝の暇つぶしに買って、適当に読んで、もういらねーやって置くんだ。

 それからみんな手に取って適当に暇を潰せるっていう素晴らしい共有システムなんだぞ。汚くなんかない。人間愛だ。人間賛歌だ」

 「じゃあ持って帰って来ちゃ駄目なんじゃ?」

 「そういうこともあるんだよな」

 「……ああ、そう。それで例のアレって?」

 「黒い女の記事。まぁ雑誌の印象そのまんまの信憑性だから、話半分だけどな。

 倉敷がなんか気にしてたみたいだったし、表紙見て拾ってきたんだ」

 「………。ありがとう」

 「俺もまだ全部読んでないんだ。後で見せてくれ」

 「…………………解った」


 受け取る手が震えた。


 /


 『黒い切り裂き魔!!新たな都市伝説か』


 『S県を中心に噂が広がり、同時に被害も拡大している「黒い女」』

 『読者の方々もインターネット等で目にしたことはあるのではないだろうか』

 『突然現れ、鋭い剣を振り回し襲ってくるという。被害者は日に日に拡大し、すでに数十件に昇っているそうだ』

 『行方不明者件数が増加傾向にあるのも何らかの関係があるのかもしれない』

 『興味深いのは、黒い女は犯行現場に紙切れを残していくという話だ』

 『当編集部が独自のルートから入手したものを一部掲載することにする。※写真A』


 万引きの罪。

 下着泥棒の罪。

 無賃乗車の罪。

 強姦の罪。

 殺人の罪。


 『黒い女はこれまでの都市伝説と違い「罪に対しての攻撃」だけをするということが解る』

 『ただし被害者の中には身に覚えがないと訴える者も多く、耳障りの良い言葉を並べただけの無差別であるとの考え方も捨てがたい』


 「…いずれにせよ夜遅く出歩く方は…用心に越したことはないだろう」


 そんな文章で記事は締めくくられていた。


 ~という。~話だ。~かもしれない…。

 曖昧な言い回しだけで成り立っている。

 サスケの言うとおりこれだけを読めば信憑性も無いに等しい。


 写真の紙切れもそれぞれ筆跡が一定していない。

 便乗した愉快犯…でなくとも、この編集者が捏造したものの可能性も十分にある。

 全て本物だとしたら警察が一度手にした証拠品を手放したか、警察に渡らず被害者が直接この編集部に渡したことになる。

 前者はまずあり得ないし、後者だとしても集まるのはほんの一、二枚だろう。

 しかしこの写真には随分と積み重なって十枚以上はあるように見える。

 滅茶苦茶だ。


 ……でも。

 …そう、でも、問題はそこじゃない。

 この雑誌がいくら酷いゴシップ誌でも関係ない。


 重要なのは雑誌に取り上げられるくらい、「噂になっている」ってことだ。

 それだけ囁かれるくらいの目撃情報が――――出ているんだろう。


 「………」


 立ち上がって、制服についた泥と草を払う。


 三年生は…休みの日でも勉強している人が多く居る。

 家では集中出来ないからという理由でだ。


 /


 図書準備室の扉に手を触れると、それだけで解る。

 この強烈な寒気はもう間違える筈がない。


 「……居る。ヒカリ、行くよ」

 「まじか」

 「もう証拠が無くても…言うだけ言わないと始まらない」

 「怖くね」

 「…言うまでもあるもんか」


 歯を食いしばって、扉を開く。


 「…失礼します」

 「いらっしゃい」


 先輩は薄い眼鏡を外して、静かに首を回した。


 「丁度疲れてきた頃。気分転換がしたかったの。歓迎するわ、倉敷くん」

 「…それは、良かったです」

 「はい」


 悠然と手を差し出し、微笑む。


 「その持っている雑誌を、私に読ませたいのでしょう?」

 「………はい」

 「……あら。ああ……うふふ」


 パラパラと頁を流して、雑誌を閉じる。


