7、入院? いいえ滞在です
「嫌です」
きっぱりはっきりした断りに、クラウドは慌てる。確かに簡単に事は進まないと思っていたが、ここまで完全否定されるとは思っていなかった。
「そ、そんな……少しくらい考えてみてください。良い点もあるはずです!」
「無理ですね」
さっきまでの穏やかな表情は未だに変わっていない。それなのに有無を言わせない強さが侯爵には感じられる。
これが噂の侯爵かと納得するクラウドだが、引き下がるわけにはいかない。
「レイバン王子は多少性格に難ありではありますが、そこに目を瞑れば次期王妃ですよ」
女性にとっては至高の地位、その親も子が生まれれば世継の祖父となり外戚として力を持つことも可能となる。貴族に生まれれば誰もが一度は夢見るだろう話だとクラウドは持ちかける。
「そんなに勧めるなら、我が家ではなく他家が引き受けるでしょう。我が娘でなくてはいけない理由がおありでしょうか?」
「他家……あくまでも断るということですか。なぜ、ここまで興味を持ってくれないのです」
「私の娘が王妃になっても、娘は娘。子が世継となり王となったとしても、孫ではあっても私が王になるわけではないでしょう?」
王とは新興国以外は生まれながらに王族だ。娘が王妃になったからといって侯爵が取って代われるものではない。
別に侯爵は王になりたいと言っているわけではないだろうことはクラウドにもわかる。ただ、わきまえているのだ。正しく、自分のあるべき場所を。
「私は王ではない身で王のように外から権力をふるいたいと思いません」
静かに紡がれた侯爵の言葉には、中央の政治に興味がないとはっきり含まれていた。だから、娘を王子妃候補にするなと候補の目は語っている。
「王家の意向に逆らうということですか?」
まったくなびかない侯爵に痺れを切らしたクラウドは、権力という圧をかけて揺さ振ってみる。
「これは本当に王家の意向でしょうか? まだ正式な使者も来ていないのですから」
正式決定していないというところを逆手にとられ、クラウドは反論できない。侯爵は余裕の笑みでさらに続ける。
「我々は試されているのでしょう? なら話は早い。フレデリック家は不敬で王子妃候補を選ぶには適さないと報告すれば意向から外れる」
さっきまで圧力をかけていたのはクラウドなのに、いつの間にか候補から外す報告をしろと話は変わり立場が逆転している。
「そのような虚偽の報告はできません」
もちろんクラウドはかけられる圧力などないため侯爵に従う必要はない。
「虚偽ではないでしょう?」
薄く笑う侯爵にクラウドは背筋を震わせてしまう。王家、国に背くことを厭わないという姿勢を貫く男が怖かった。
「なぜ……なぜ、ここまで嫌がるのです?」
「では、なぜ我が娘でなくてはいけないのです?」
侯爵家の娘でなくてはいけない理由をクラウドは考える。
「王子が選んだからです」
「他にも数人選んだのでしょう?」
間髪入れずに侯爵が理由を否定してくる。
「そ、そうですが……王子はすべての方を迎えても問題はありません」
「それでは娘が王妃にはなれない」
「権力には興味がないと言ったではないですか!」
思わず責めるような言い方をしてしまったクラウドに、侯爵は至って冷静に頷く。
「はい、興味はないですよ。ですが、クラウド様は嘘を付いた。いかにも娘が王妃になるという風に……王宮も後宮も嘘で溢れている。私は娘をそんなところにやりたくない。似合わないのですよ、あの子には……」
「う、嘘などでは……」
クラウドは辛辣な侯爵の言葉に声を詰まらせる。
「ははっ、クラウド様を困らせるつもりではないのです。ただ、明確に納得できる理由がないと私は娘を渡せない……というか娘も黙っていないでしょう」
ここに来て追及の手を休めた侯爵はまた穏やかな笑みに戻る。
「不誠実な言い方は詫びます。ですが、こちらも意味なくここへ来たわけではありません。どうか時間をかけて見当してくれませんか?」
