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「せいぎのみかた」  作者: わちがい
せいぎのみかた
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01 草の怪

 十月初旬のとある日曜日の事だった。

 僕は腰を折って地面に這い蹲るように屈み、延々と公園の草むしりをしていた。

 暦の上ではとっくに秋ではあるが、この日は太陽が爛々と照り、しかも全くの無風状態で汗ばむ陽気だった。


 たまの日曜だ。

 武道場は、柔道部が練習試合で使っている。

 だから珍しく嫌みを言われることもない、心おきなく休める日曜だ。

 試験が近い。

 最近夜は勉強をすることにしていた。

 眠気はあった。

 疲れがたまっていた。

 休んでおきたかった。

 とにかく日曜だった。


 「……ああーう」


 思考がまとまらない。

 頭の中にモヤモヤした熱気が渦巻いている。


 …汗で目が染みる。

 熱射病の一歩手前だ。

 少し日陰で休もう。冷たいものも飲もう。


 泥だらけの鎌をざくりと地面に突き刺して身体を起こす。

 全身からぽきぽきと間接が鳴る音が響き、意識が一瞬遠くなった。


 「ヒカリ」

 「んあー」

 「僕のリュックから水筒を出してくれないか。水色のやつだよ」

 「飲んだ」

 「…ごめん、もう一度言って欲しい」

 「中身は麦茶だったわさ」

 「……そう。麦茶だ。僕が、朝、六時に起きて、作った」

 「だって暑いぜ」

 「…それは僕も一緒だ。というか君はだね、ずっとこの日陰にいて。

 しかもナメたことに僕のリュックを枕にして、僕のハンカチを地面に敷いて、寝ていただけだね」

 「寝てたっていうか…横になって目を瞑ってたらなんか時間飛んでた」

 「寝てンだよそれ」

 「マジか」

 「……二リットルは入る水筒だったはず…うわ、本当に全部ない!」

 「あそこに水道あんじゃん。あそこで水入れたらよくね?」

 「………」


 あそこの水道はさっきどこかのおばさんが散歩中の犬に飲ませていた。

 直接口をつけ、べろんべろんとまるで妖怪のように舌を這わせていたんだ。

 僕はあの光景を見てなお飲用に使う気にはならない。

 というかそういう問題ではない。まったくない。


 水分が採れないと解ると余計に目眩が酷くなってきた。

 付近にあった木ぎれを手繰り寄せて地面の土をガリガリ掘り進む。


 「なんか埋まってんのけ。地下水脈とか?」

 「…埋めるのはこれからなんだ」


 察したらしい。

 凍り付いた笑顔で遠ざかっていくのですかさず捕らえ、逃げられないようにリュックに閉じこめた。


 「暗いー!狭いー!臭いー!」


 失礼な…。

 ん…、…そういえば小学校の遠足に使ったのが最後かもしれない。

 それ以降は学校のカバンがあったし、遠出することもなかった。

 今朝方かなり埃は拭いたつもりだけど…うん、多少臭いかもしれないな。


 結論が出たところで更に掘り進む。

 幸いヒカリの体長は十五センチほどしかない。

 非力な僕でもさして時間はかからなかった。

 この中にヒカリを埋め、大き目の石で封印しておけば復活することはないだろう。


 「だ、大丈夫!実はまだ少し残ってるわさ!あてしがそんなヘマすっかよ!」


 器用に内側からジッパーをこじ開けて、水筒を抱えて僕に示す。

 蓋を開けて中を覗くと、縁きり一杯あった麦茶は消滅して底に氷だけが幾つか見えた。

 軽く揺らすと溶けて水になったものがちゃぷちゃぷと微かな頼りない音を立てる。


 「…コレ?」

 「それだぜ」


 ヒカリの住処はこれから土になった。


 /


 昨晩。


 僕は真っ暗な道を、冷たい風に切られながら一人歩いていた。

 街灯だけが等間隔にぽつぽつと揺れる閑静な住宅街。


 日が短くなったものだなあと年寄り臭い独り言を呟きながら、僕は何気なく視線を空にやった。


 それははじめ、ただの星かと思った。

 しかし良く見れば奇妙な動き方をしている。

 ならば飛行機だろうか。

 それも、どうも違う。

 小さな光点がふらふらと左右に揺れながら空を徘徊しているのだ。


 空が一瞬薄い雲で陰る。

 それで、その光点が意外にも地上近くを飛んでいることが判った。

 なんだろう。

 とても気になる。

 思考が全てあの光点の事で埋まる。

 不自然なくらいに。


 誘蛾灯に引き寄せられるように進路を変え、僕は小道へ入り込んでいった。



 で…まあ――――色々あって。


 僕は、ヒカリと出遭った。

 出逢ってしまった。


 /


 「やめて!あてしのライフはもうゼロよ!」


 土の中からゾンビのように這い上がってくる。


 「…元気じゃないか。……ああもう、あのとき空なんか見上げなければこんな事には」

 「まーた美少女系アニメの話か」

 「いつ僕がそんな話をしたんだ」

 「ぷへっ、ぺっぺ」


 土を吐き出す。

 …僕の方へ向かって。


 一日の付き合いでこれほど性格が把握できた相手を僕は知らない。

 全長に見合った容量の脳しかないんだきっと。


 「なにはともあれ草むしりしろよ」

 「まだ十分も休んでいないんだけどさ。…麦茶は誰かさんが飲んじゃったしね」

 「世界の危機に比べたら麦茶がなんだ!」

 「…はあ」

 「何このシラケ世代」

 「昨日はヒカリの雰囲気に誤魔化されたというか。押し切られたというか。つい信じてしまったけど…やっぱりどう考えてもおかしい」

 「あああん?」


 …喧嘩売ってる?