 「全体的に憶測に過ぎない段階で記事にしているわね。事実無根で個人を糾弾している記事もあった。これは酷い雑誌だわ」

 「…速読が出来るんですね。でも、僕が言いたいのは」

 「「黒い女」でしょう」


 悟られないよう、そっと…静かに。

 背中に仕込んだステッキに手を回す。


 「そこは大体事実が書いてあるわね。流れている噂そもそもが事実に近いからとも言えるけれど。

 ただ、写真の紙切れはほぼ偽物だわ。何故か一枚だけ本物がどういう経緯でか紛れ込んでいるようね」

 「矢張り…先輩なんですか」

 「どういう意味かしら?」

 「先輩が、通り魔をしているんですか」

 「さあ。どうかしら。仮にそうだったとして倉敷くんは私が素直にはいそうですって答えると思った?」

 「……いいえ」

 「ヒントはあげても答えは教えない。

 問題に取り組む姿勢というのは本来そういうものでしょう。

 答えに辿り着くまでに…貴方の意思も決めておきなさい。曖昧な気持ちのまま「その女」の前に立つようなら」


 足を組み直して笑う。

 歯を見せた、獰猛な笑い。

 刃物と言うよりは……そのまま相手を穿くアイスピックのような印象を受ける。


 「――――死ぬことになるわよ」


 …痛い。


 心臓が痛い。

 刺されているようだ。

 掴まれているようだ。


 「もう、話すことはないようね。

 …私は勉強の続きをすることにするわ。倉敷くんも部活にお戻りなさい」

 「……」

 「それから…ま、ヒントかしらね。

 秋谷悠。あの女は別にどうということはないでしょう。ただ…雨宮亜衣には気をつけなさい」

 「……………なぜ、二人のことを知って?」

 「無知は自分を危険に晒しているのと同じことだからよ。

 …雨宮さんは倉敷くんに求愛をしているようだけれど…それを受けても断ることでも、きっと大変なことになるでしょうね」

 「……ですか」

 「答えを出さない事が正解ということもあるのかしらね…?ふふ、正解と解決はけして同じものではないけれど」

 「どういう意味です」

 「同じ事を二度言わなければならないほど無能で理解力が無いの?貴方は違うでしょう」


 先輩は眼鏡に手を伸ばして、参考書の頁を開いた。


 「私は金木犀の匂いは好きじゃないわ。

 それじゃあ…また、ね。倉敷くん」


 /


 「外道院めっちゃ怖い」

 「…僕もだよ」


 項垂れる。

 空気に飲まれて良いようにあしらわれたという感じがする。

 それでも何かしら進展はあった…と思いたいけど。


 「邪魔すれば殺す…そういうこと、なのかな」

 「むりむりむりのかたつむりだぜ。外道院、あれは、まじで人間じゃない。死神って居たらきっとあんな感じだわさ」

 「…天界には居なかったの?」

 「天界ってあの世の事じゃないぜ。死神が居るとしたら多分そっちの方。見たことねえけど」


 …へー、…別の管轄なんだー。

 …どうでもいいことだけど。


 「雨宮さんのことは…うん、僕も…薄々思ってたな。

 ちょっと思いこみ激しいみたいだから…受けたらきっと大変な毎日になるし…。

 断ったら大泣きするとかでまた困るんだろうな…」


 こればっかりは現状維持しかないか。

 先輩の言う通り先送りにするだけであって、何の解決にもならないけど。

 僕はこういう問題には慣れてないからうまい方法が浮かばない。

 僕なんかより格好良い男の子は沢山いるんだから、なんとか別の人に惚れてくれればいいんだけどな…。


 「……はあ。金木犀、かあ」


 …彼女から漂う甘い花の匂いはそれだったか。

 まだ鼻孔に残っている気がする。


 「雨宮めっちゃ怖い」

 「…僕もだよ」

 「秋谷は嫌い」

