4.噂の侯爵家
食事も終わりに差し掛かった頃、大きな声がする。そうすれば、エリーはすぐさま立ち上がって扉まで迎えに出る。
「急患か?」
「えぇ。でも、もうかなり安定しているわ」
「それはよかった。エリーの薬はよく効くからな」
部屋に現れたのは大柄な男で、およそ先生とはかけ離れた見た目だ。
よく鍛えられた体と張りのある声から年齢を推察するのは難しい。
「今日はもう遅いから泊まってもらうわ」
「そうだな、夜の森を無理して抜けるのは危険だ。なぁ、ウェズ」
「……はい」
エリーと会話している先生らしき人物の他にもう一人いるらしい。
「狼の鳴き声がしたから、慌てて戻ってきたんだ」
「あら、先生とウェズなら狼くらい問題ないでしょ?」
あっさりと言ったエリーの言葉が冗談に聞こえず、クラウドはぎょっとした顔をしてしまう。
「ははっ、エリー。患者を恐がらせてどうする」
「えっ、あっ……今日はよろしく頼む」
世話になるのに挨拶も忘れていたクラウドは、慌てて椅子から立ち上がる。
「ここは診療所だ。具合が悪い者は遠慮するな。私はアーヴィン。みんなはエリーを真似して先生と呼ぶが、まぁ好きに呼んで構わない。こっちは……うーむ、助手? のウェズだ」
アーヴィンに疑問符混じりで紹介されたウェズはクラウドに無言で礼をしてくる。
見た目はクラウドと同じくらいの年頃に見えるが、落ち着いた雰囲気があるため大人びて見えているのかもしれない。彼もまた、アーヴィンと同じく大柄だ。
「挨拶が遅れて申し訳ない。クラウド=バスティアと申します。森でエリー殿に助けられて本日世話になっていました」
「ははっ、エリーはついに森で人を拾ったか! リスやらウサギからバスティア公爵家の息子とは。これはすごい!」
クラウドのことを知っているらしいアーヴィンだが、エリーと同様まったく気にしていない。豪快な笑いにクラウドはどう答えていいかわからず曖昧に笑って返す。
「もう、先生! クラウド様が困っているでしょう」
二人分の夕食を追加する準備をしながらエリーがアーヴィンを嗜める。ウェズはやはり無言ながら、手際良くエリーを手伝っている。
「おぉ、失礼。だが、公爵家の子息殿がどうしてこんな田舎へ?」
最もな質問にクラウドはエリーにも教えた通り答える。
「王子の命でフレデリック侯爵とお会いするためです」
「クラウド様は王子に仕えているんですって、すごいわよね」
出来上がった夕食の皿をエリーが運んでくる。
「侯爵邸へ行くのですか?」
エリーと一緒に皿を運んできたウェズがはじめてまともに口を利いた。
それだけならいいのだが、なぜか一緒に鋭い眼光がクラウドに向けられる。
屈強な男に睨まれると、根っからの文官であるクラウドは竦んでしまう。
「ウェズ、顔が怖いわ」
「……それは元からです」
「あらそう? ここの皺を伸ばすだけで違うわ」
エリーが背伸びしてウェズの眉間を指で押す。
仲の良い様子を見て、クラウドは胃痛とは少し違う痛みを感じる気がする。
「痛い……?」
「えっ? もう痛みが出てきましたか?」
「いや、違う。胃は調子が良い」
心配して駆け寄ってくるエリーをクラウドは制する。
「クラウド殿は胃痛持ちか? なるほど、それならエリーが診る方がいいな」
アーヴィンは怪我など外傷のあるものを診るのが主らしい。
それでもアーヴィンもエリーがしたようにクラウドに問診してくれる。
「うん、やはりエリーの薬の服用とストレスを取り除くのが一番だな」
結論を出したアーヴィンにエリーは薬がもっと日持ちすればいいのですけどと目を伏せる。
「侯爵邸にも薬はあるだろう。分けてもらえばしばらくは持つ」
楽観的なアーヴィンはエリーの心配を取り払うように言う。
「それともエリーが着いて行くか?」
