3.処方箋は今日を入れて四日以内が有効
さっき眠りから覚めたばかりなので、たいして眠くないと思っていたクラウドだが体は疲れていたようで、いつの間にかぐっすりと眠っていた。
「ううん……んっ~」
そのため、目覚めは快適でクラウドは大きく伸びをして体を動かす。
「あっ、調子はどうですか? よく休めましたか?」
薬草の整理をしていたらしいエリーが、起きたクラウドに気がついて水を持ってきてくれる。
「調子……そういえば痛みが治まった」
「しっかりと休んだからでしょう。よかったですわ」
クラウドは体調の回復に喜びつつ、なんとなく寂しい気持ちも感じている。
(早く仕事をしなければいけないのに……ここを離れるのはもったいない気がする。薬のことなどもっと知りたいからか?)
どうして離れ難いのかはっきりとしないが、クラウドはこの診療所に強く惹かれていた。
「一時的に治まってよかった……きっとすぐにまた王子が問題を持ってきて元通りだろうが。ほら、こう考えている間にも胃が痛――くない!」
「そんなにすぐ痛くなりませんよ。薬が効いていますから。でも、そのように治らないと思っていると効くものも効かなくなりますよ」
後ろ向き発言を柔らかく諫めるエリーだが、クラウドはそれどころではない。
「こんなに効果のある薬ははじめてだ! ぜひもっと欲しいのだが」
身を乗り出してエリーの両手をがっちりと握りクラウドは懇願する。
「あ、あのクラウド様……」
困惑したエリーの表情と声でクラウドは我に返る。そして、素晴らしい薬との出会いに興奮してしまったことを反省する。
「やっ、すまない。つい嬉しくて」
ぱっと手を放したクラウドだったが、エリーの表情は冴えないままだ。
「エ、エリー? いきなり女性に無礼な振る舞いをして悪かった」
「えっ、あっ! 違います、違うんです。謝らないでください。ただ、薬が……せっかく気に入っていただけたみたいなのですが、作りおきできないのです」
シュンとするエリーは心底申し訳なさそうにしてくれていて、クラウドは自分のことをこんなに考えてくれているのかと胸を打たれる。
「無理を言ってすまない。気にしないでくれ」
「お役に立てず申し訳ありません。あとは、薬とは違いますが食事療法などもありますが……」
「食事でも治る!」
聞いたこともなかった治療法にクラウドはまた興味をそそられる。
「治るとは言えませんが、起こりにくくならできるかもしれないです」
「それは一体どのような? 教えてもらっても差し障りはないか?」
「もちろん教えるのは構いませんが、お時間は大丈夫ですか?」
クラウドの仕事を心配してエリーは小さく首を傾げてみせる。
「大丈夫だ。侯爵邸まで馬で半日かからないくらいなのだろう? それでも今から向かえば夜中の到着となってしまう」
「そうでした! 私ったら気が回らずに……では今日はお泊まりになって食事療法の話もその時にさせて頂きますね」
「あっ、無理にお願いするつもりはなかったんだが……できれば頼みたい」
強引に泊まる了承を取る形になってしまってクラウドは慌てるが、エリーはまったく気にしていない。
急いでいるのではないかと予想し、泊まること勧めなかっただけなのだろう。
「はい。夜には先生も戻ってきますので、診て頂きましょう。それで、食事の話ですが……もう具合はすっかりよろしいですか?」
「あぁ、かなり良い」
クラウドの答えにエリーは満足気に頷くと、提案を持ちかけてくる。
「では、厨房の方へ参りませんか? 説明するよりも見た方が早いと思います」
「厨房か……ほとんど入ったことがないな」
出来上がったものを給仕されるのが当たり前なクラウドにとって、厨房は未知の領域だ。
「ふふっ、ちょっとだけ体験してみてください。どうぞ、こちらです」
「よし、しっかり学ぼう」
「そこまで気負わず、気軽にしていてください」
クラウドはエリーに続いて厨房へと歩きはじめた。
「クラウド様は一日三食きちんと摂っていますか?」
「いや……不規則になることが多いな」
「そうですよね。ですが、できるだけきちんと摂ることをおすすめします」
不摂生な生活を見なおさなければいけないとクラウドは、仕事の調節を考える。
「あとは消化の良いものを食べるのがいいのですが、食べ過ぎもいけません」
「消化の良いものとは?」
まったく思いつかないクラウドはすぐにエリーに尋ねる。
「消化に良いものは、食物繊維や脂肪が少ないものですね。繊維が多いものや硬いものは 胃壁を刺激して胃酸の分泌が促進されるので気を付けてください」
「なるほど……」
腕を組み真剣に耳を傾けるクラウドにエリーは丁寧に説明を続ける。
「お肉は脂肪の少ない部分、魚は新鮮なものを選んでください。そして、食品は刻む、おろす、よく煮ると消化しやすいです」
料理は見た目も重要なので、クラウドの邸の食事でおろしたもの、細かく刻んだものはあまり見ない。そのためクラウドはしっかり覚えてコックに頼もうと必死に覚えようとする。
「あとはよく噛んで、食後の休息を十分にとることが大事です。仕事のしすぎはいけませんよ」
冗談っぽく笑うエリーの言葉にも、ついクラウドは真剣に頷いてしまう。
「クラウド様ってとても真面目で誠実な方なんですね。こんな話でも真剣に聞いてくれて……ありがとうございます」
教えてもらっているのに礼を言われてクラウドは戸惑ってしまう。
「……胃痛について、こんなに真剣に教えてくれる者はいなかった。みんな、軟弱者と馬鹿にするからな」
誰もクラウドの胃痛の苦しみなど知らず、苦労しているだの、軟弱なだけだと意見してくるが解決法などは考えてもくれなかった。医者にもまたかと、ため息をつかれる始末だったのだ。
「まぁ、人の苦しみを理解できない者は良い政治は行えません。その点、クラウド様は間違いないですね」
「そうだといいな」
前向きなエリーの発言にクラウドは少しだけ気分が晴れた気がした。
「大丈夫です。それでは、そのためになる食事をお教えしますね」
エリーはクラウドが貴族だとか、王子の側近だとかなど一切気にせずあれこれと仕事を言いつけて夕食の支度をはじめてしまった。
「嫌いなものはないですか? オムレツにチーズを入れますが?」
「大丈夫だ」
「卵に、乳製品は食事療法に適した食材なのですよ。お肉なら皮がない部分の鳥肉がいいですね」
てきぱきと動くエリーの邪魔にならないようにクラウドはおろおろと厨房で動き回る。まったく何をしていいかわからないといったところだ。それに苦笑したエリーはクラウドにお使いを頼んでくる。
「クラウド様、裏の畑のトマトを三つ取って来てくれますか?」
「おっ! それなら」
ようやくできることを見つけたクラウドは意気揚々と外へ出て行く。その後ろ姿を微笑ましく見守られていることなどクラウドは知らない。
「こういうのんびりした生活は良いものだな……」
トマトをもぎながら、少し先の森に咲いていた花をついでに数種類摘んでクラウドは口笛混じりに診療所へ戻る。
「ありがとうございます。あら? お花まで?」
「食卓にいいかと思って」
「そうですね、華やぎますね。それでは食べましょうか」
いつの間にかセットされた夕食は素朴ながら、温かみ溢れている。
「楽しいな……」
「そう感じるのが一番の薬なのですよ」
ぽつりと呟いたクラウドにエリーが笑う。
飾られた花と、温かな食事、穏やかな笑み、一体どれが自分をこんなにストレスから解放しているのか。クラウドはしばし食事の手を止めて考え込んでしまった。