 「どうしてそうなるかな」


 と、秋谷さんか。

 何とかあの人に相談したいな…。


 もう三人も仲間が解っているのに、まともに相談出来る相手が一人しか居ないって少し寂しい。

 どうしてかヒカリは嫌っているようだけど。


 …しかし、どうやって連絡をとったものか。

 電話番号くらい聞いておくべきだったかな。

 私生活とは切って考えるって言ってたから…それも無理か。


 /


 ホットーコーヒーの缶で手を温めながら、街で一番高いビルから人並みを見下ろす。

 秋谷さんの能力を考えると、なんとなく高い位置に居れば会える気がしたからだ。


 …といいつつもう三日目なんだけど。

 結局部活に一度も出られなかったのはなんとも。


 「あきらー、しりとりしようぜ」

 「…君しりとり好きだね。黒いものの気配もないみたいだし、別にいいけど。じゃあ、しりとり」

 「リック・ディアス」

 「誰?…うーん、すずめ」

 「メリクリウス・シュイヴァン」

 「君は何を言ってるんだ。しかも君の負けだ」

 「ンドゥール」

 「今後君には一人しりとりをオススメする」

 「大会とかあんの?」

 「あるある。頑張れば世界一の栄光だよ」

 「あるわけねーだろカス」

 「…………」

 「痛い痛い」


 「おっと、そこまでだ!話は聞かせてもらったさ!」


 ヒカリの頬から指を放して、空を見上げる。


 「お、来たかな?」

 「バカ来た」


 「ヒーロー!参・上!」


 激しい回転をしながら降ってきて、ポーズを決めながら着地してみせる。

 一連の動作を見ていると…わざわざ落ちる途中で装着したステッキを外してからキメに使っているらしい。


 「お待ちしてました。良くここが解りましたね」

 「待ってたの?」

 「ええ、ちょっと相談したいことがあって…高いところに居れば秋谷さんと会えるんじゃないかって」

 「バカと煙は高いドグォっ」


 ヒカリの口の中に指を突っ込む。


 「やー、確かに私が移動するときは高いところを渡ってだけど。今は別にあきらちゃんを感知して来た訳じゃないさ」

 「というと?あと「ちゃん」はやめてください」

 「んー…」


 手すりの方に歩み寄って、僕を手招きする。


 「昨日一昨日辺りからこのへんで何かありそうな気配があったのさ。

 だから重点的に回ってたんだけど…今日になってなんとなく解った気がする」

 「?」

 「アレじゃないかな」


 ステッキで示された方向…。


 「電柱…ですか?」

 「大本は電線みたいさね。元々が黒いから、黒くなったところで気づかない。うわー嫌らしい。

 しかも網の目みたいに細く広範囲で張り巡らされてるんで具体的な場所がずっとぼやけてた。

 でも…あれ見て」

 「ん」

 「電柱、上の方から少しずつ黒くなってない?」

 「…う、わ…」

 「…電線が電柱にも足場を広げようとしてるのさ。

 幸い怪異を起こす前にまず増えるだけ増えるタイプみたいだから、まだ被害者はいないみたいさ。幸いって言っていいのか微妙だけど」

 「ここ数日僕らはずっと此処に来ていたのに…ヒカリ、どうして解らなかったの?…って、精度が悪いんだったね、君のは」

 「ご理解頂けて助かるぜ」


 秋谷さんですらぼやけていたみたいだし。

 これは責めても仕方がないか…。


 「一刻も早くあの電線を切って、電柱も倒す必要があるのさ…。でも、どうするさねコレ」

 「…最悪だ」


 人が居すぎる。


 スーツを着た人。

 自転車で走る主婦。

 大学生らしい若い集団。

 真ん中の大通りも、車が絶え間なく走っている。


 「電柱を倒せば…道側は潰れる人が出てくる…かも。でもビル側なら、多少壊れるくらいで済む…かな?