クラウドは自らの発言の否を認め、誠実に頼み込む。 それはもしかしたら自分の仕事が楽になるかもという願いのためではなく、国の主の将来のことを考えてだった。
「こんな田舎の侯爵に丁寧に頼むような真似……仕方がありませんね、正直に言いましょう。私は何だかんだ言いましたが、娘を嫁に出すのが嫌なだけなんですよ」
苦笑した顔は、侯爵としてのものではなく父親としてのものだった。
「それは……きっと親ならば誰しもが思うことでしょう。それを不敬とは言えません」
貴族の親たちの大半は間違いなく娘を差し出すだろうが、あえてクラウドはそんなことは言わない。
「ですが、いつかは家から出る日が来るでしょう?」
だから諦めてくれとまではいかないが、考える余地はあるのではないかとクラウドは問う。
「もちろん、そんな日は来るだろう。たが、私は娘が望む形でこの家を出ていって欲しいと願っている」
この父親を持つ娘がどんな者なのか、クラウドは純粋に興味がわいた。
(もしかしたら、本当に王子が気に入る可能性もある……)
期待を込めて、クラウドはもう一度願い出る。
「どうか、お願いします」
「……私たち、フレデリック家は縁談くらいであれば断る権利を持っています。先代が一言告げれば間違いないでしょう」
国を守った先代侯爵は強い発言権を有しているし、現在も国境を平和に治めているフレデリック侯爵家には王家でも強く出ることはできない。
「そこをなんとか」
もう、なりふり構わずお願いするしかないクラウドは縋るように侯爵を見る。
「……どうしても娘がいいと? なぜ?」
「ゴルト殿と会話し、あなたの娘ならと強く思いました!」
「私は娘ではないですよ」
侯爵はクラウドの勢いに呆れまではしていないが、似たような反応を示す。だが、やがて何かを考えるように目を閉じてから口を開く。
「では、クラウド様。娘に了承をとってください」
「えっ、それは……?」
王子妃候補の話を受け入れてくれたのか、いまいちわからない答えにクラウドは戸惑ってしまう。
「娘が王子妃になっても良いと言えば私も認めましょう。それが娘の望む形なら……ですが、娘が了承しないのであれば、フレデリック家はこの話を拒否します」
「それは、御令嬢の判断に任せるということですか?」
当事者に決めさせると侯爵は娘に決定権を託す。
「本当は私が断って終わりにするつもりでしたが、クラウド様の熱意に負けました。その情熱を娘に伝えてみてください。ですが、娘は手強いですよ」
「きっと了承をとります! そのときはゴルト殿も納得していただきたい」
クラウドは門前払いからの躍進に声を弾ませる。
「ふむ、主人想いで誠実だ。相手がクラウド様なら私もすぐに認めたかもしれませんな」
「な、何を……王子妃候補であるというのに。王子が選んだ方を従者になど、冗談でも言わないでください!」
侯爵の突然の発言にクラウドはうろたえてしまう。
「冗談……ではないのですが、まぁいいでしょう。冗談を失礼しました」
「そうですよ、王子を敵に回すようなこと、考えただけで胃が痛くなる……」
クラウドは胃を押さえるが、薬と食事の効果で痛みはない。
「そんなこと言っても、何が起こるかわからないものです。人の心は動くものです。私は娘が王子妃の話を了承するとはまったく思っていませんが……それもクラウド様次第ですね」
侯爵は娘が決してなびかないと信じている一方で、何かが起こることを期待しているようだ。
「精一杯やります。それで、御令嬢はどこに?」
クラウドは挨拶だけでもと侯爵に尋ねる。
「うん、まぁ……今日は疲れたでしょうから休んだ方がいい。話は万全の態勢で臨んだ方がいい」
ただ話をするだけで、万全の体調を求められる相手の娘とは一体どんな者なのか。クラウドは侯爵家が皆変わり者であることを思い出し、顔をひきつらせる。
そこには今までの強気な姿勢のクラウドはもういなかった。
「今日はほらっ、飲んでください」
侯爵に促されるままにワインを傾けたクラウドは、不安なことを忘れるようにグラスの中身をあおってしまった。