 「どういう順番で考えたら僕が草むしりすることが世界を救うことになるのさ」


 ヒカリは不満そうに口をへの字に曲げて、僕の方に土を吐いた。


 「やっぱり喧嘩売ってる?」

 「まあそれはいいじゃん」

 「いや全然良くないんだけども」

 「朝言ったはずだぜ…「見れば解る」。逆に言えば見なきゃぜってーわかんないわさ。あれはそういうもん」

 「あ…そ」


 まったく意味が解らないし信用も出来ない。

 しかし目の前にいる…このヒカリの存在自体、すでに僕らの常識からは外れたものだ。

 だから頭からは否定出来ない。


 世界の危機も。

 この草むしりも―――、

 …もしかしたらただ担がれているのかもしれないけど。


 「…僕もここまでやってしまった勢いもあるから。今日一日は無駄にする覚悟でやってもいいよ。でも」

 「でも?」

 「何もなかった時のために…土と暮らす準備はしておいてね」


 穴を指差す。


 「うけるー。冗談きついぜ」

 「僕はウソをつかない」

 「はは…は…は?」


 /


 元々単純作業はそう嫌いではない。

 黙々と淡々とただひたすらに草を刈り引き抜いていく。


 ふと、虫の音が聞こえて顔をあげる。

 いつのまにか憎たらしく僕らを見下ろしていた太陽は建物の後ろに隠れ、辺りは夕暮れ色に染まっていた。

 道理で汗が引いているわけだ。

 風も吹き始めて、過ごし易い気温になっている。


 改めて辺りをぐるりと見渡してみる。   

 自分独りでここまでやったのかと驚くほど、広範囲に渡って土肌が剥き出しになっていた。

 それでも全体からすれば半分にも届いていないけれど…。


 「うう…寒っ」


 身を震わせる。

 汗でぐしょぐしょに湿ったシャツの所為で、体温がどんどん奪われる。


 「ヒカリー、今日はもう終わりにしよう。このままじゃ風邪をひいてしまう」

 「ひかなければよくね?」

 「何考えてんだ」

 「何も」

 「いや、だと思ったけどさ」

 「むー…ん」


 ヒカリは眉を顰めて、辺りをきょろきょろと見渡した。


 「あと三十分粘ってこーぜ」

 「もういいじゃないか。ここは腹を決めよう。土の中も案外暖かで涼しいかもしれないよ」

 「まてまてまてまてまて。まだその結論は早いぜ。

 もうかなり近づいてる気はするわさ、だからあと三十分…」

 「近づく?」

 「…………」


 ヒカリは何も答えなかった。

 彼女らしからぬ真剣な目で、空を睨んでいる。


 「…はあ」


 明日は一日筋肉痛だな。

 また鎌を握って、大きく深呼吸する。


 ヒカリはさっきの態度はどこへやら、再び僕を尻目にゴロゴロしていた。

 もう口を出す気にもならない。


 彼女はああいう奴なのだ。


 /


 ―――これがヒカリが探していたものだ。


 そう、直感する。


 黒い草。