 まずいのは電線。あれ、切ったら…停電は些細な問題として。電気がビビビなんじゃない?断面が人が触れたらえらいことさ」

 「…この人数じゃあ…人に触れないように切るのは、不可能ですね」


 電線自体には触れるだけじゃ電気は流れないと聞いたことはある。

 でも、切れた電線に触れて死ぬという話は結構良く耳にする。


 「―――…一応。切れたらすぐに送電を停止する機能はついているわ」

 「!」


 いつの間にか先輩が給水塔の上に立ち、街を見下ろしていた。

 その手には鋭く光る剣が握られている。


 「問題は「一応」程度な事と…黒いものによって性質が変化している可能性かしらね」


 「…あきらちゃん。もしかしてあの人が?」

 「……そうです。でも、今は…黒いものが先です。先輩も、黒いものを優先します」

 「……解った。今は協力していいということさね」


 僕らの囁きを見透かすように笑って、先輩は給水塔から飛び降りた。


 「倉敷くん。貴方ならどうする?

 人に危害を加える可能性があって。それでも、あの電線を切る?」

 「…深夜まで待つことは出来ないでしょうか。人はかなり減ると思います」

 「そう言うと思ったわ。でも、黒いものにもっとも与えてはいけないのは「時間」であるということを、貴方は知っているはずよ。

 ただでさえあの電線には数日の時間を与えている。…今この瞬間に何らかの怪異を起こしてもおかしくない」

 「なら、えっと…名前?」

 「祁答院。下の名前は…いいわね、別に。ねえ。秋谷さん?」

 「む…、なら祁答院ならどうするつもりさ」

 「切るわ。今すぐに」

 「被害の可能性を残しても?」

 「私は十一の安全の為に、十の犠牲までは厭わない」

 「…人が死ぬかもしれないのに!?」

 「なら秋谷さん、貴女は何か妙案をお持ちなのかしら」

 「……むう」

 「人の案を批判する時はまず対案を用意することよ。批判するだけなら小学生にも出来るわ」

 「く…!…私も、あきらちゃんと同じ。夜まで待つさ」

 「それは人が死ぬ可能性を残すことにならないの?」

 「揚げ足取りばかり…!」

 「私は至極真っ当な事しか言っていないつもりなのだけど」


 仲間内で喧嘩している場合じゃ…!


 「殺伐とした空気にヒカリちゃん降臨だぜっ!!」


 でかした!!


 「よくわかんねーけどつまり今何が問題なのコレ」

 「よし引っ込めヒカリ」

 「ギャー」


 心なし二人とも熱が冷めたような顔をしている。

 たまにはヒカリも役に立つ。

 いつも、いつでも変らないことがいい事だってある。


 「…解りました。夜まで待つのは、確かに現実的ではないかもしれません。

 でも、まだ、切るのはまだ…少し待ってください。要は人が居なくなってくれればいいんでしょう」

 「そういうことね」

 「…どうするつもりさ?」

 「…呼びかけます。それしか思いつきません」

 「いいでしょう」


 甲高い金属音を奏でて、先輩が剣を仕舞う。


 「やってみるといいわ」

 「…あきらちゃん」

 「大丈夫です。僕一人でやってみます」

 「…解った。私はこの祁答院を見張っておく。いつ約束を反故にするか解らないのさ」


 先輩は片方だけ口を釣り上げて、目を瞑った。


 /


 ビルから飛び降りて道路の隙間に着地する。


 どこからともなく降ってきた事と、とにかく異様な服装でいっぺんに注目が集まった。

 このタイミングを利用しない手はない!


 「―――聞いてくださいっ!!!」


 大きく息を吸い込んで、出来る限りの大声で叫ぶ。


 「ここは、危険なんですっ!あの、黒い電柱を見てください!!」


 「え?あ、ほんとー。なんか黒い」

 「つーかあいつなに?」

 「今流行ってんだろああいう格好。バカみてーだけど」


 「これからすぐに!!あの電柱が、電線が!回りに危害を及ぼします!!ここから…車の皆さんも!!