「それは嫌」
きっぱりはっきり言い切ったエリーは当然なのだが、クラウドはちょっとだけ落ち込む。
「ははっ、そう言うと男は傷付くぞ」
「えっ? あっ、別にクラウド様が嫌いなんじゃないですよ」
「侯爵邸に行きたくないだけだものな」
「……行きたくないわけじゃないけど」
何やら事情がありそうだが、深く聞いてもいいことなのかクラウドには判断出来なかったため話題を変える。
「あの、フレデリック侯爵殿はここら辺ではどのように評されています?」
「ふむ……この周辺でか。王都ではどうです?」
反対に聞き返されてしまったクラウドは、少し考えて言葉を選ぶ。
「国の最後の砦、端の要、そして少々の変わり者と……」
「はははははっ、少々などと遠慮して語ってもらえるのか。フレデリック侯爵一族は皆、かなりの変わり者だ」
クラウドが気を使って選んだ言葉はあっさりと否定されてしまう。
「領地でも変わり者と呼ばれているのですか。フレデリック侯爵は領民に慕われていると聞いていたのですが……」
「うむ、それは間違いない情報だ。変わり者という表現は別に悪い意味ではないからな」
変わり者をどう解釈すれば良い意味になるのか、クラウドは首を傾げる。
「まぁ、愛すべき変り者ということだ。別にとって食われるわけじゃないからそんな不安そうな顔をしなさんな」
アーヴィンはクラウドの不安を笑い飛ばす。
実はクラウド、ずっと噂のフレデリック侯爵家を訪問するのに不安を抱いていたのだった。
「考えすぎは胃の負担になりますよ。現当主は穏やかな方ですので大丈夫ですよ」
エリーにも励まされ、クラウドは元気が出るも情けなくも思う複雑な感情を味わってしまう。
「穏やか、けれど激しさを持つのがフレデリック侯爵家……」
「は、激しさ?」
不穏な言葉をポツリと落としたウェズにクラウドは顔を引きつらせる。
「こらっ、恐がらせないで! 激しさって言っても色々あるのに」
エリーはフォローしているようだが、激しいという部分は否定しない。
「先代のあの激しい強さに俺は憧れる……」
「先代というともはや伝説的な人物ですね」
クラウドはこの国の者なら誰でも知っている武勇伝を思い浮かべる。
この地は隣国との境にあり、かつては大きな争いもあった。しかしそれはもう昔の話、戦いの神をその身に落としたと言われる先代当主の活躍で今は平和を保っている。
「普段は戦いなど好まない、出来れば避けたいと考えているあの方ですが、守るための激しさを持っている」
仏頂面なのに目だけは輝かせて語るという器用な真似をするウェズに、エリーが補足する。
「普段は穏やか。これは間違いないですから、余程のことがないかぎりクラウド様が心配するようなことはないですよ」
「そうだ、むしろ胃を休めるのにはちょうど良い。食材は新鮮、空気はおいしい、人も優しいってな。はっはっはっ」
みんなが安心させようとしてくれているのがよくわかり、人が優しいというアーヴィンの言葉が正しいことをクラウドは身に染みてわかる。
「心配するより、まずはここでゆっくり休んでください」
温かい飲み物を手渡され、クラウドは礼を言ってベッドへ向かう。
「大丈夫だと励ましてくれる気持ちはありがたい……」
夜、一人でクラウドは暗闇の中に呟く。
「だが、俺が何を目的に侯爵の元へ向かうのかは誰も知らないんだ」
クラウドの不安は拭えないでいた。いや、もしかしたら明日の出発を控えて増しているかもしれない。幸いなことに薬は効いているようで、胃は痛くなっていない。
「俺がこれから持っていく話ははたして穏やかな話となるのだろうか……この話をどう受けとるかわからない」
すべては話してみなければわからない。クラウドはなんとか胃が痛まないで事が進めばいいと祈りながら眠りについた。




