6、漢方薬は食前に
馬を走らせることしばらく、森を抜けると素朴ながらも賑わう街が現れる。
「ここがフレデリック侯爵の領地か……」
活気溢れる様子を見れば、フレデリック侯爵の手腕がわかるというものだ。
街の中を見ると時間がかかるので、まっすぐに侯爵邸を目指してクラウドは一気に馬を走らせる。
「着いた」
本来、クラウドのような立場の人間が来訪する際は事前に通達が行き多くの供を付けて赴くというのが普通だ。しかし、今回の訪問は極内密なもので侯爵家にも通達されていない。
「突然の訪問失礼する」
クラウドは大きな邸の前に立つ、立派は鎧を纏った門番に侯爵への取り次ぎを願い出る。
「これは宰相様の息子様。こんな田舎までお出でになるとは、すぐに侯爵へ取り次ぎましょう」
軽々しい口調のわりに、鋭くクラウドのことを言い当てた男は一介の門番には到底思えない。
「あなたは何者だ?」
「俺? 俺は門番ですよ……いや、それは記号にしかすぎないな。俺は俺でしかないのだから。そう、俺は 門番である前に一人の人間。だからこそ何者にでもなれるはずと日々研究を――」
「案内はここからわたしが担当します」
一人で暴走をはじめた門番をスマートに押しのけて、白髪混じりの執事がクラウドの前で深く頭を下げる。
「あれは一体?」
「門番です。少々変わり者ゆえ、お気になさらずに。こちらへどうぞ」
流れるような動作は無駄がなく洗練されているが、どこか有無を言わせない雰囲気もある。
「こちらでお待ちください。すぐに主人が参りますので」
ドアの前でもう一度深い礼を見せた執事が去ると、クラウドはまだ侯爵とも会っていないのに疲れた気分になる。
「さすが噂の侯爵家。邸に入る前からこれとは……前途多難だな」
不安が込み上げてきたクラウドは、そういえばと時間を確認してからエリーの薬を取りだす。
「これは食前だったしちょうどいいな。胃は痛くないが、きっとこれから痛くなるだろうし、お守りだと思って飲むか」
クラウドが薬を飲み終わったのと、部屋に侯爵が現れたのはほぼ同じくらいの時間だった。
「はじめまして、クラウド様。私がフレデリック侯爵家当主ゴルトです。よろしくお願いします」
フレデリック侯爵はもう四十を越えた年のはずなのに、クラウドの前にいる栗毛の柔らかそうな髪に鳶色の瞳を持った人物はとても若いように見える。
まなじりを下げた表情はエリーたちが話していたように確かに穏やかだが、その若さの方が気になってしまう。
「突然の訪問で申し訳ない」
「いいえ、お気になさらずに。ですが、王子の側近を務めていらっしゃるクラウド様がこのような田舎にどんな御用で?」
ニコニコとした表情は、侯爵が何を考えているかわからなくしている。
「はい。実は内密の打診がありまして……フレデリック侯爵家の御令嬢を王子の――」
「あぁ! もしかして隣国との国境の視察ですかな?」
「へっ?」
クラウドはあからさまに避けられた話題に戸惑ってしまう。
「それとも関税のこと……あぁ、豊穣祭に向けての準備のことですか?」
「いや、御令嬢――」
「あぁ――! 飲み物がないですね」
どうあっても娘の話をしたくないらしい当主ゴルトは、にこやかながらにやっかいだ。
「失礼します」
お茶のおかわりを持って来た執事の動きも心なしかゆっくり見えて、クラウドは中々本題を切りだすことができない。
「あのですね、ここにお茶をしに来たのではなく――」
「そうですね! そうだ、少し早いが夕食にしましょう。用意を」
「かしこまりました」
「い、いや……その」
クラウドの意向などお構いなしに侯爵と執事が話を進めてしまう。このままでは仕事ができない――クラウドは焦りと共に懐かしい痛みを感じはじめる。
「うっ……薬は飲んだのに……」
「むむっ、どうしましたか? 大丈夫ですか?」
急に顔色を悪くしたクラウドに気が付いた侯爵が心配そうに尋ねてくる。心配するくらいなら話を聞いてくれとクラウドは声にならない叫びをあげる。
「これは……この薬は食事もきちんと摂らないといけないのですよ。今、用意しますので少々お待ちください」
エリーの薬は侯爵邸でも御用達らしく、服用方法を心得ているらしい。クラウドはとりあえず体調を整えるため本題から逸れることを甘んじて受け入れた。
「いや~、クラウド様が森の診療所の薬を持っているとは驚きました」
「ここに来る途中、エリーという薬師に助けてもらいお世話になりました。薬も良く効くので驚きました」
「そうでしょう、エリーは良い娘でしょう」
なぜか機嫌が良くなった侯爵はクラウドに料理や酒をどんどん勧めてくる。
(こんなに機嫌がいい今なら……むしろ今しかないのではないか?)
クラウドはこの機会を逃さないと、一気にまくしたてる。
「ゴルト殿、今回の訪問のことを聞いて頂きたい。これはまだ内々の話ですが、フレデリック侯爵令嬢をレイバン王子の妃候補にと挙がっています」
ついにクラウドは今回の訪問の目的について触れることができた。
「それは突然な話ですね」
侯爵は特に驚いた様子も、喜ぶこともなく落ち着いているように見える。
「いずれ正式な通達が来ると思います」
クラウドの仕事は正式な通達の使者ではない。
「クラウド様は妃候補がどのような者か品定めするよう王子に命を受けたということですね」
「はい……ですが、それは王子が興味を抱いたからなのです!」
クラウドが王子から与えられた仕事は、妃候補についての調査だ。王と重臣が選んだ候補の中から数人、王子は面白いと抜きだした。
その一人がフレデリック侯爵令嬢だった。
「ふむ……あの噂の王子が興味を持った。それを知った王と重臣がその娘たちはなんとも確保しようとしているといったところですか」
「あの王子が選んだのです」
妃など勝手に決められてたまるかと言っていた王子が興味を持った、それだけで王と重臣は喜んで正式な通達の使者を送ろうとした。だが、それを止めたのは王子。
「少し、調査をしてからの方がいい。妃というものは重要なものなのだから、簡単に王宮へ上げない方が良い。こちらから調査員を派遣しましょう」
珍しく立派なことを言った王子の意見は即採用され、クラウドはここにいる。だがクラウドは知っている、王子はただこの状況を楽しんでいると。
それでも王子が女性を選んだことには変わらない、確保すればお前の苦労も減る。そう言われてクラウドはここに来たのだ。
フレデリック侯爵の反応は上々、娘を王子妃にと言われても舞い上がらず冷静に物事を判断する。妃候補であることを隠さず調査することは野心を持っていないかを見極めるため、これさえクリアすれば後は承諾をとるため押せとクラウドは言われている。
「悪い話ではありません。考えてください」
そして自分に平穏をとクラウドは縋るような気持ちで侯爵に頼む。
侯爵がゆっくりと手にしていたワイングラスをテーブルに置き、クラウドの目をじっと見つめる。
優しげな瞳はすべてを受け入れるように見えて、クラウドは無事に仕事が終わる予感がする。
だが、クラウドはこの後思いがけない返答を聞いた。