 歩いている皆さんも!!すぐに!離れてください!!」


 「…」


 辺りが一瞬だけ静まる。

 電柱を、電線を見上げ…ざわつき始めた。


 「誰?役所?」

 「なわけねーだろ、なんで役人がゴスロリ着てんだよ」

 「何もおこんねーじゃん」

 「何言ってんだ?」

 「撮影?なんかの」

 「ネットで目立ちたがっちゃう系の奴じゃないの」

 「頭アレなんじゃね。メンヘラっての?」


 「く…!これはテレビなんかじゃありません!!本当に危険なんです!!」


 「くだらねー」

 「飽きた。行こうぜ」

 「面白くねえな」


 止まっていた人の流れが…動き出してしまう。


 「…違うっ!!!違うんです!!お願い、聞いてください!!」

 「…うるせーよ、バカ」

 「!」


 空き缶が投げられる。

 コーラが白い服にシミを作った。

 ……冷たい哄笑が起きる。


 「冗談じゃ…冗談なんかじゃ、ないんです!お願いだから、ここからすぐに離れて…!

 …おじさん、聞いて、聞いてください!」

 「あのね、君。俺は急いでるんだ。邪魔をしないでくれ。仕事中なんだよ。君みたいにヒマじゃあないんだ」

 「危ないんです!本当に!」

 「…どうなるって言うんだね」

 「それは、まだ…でも、本当にっ」

 「…」


 舌打ちをして、振り払われる。

 無様によろけて尻餅をついた。


 「本当に…ウソ……じゃ……!!!!」


 視界の端に黒い火花が散った


 バヂバヂという激しい音を立てながら、その火花は電線からすぐ真下へ落下していく。

 それに触れた一人の男が…一瞬で、燃え尽きた。


 「きゃあああああああああああ!!」

 「な、か…雷っ!?えっ!?晴れて、今!!?」


 黒焦げになり、倒れ込む男から皆一斉に距離を取った。


 「あああああ…………これから!こういうことが!!増えるんです!もっと、起こるんです!!…逃げてっ、ください!!!」


 僕の言葉にはもう誰も耳を貸さなかった。

 男に群がり…それでも、誰も助けようと…近づくことはなく。

 興味本位で…囁き合ったり。

 携帯電話で写真を撮ったり…。


 余計に…集まって。


 「どうして……。

 ……お願いですから…僕の話を…」


 「はーーーーーーい!!!!!注目ーーーーーーーーーーーー!!!!」


 すぐ横で叫び声が響く。

 僕より遙かに高くて空に通る声だった。


 「今ここを離れればっ!!なんとわたしがキスしてあげますっ☆」


 …金木犀の強烈な甘い匂いが周囲に広がる。

 視界が一瞬白くなって、頭が朦朧とした。


 首を振って、なんとか意識を覚醒させる。


 「…残った人ーー!今すぐ離れないと…死ぬことになりまーす!!」


 「…………」


 「いやですよねーーーー!?」


 道行く人が…。

 惚けた顔になって規律のとれた軍隊のように歩き出す。

 見る間に人が外へ、外へと離れていく。


 「…雨宮、さん?」

 「これでいいんですよねっ、アキラ先・輩♪」

 「助かった…でも、今、何をしたの?」

 「わたし、容姿には自信あるんです。男の人のほとんどは誘惑して言うことを聞かせました。口から出任せですけどね☆

 どーもわたしが好みじゃない…ロリコンかババ専かホモくらいでしょーけど!