 ごく自然に、

 当たり前のように、

 普通の草と草の合間にそれは生えていた。

 一点の曇り翳りも無く、光沢さえもない。どこまでも深い漆黒の色。


 …異質だった。

 こんなものは、有り得ない。

 誰かが塗料を塗りつけたとかそんな次元じゃない。

 あまりに…あまりにも自然すぎる。

 違和感が全く無い。


 でも僕の理性が全力を挙げて警告している。

 自然にこんな色の草が生えるなんて有り得ないんだ。

 これはヘンだ。

 異常だ。

 本来ここに在るべきではない、在ってはならないものだ。

 存在を許してはならないものだ。


 不安になる。

 喉が乾いていたのを思い出して、ごくりと生唾を飲み込む。


 なんとかしたい。

 目の前からこれを消したい。

 理由は漠然としていて、解らない。

 だからこそ余計に不安で落ち着かない。


 「それを、刈るんだ」


 気がつけばヒカリが僕の横に立っていた。


 「…早く」


 強い口調で促してくる。


 「は、早くっていったって…これ、触っても大丈夫なものか…」


 触れればこの黒に、そのまま飲み込まれてしまいそうな気さえするのに。


 「…触る事ではどうにもならない」


 鎌を落としそうになって、慌てて強く握りなおす。

 もう気温は随分下がっているのに嫌な汗がじわじわと湧いて来る。


 「早く」

 「…わ、解った」 


 意を決する。

 ここまで来て何もしないではそれこそ今日一日が無駄になってしまう。

 草を掴んで、根元へそっと鎌の刃を押し当てた。

 軍手越しとはいえどうにも気持ちが悪い。

 ゾクゾクと全身に鳥肌がたつ。


 深呼吸を大きく一つして、ゆっくりと、恐る恐る刃を食い込ませる。


 瞬間。

 目の前が光で染まった。


 …光。

 黒い光だ。

 黒い光の粒が、渦を巻いて切り裂いた断面の隙間からこぼれ落ちていた。

 それは空へ昇って、僕の頭を少し越えたくらいの高さで掻き消えてゆく。


 「てい」


 僕を無視してヒカリが草を豪快に引き千切る。

 途端、大量の黒光が吹き出して僕の視界を暗黒に染めあげた。

 しかしそれも一瞬のこと。

 数秒で霧散して、音も無く空へ溶けていった。


 後には、横たわる草が残るだけで。

 いつの間にか何の変哲もない…緑色に戻っている。


 /


 「今日は頑張ったぜ。あきらも頑張って草を探した。草も頑張って探された。あてしも頑張って麦茶飲んだり寝たりした」

 「あれは、結局…何だったのさ」

 「ただの高校生さ」

 「は?」

 「ジェネレーションギャップを感じるぜ」


 …ほんとに埋めて帰りたい。


 疲労と疑問と、ポケットの中の重さを引きずりながら僕はとぼとぼ家を目指した。

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