8、再会と再診
クラウドはフレデリック侯爵家の邸で困り果てていた。
「どうしたらいい……」
途方に暮れているのは、昨夜ワインを飲み過ぎたからではない。多少の不調はあるものの、クラウドは至って元気だ。
それならば、どうしてクラウドは困っているのか。それは、仕事が一歩も進まないからだ。
「おはようございます、ゴルト侯爵殿」
「おはようございます、クラウド様。お酒がお強いようで、私は少し飲み過ぎましたよ」
やはり穏やかに笑う侯爵だが、少しだけ顔色が青白い。
「いえ、強いというほどではありません」
「そうですか? では、クラウド様もいりますか?」
侯爵は執事に渡された薬をクラウドに差し出してくる。どうやら二日酔いの薬のようだ。
「では、いただきます」
エリーの薬かと思ってクラウドは興味が引かれた。そして薬を飲み干してから、これから一番大事なことを尋ねる。
「ゴルト殿、令嬢はどこにいらっしゃいますか? すぐに会うことは可能ですか?」
クラウドの問いに侯爵は目を逸らすというより、遠くを見る。
「うーむ、どこにいるか……どこにいるだろうねぇ? あの子は自由だから。見つければ、すぐに会うことは可能でしょう」
なんとも適当な返事と、貴族の娘にあるまじき行動にクラウドは絶句する。
「どこにいるかわからないとは……どうしたらいいのだろう」
これでクラウドは冒頭の悩みにたどり着く。
当てもなく他人の邸をうろつくクラウドだったが、突然背後から声をかけられる。
「やぁ、エアリルに会いたいのかい?」
エアリルとは侯爵家の令嬢の名前だ。
クラウドが振り向けば、そこには昨日会った門番がいた。
「なぜそれを……?」
侯爵がクラウド訪問理由を使用人に軽々しく伝えるわけがないと、訝しむ。
大体、仕える主人の娘を呼び捨てなど馴々しい。
クラウドの怪しむ視線を感じとったのか、門番は笑いながら手を振る。
「俺、怪しくないよ。エアリルを探しているなら協力してあげようと思って。一応、妹のことはわかっているつもりだし」
「……い、妹!?」
まったく予想もしていなかった言葉にクラウドは仰け反るような反応をしてしまう。
「いい反応だね。みんな、門番が侯爵の息子とは思わないからね」
心底楽しむような門番、もとい侯爵の息子は確かに侯爵に似ているところがある。
「し、失礼した。クラウドと申します。分け合ってエアリル嬢を探しています。よければどこにいるか教えていただけますか?」
驚きを飲み込んだクラウドは、妹のことを知っているという兄に尋ねる。
「うん、それはリズに聞くのが早いよ。こっち」
気軽い姿勢で案内されるクラウドは、やはり侯爵家の人間は変わり者だと改めて納得した。
「はい、ここね~。リズ!」
あっという間に到着した場所は、使用人たちの休憩室のようだ。
「何ですか?」
振り向いた小柄な女性の顔は苛立っているように見え、とても仕える立場の者の表情ではない。
「エアリルに会いたいという方がいるんだ」
「へぇ……どこぞの門番が逃がしたお嬢様を探しているのですか」
「うん……その、僕は一応忙しくてさ。門番ばかりもできないのだよ。それにエアリルは僕がいても出掛けていたよ」
女性に睨まれて、たじたじとなった侯爵の息子は仕事を思い出したと逃げ出してしまう。
「あっ……」
置いて行かれたクラウドだが、追いかけるよりも目の前の女性に話を聞く方が重要と判断する。
「エアリル嬢は邸にいないのか?」
「えぇ、そうです。まったくお嬢様ときたら……」
ぷりぷりと怒る女性は侯爵娘付きの侍女らしく、邸から抜け出した主に怒りを顕わにしている。
(まぁ、貴族の令嬢が邸から抜け出すなんて……。貴婦人としてはあるまじき行為だし、怒るのは当然か)
クラウドは侍女の怒りを理解できると思ったが、それは間違いだった。
「どうして、私も連れて行ってくれないのかしら! 抜け駆けよ」
「……んっ?」
侍女は一人で邸から抜け出されたことが気に入らないらしい。
主人が変わり者だと、使用人まで変わり者になってしまうのかとクラウドはこれからどうしようかと頭を悩ませる。
「リズ!」
「あっ、エリー様!」
クラウドの後ろからした声に侍女のリズが駆け寄る。クラウドはリズの紡いだ名前に反応して振りかえる。
「ごめんね、この薬をしまってもらえる?」
「はい」
昨日別れたばかりの薬師がリズに薬を渡している。二人は何か小声で打ち合わせした後、リズはエリーの後ろにいたウェズと一緒に荷物を運ぶためどこかへ行ってしまう。
「クラウド様、無事に辿りつけていたようで良かったです」
「ここでも働いていたのですね」
クラウドはエリーが侯爵家にも薬を卸しているとの予想が当たったと一人頷く。
「はい、ウェズは元々ここの従者なのです。侯爵様は、診療所の警護として力を貸してくれているのです」
エリーはただの薬師とは違い、破格の待遇をもらっていることはよくわかる。森の診療所にいるものの、もしかしたら大きな商家の娘なのかもしれないとクラウドは考える。
「その後、体調はいかがですか?」
考え込むクラウドにエリーが尋ねてくる。
「それが、仕事で面倒なことになってしまって……」
「それで、お酒を飲んだのですか?」
「えっ、えっ……どうして?」
どうしてわかったのかと、クラウドは慌てる。酒は胃に良くないと言われていたので、後ろめたいのだ。
「ふふっ、顔を見ればわかります――というのは冗談で邸の薬が減っていたからですよ。どうせ、侯爵様が飲ませたのでしょう?」
仕方がない人だというエリーの顔には侯爵への親しみが感じられる。
「無理……いや、これからのことを考えるとつい自分から……」
正直に告白したクラウドにエリーは怒るでもなく、微笑み返してくれる。
「そうですか。では、気分が落ち着くお茶でもどうですか? お酒の残りと面倒な仕事が重なって、また疲れが出てしまいますよ。私でよければ相談にも乗りますし」
「お茶……森まで戻って?」
魅力的な誘いではあるが、早急に令嬢を探さなければいけないクラウドに半日の移動は厳しい。
「まさか。私は邸に部屋をもらっているので。そこで頼まれた調合などを行っているのです。ですから、そこで」
邸の中でお茶ならば時間もとられないし、もしかしたらエリーが令嬢について何か知っているかもしれないとクラウドに断る理由はなくなる。
「それなら少しだけ。でも、邪魔にならないか?」
「邪魔なら、誘いませんよ」
はっきりとしたエリーの態度は変わらない。部屋に行くことが決まれば、さっさと先を歩きだす。
「令嬢は逃亡中。情報集めしかできないんだ……ちょっとぐらい休んでもいいだろう」
クラウドはエリーを小走りで追いかけて、横を歩き始めた。