 そういう方と女の人は脅迫して言うことを聞かせちゃいました。

 今もちらほら残ってる人は、よっぽど意地っ張りか死にたがりか、異性や命よりも野次馬根性が旺盛か。

 あとは自分で自分のことさえまったく解らないクルクルパーの人ですね」

 「言うことを…聞かせる?僕がいくら言っても無駄で……つまり、それが雨宮さんの」


 眉を落として、ビルの上を細い目で見上げる。


 「あの二人には内緒ですよ。先輩にだ・け、教えたんですから♪」

 「……解った。今は…それよりも」


 あの電線だ。


 /


 「下を通ると、高圧電流を落とす…ね。

 思いがけなく人払いは成功したけれど、結局時間をこれ以上与えなくて良かったわね。犠牲も最小限だわ」

 「…あきらちゃん。あの人は?」

 「無駄です。もう死んでいます」

 「確かめた…?」

 「いいえ。でも、死んでいればすぐに解りますから。即死でした」

 「…そう。つらいけど……悔しいけど、…祁答院の言うとおり、最小限ということで、納得するしかないさ」

 「ちょっと、馴れ馴れしく先輩に近づかないでくださいっ!」


 間に割り込んでくる。

 秋谷さんを睨みながら、強引に僕の腕にしがみついた。


 「……」


 秋谷さんが僕に哀れみの目を送ってくる。

 『ああ、相談したいことってコレね…』と。


 「…さあ。急ぎましょう。すぐに人がまた増えてくるわ。その前に対策をとらなくてはいけない。

 雨宮さん。貴女人を誘導できるのでしょう、今もまだ知らずに入ってくる車を、人を、外に追い出して頂戴。

 もし従わない相手がいるようなら実力行使もやむを得ないでしょう」

 「………なんであなたに命令されなきゃいけないんですかぁ?」


 …僕、だろうな。


 「…雨宮さん、お願い」

 「先輩がそう言うんならっ☆」

 「私は人が外に出されたのを確認してから、南の方角に適当なところまで行き、ひとつ電柱を道側に倒す。

 人はともかくこれで車が入って来れなくなるはず。秋谷さん、北側の方を同じように出来る?」

 「簡単に。しかし興味本位で集まってくるのはどうするさね。警察も消防も来るさ。

 封鎖したところで、建物の中にだって人はいくらでも居るはず。このビルの中にだって」


 つま先でコンクリートのタイルをコツコツと突く。


 「雨宮さんに…忙しくなるけど。両端を往復してつねに人払いをして貰うわ。

 建物から出てこようとするのは、また中に押し込んで」

 「雨宮さん、頼むよ。君にしか出来ないんだ」


 あらかじめ言っておく。


 「あとでデートしてくださいね!約束ですよっ!」


 何か恐ろしいことを言い残して、ビルから飛び降りる。

 それを追うようにして秋谷さんも続いた。


 「倉敷くん。貴方は、解るわね」

 「はい」

 「外道院!あてしはっ!?」

 「封鎖が終われば私達も向かうわ」

 「…シ、シカト…!」


 黒い髪をはためかせ、最後に先輩がビルから飛び降りた。


 /


 ビルの上から通りを確認する。

 雨宮さんがちょろちょろとビデオを早送りするような速度で右へ左へ動いていた。


 僅かに残っていた人も、徐々に徐々に外へ追いやられていく。

 黒い電線の周囲に人が居なくなったことを確認して、屋上のタイルを蹴る。


 加速度に任せるまま…電線へ向けてステッキを振り下ろす。

 僅かな弾力と抵抗ののち、電線はぷっつりと両断された。


 「良かった…僕のステッキでもなんとか。残るは…」

 「あきらーーーーーーーー!」

 「ヒカリ!?……づ…」


 文字通り電流が走ったような衝撃があった。

 全身の筋肉が一瞬で痙攣して、そのまま吹き飛ばされる。


 「ぐ……ぎ……あ…ぎっ……」


 切れた電線が…断面から火花を散らせながら、蛇のようにうねっている。

 まるでそれ自体が生きているように…意思を持っているように、僕を狙っている…!


 「あきら!やばい!」

 「…ぐ、」


 ……ステッキを杖になんとか立ち上がる。


 服のお陰か…死には、しなかった。

 でも…痺れ、る……痛い……!


 「ヒカ…リ!破壊で黒いものは…駆除されるんじゃなかっ……た、のかっ!」


 歯を思い切り食いしばって、そこから走る。

 数秒遅れて僕が倒れ込んだ位置に黒いムチがしなった。


 「黒いものが引き起こす怪異にも対象にも、法則性はないぜ!

 でも、取り憑くのは絶対にっ、「一区切り」っ!!」

 「…!?」


 足を狙う電線を飛び退いて避ける。

 もたつきながら、転びかけながら…なんとか距離を取った。


 「一区……切りっ。…それは…なんとなく、想像がついていた。……今までもっ…そうだった。

 先輩も同種のものに取り憑くと言ってっ…た…。

 あれは…「電線が電柱に」感染したんじゃ…………電柱の方がっ…本体か…!」


 先に取り憑いたのは電線じゃなかった。

 電柱に取り憑き…それが、電線を伝って網の目のように侵食を進めていたんだ。

 個体数は増えていない。電線を切っても…本体の、電柱にとっては枝を切られた程度……!


 「…あの電柱に繋がっている限り、あの電線は…黒いものは…まだ駆除出来ていないってこと…だ」


 他の電柱には感染していないらしい。

 …今僕が切断した電線…他の電柱と繋がっている側は、動いていない。


 「ぐ……馬鹿なことをした。切らなければ良かったんだ」

 「切らなくても落雷は起こっただろ。下に居るやつを攻撃するんなら、どっちみちあの大本には近づけなかったぜ」

 「ヒカリに慰められるなんて…ね」

 「えへへ」


 「―――そうよ。あの電線は切る必要があった」


 黒い風が抜ける。


 先輩が黒いムチを避けながら突進し、空へ向けて剣を振るう。


 「外道院…何やってんだ。こっから切ればいいのに」


 無数に増えた電線を避けながら、先輩はさらに空へ向けて剣を振るう隙を覗っていた。


 「…届かなかったんだ…ここからじゃ。あの中に飛び込む必要があった」


 反対側から秋谷さんが…同じくムチの嵐の中に飛び込む。

 先輩に駆け寄って、近づく電線を蹴りで振り払った。


 その中で一瞬だけ、先輩の視線が僕に向く。


 ―――いきなさい。


 「…はい…!」


 僕はステッキを握りしめ…痺れを振り払って、走った。


 /


 「うー、ヒカリ。もう少し重い方がいいんだけど」

 「辞書を持つぜ」


 …誤差の範囲くらい重くなった。


 「でもほんと、ヒカリが自分からマッサージやってくれるなんて珍しいね。宇宙終わるんじゃないかな」

 「雨が降るくらいで抑えて欲しいぜ」


 マッサージといってもこの小さな身体では無理な話で、太股や腰の上で足踏みをする程度だけど。

 その気持ちが嬉しい。


 「あきらが動けなくなったらあてしは雨宮に…!やばい、まじやばい…!」


 なんか呟いてる…………。

 道理で殊勝なわけだ。


 「…どういう理由にしても助かるよ。手とか足の先とか、身体のあちこちまだ感覚ないんだ。

 普通それじゃ済まないよね…大したものだよ、あの服は」


 コーラの染みもいつの間にか消えていたし。


 「あてしに感謝するべき」

 「…それも納得いかないけど…しかし、今日の電柱の件は特にヘンだったね」

 「あん?」

 「あの電柱は電線に侵食ばかりして…それも驚異だったんだけど。他の電柱には一切増えていなかったんだ。

 それだけじゃない。そもそも本体の電柱も、上の三分の一くらいしか黒くなっていなかった。そのせいで…本体を見誤った」

 「ソデスネ」

 「…解らない?

 …元々黒い色の電線にばかり集中して…範囲をとにかく広げて曖昧にして。

 目立たないように…僕らに見つからないようにする意図があったみたいだ。…………深読みのしすぎかな?」

 「アキラーあなた疲れてるのよ」

 「…疲れてはいるけどさ」


 …まるで意思を持ちだしている…。

 …黒いものの性質自体が格段に悪質化しているような。

 そんな風に思えなくもない。


 「…まさかね」


 僕が頭を捻ったところで解るはずもない。


 それにこういう言い方は少しヘンだけど。

 ……今日は、少し…楽しかった、気がする。


 雨宮さんが人払いをして…。

 電線を切る先輩を…秋谷さんが「直接蹴る必要がない」能力を生かして…守って。


 ……みんなが作った隙を、僕が生かす。


 なんかちょっと最後が僕じゃなくてもいいというか、活躍が微妙なんだけど。


 みんなで力を合わせた。

 少しの間色んな問題を忘れていられた。

 いつもこんな風にあればいいなあと、思うんだ。


 「あきら、気持ち悪いぜ」

 「…あ、ニヤけてた?」

 「エロいくらいニヤってた」

 「…どういう意味か解らないよ」


 とにかく心地良い疲労感だ。

 このまま身を任せて、眠ろう。


 /


 僕の願いは叶わなかった。


 協力し合ったのはそれが最初で、最後だった。


 /


 …一人の中年の男が歩いていた。


 飲み屋帰りだろうか。

 泥酔した様子で顔を紅潮させ、スーツをだらしなく乱してよろよろと頼りなく歩いている。


 暗い道だった。


 時間は深夜零時を過ぎたところ。

 人通りはなく、また寝静まった民家から光が漏れることもなく、真っ暗な住宅街には街灯の明かりだけがチカチカと揺れている。


 男は口に銜えたままの煙草を摘んで放し、静かに紫煙を吐き出した。

 そのままの手で髪の毛を乱雑にガリガリと掻き、欠伸をひとつ。

 灰が頭にパラパラと降りかかったが、気にするほど精神状態は定まっていないようだった。


 もう一度だけ大きく煙を吸い込み、男はそのまま煙草の吸い殻を道へ放った。

 火は点いたままで、未だに煙草を燻り続けていた。


 「―――待ちなさい」


 冷たい声が走る。


 「あ?」

 「待ちなさいと、言っているの」

 「………」


 男は渋々振り返って、その主を確認した。

 夜の闇に溶け込むような真っ黒な服。

 それは小さなフリルが各所についていて、西洋のドレスを連想させた。


 歳は男よりも相当に若いだろう。

 二十…いや、まだ十代かもしれない。

 捨てられた吸い殻の少し手前に立って、男を射抜くような瞳で見ていた。


 「なんだ、そんな格好して。アホなんか?」


 少女は眉一つ動かすこともなかった。


 「この吸い殻、貴方が捨てたのよね」

 「あ?」

 「何度も聞き返さないのよ」

 「ああ?それがなんだってんだ?」

 「それが悪いことだと知って?」

 「……はあ?なんだねーちゃん。警察か?違うだろ、何の権利があって偉そうに。ふざけんな」

 「…フフ。権利、ね」


 少女は手にした黒の棒を一度振った。

 キンという甲高い音がして、棒が一瞬にして姿を変える。

 闇夜にも解る、恐ろしく鋭利な輝きを秘めた剣。


 男がそれを直視し…声をあげようと口を開く。

 ………それよりも早く刀身は振り抜かれていた。


 「……う?」


 男は暫く、ただ呆然と立っていた。

 しかしアスファルトに滴り落ちる水滴と、転がる自分の指を見て―――ようやく痛みを感じたのか、目を見開いて絶叫をあげた。


 「…これに懲りたら、もう止めるのね。何を止めるかは…もう、解るわね。

 煙草一本と指一本…割に合わないわねえ………」


 失った指の断面を抑えながら、顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにしながら男が蹲る。

 そこに少女は白い指で吸い殻を拾い上げ、男の頬に向けて火種を押しつけた。


 「ぐあ…うう…うあああ、ううううああ!」

 「それとも、指を全て失うまで続けてみるかしら。

 もしまた…私が現れなければならないようなら…一本では済まさないけれど」


 男は恥も外面もなく、地面に顔を擦りながら何度も首を振った。


 「…そう。それでいいの。本当は最初から…そうあるべきなの」


 少女は剣を携えたまま背中を向けた。

 一度も振り返ることなくその場を立ち去ってゆく。


 残されるのは血の痕と、苦悶の声をあげる男と、一枚の紙。



 ポイ捨ての罪。


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