2.問診
「痛みはいつからですか?」
「そうだな……物心ついたときには……」
考えて悲しくなったクライドは肩を落としてしまう。
「そんなに昔から! とても辛かったでしょう?」
親身になって話を聞いてくれるエリーにクライドは頷く。
「痛みばかりは慣れなくて」
「慣れるものではないです。それでも、例えば食事の後に痛みが軽減することはないですか?」
労るような眼差しが眩しくて、クライドは考えるふりをして視線を逸らす。
「痛みの軽減……確かに食事の後はよかったかもしれない。薬が効いているのだと思っていたな」
「なるほど。では、背中の痛みはありませんか?」
クライドはベッドで体を半分起こした態勢のまま背中を擦る。
「いや……だが、疲れたときは感じることがあるな」
いくつかの質問の後、エリーは何度か頷いていくつかの薬草を追加で取り出す。
薬鉢に入れられた薬草が潰される匂いが部屋に広がる。思ったよりも不快ではなく、新緑を思わせる香りにクラウドは興味を持つ。
「家で処方されるものとはずいぶん違う」
お抱え医師が扱う薬はどれもひどい臭いと色で、正直飲む前から気分が悪くなるとクラウドは打ち明ける。
「まぁ、良薬は口に苦しといいますから……ですが、薬が嫌いになっては元も子もありませんよね。かく言う私も幼い頃は薬が嫌いで、苦くない薬を作りたいと思ったきっかけです」
薬草を煎じる手は止めず、エリーは手慣れた動きで会話と仕事を両立させている。
あまり見ることのない薬の処方風景に、クラウドは感心したような声を上げる。
「薬を作っているところは初めて見た」
「中々見る機会はないでしょうね。覚えれば、自分でも作ることができますので便利ですよ」
「それは興味深い……」
クラウドは、つらい仕事を休んで胃痛のための薬を研究しようかと一瞬本気で考えてしまった。
(だが、そうなると王子が乱入してきてまた波乱が――痛っ)
想像の中で痛んだ胃が、現実にも伝わってきそうでクラウドは無意識に胃を手で押さえる。
「まだ痛みますか? もう少し待ってください。おそらく、クラウド様の胃痛はただの胃痛ではありません。よく効く薬を作っていますから」
「ただの胃痛じゃない?」
それでは一体何なのか、クラウドは身を乗り出してしまう。
「十二指腸潰瘍ですね」
「十二指腸潰瘍……とは?」
気慣れない言葉にクラウドは首を傾げてしまう。それをわかっていたかのように、エリーは一冊の本を広げてクラウドに見せてくれる。
「この胃の下あたりにあるのが、十二指腸です。小腸のはじめの部分で指を十二本並べたくらいの長さなのでこのように呼ばれています」
人体が描かれた本は、どこか異国のものらしく精巧で珍しいものだった。
クラウドは指を見ながら、問題の部分を想像する。
「これが……」
食い入るように見つめるクラウドにエリーは説明を続ける。
「十二指腸潰瘍は若年の方に多くみられて、痛みも強いのが特徴です」
エリーは淀みなくすらすらとクラウドの胃痛について教えてくれる。
「自分の粘膜から発生する食物消化のための強い酸により胃壁に潰瘍を作ってしまうんです。原因としてはストレスなどがありますね、心当たりはありますか?」
「心当たりはありすぎる……」
クラウドはおそらく原因となっているであろう人物、主人である王子を想像し肩を落とした。
「そうですか、お忙しそうですものね。さて、完成です。どうぞ」
クラウドが飲むことを疑わずエリーは薬を差し出してくる。
「あぁ、いただこう」
クラウドも迷うことなく薬を受け取る。本当ならもっと警戒心を持つべきなのだが、ここまでしてもらってクラウドは疑う気にはなれなかった。
(これが政敵の刺客だったら、扱いやすい馬鹿な男と思われるのだろうな……政敵なんていないが)
現在、国政は安定していて確固たる地位をもつクラウドに擦り寄ろうとする者はいても、蹴落とそうと危険を冒すような者はいない。
クラウドは苦い薬覚悟するようにそっと口をつける。
「あまり苦くない……」
「色々、研究しましたから」
クラウドの感想にエリーがほっとしたように微笑む。それは、控えめながらも可憐さを併せ持っていた。
「ち、知識も深くて、すごいね」
エリーの笑顔に引き込まれてしまったのを誤魔化すように、慌ててクラウドは褒め言葉を紡ぐ。
「そんなに褒めていただくと恥ずかしいです」
「いや、大げさではなく本当に。俺は薬師たちの努力によって日々を過ごせているから……」
薬がなければ、とても仕事などすることはできない状態なのだとクラウドはため息をつく。
「薬で痛みを和らげることはできますが、ストレスを取り払うことが一番体にとっていいのですよ」
「それは……難しいな。取り払う相手が何せ王子なんだ」
「まぁ! 主は王子様ですか」
エリーは驚いてはいるものの、やはりそんなに態度は変わらない。エリーにとってクラウドの地位などどうでもいいことなのだと改めてわかる。
「それではきっと忙しいのですね、だからストレスが――」
「いや、忙しいことは忙しいのだが……原因は王子のとんでもないことをしでかす性格にあると思う。それを処理すると思うと……うっ、胃が」
王子のことを考えると反射的に胃が痛くなるクラウドのストレス原因など調べなくても明らかだ。
「確かに色々な噂はこの田舎にまで伝わってきていますが、尾ひれがついているのかと思っていました」
クラウドの切迫した様子から噂は本当なのだと悟ったエリーは、ちょっとだけ気の毒そうな顔をしている。人から見るとやっぱり自分は不憫に思われるのだと、クラウドは改めて思い苦笑する。
「残念ながら、噂は本当だろう。だからと言って国を傾けるような方ではないのだが……」
それだけが唯一の救いだとクラウドは何回目かになるため息をついてしまう。
「……今回もフレデリック侯爵に会いに行かなくてはならないとならないんだ。そうだ、ここから侯爵邸までどのくらいかかる?」
「侯爵邸でしたらこの森を抜けた先ですので、馬を使えば半日のかかりませんよ。さらに馬を一日ほど走らせれば隣国へと繋がる森がありますよ」
思ったよりも近くに目的地があってクラウドはほっとする。
「よかった。予定通りに事が進められる」
「よかったですね。ここで十分休んで、お仕事頑張ってください」
コップに水を注いで渡してくれるエリーの励ましにクラウドは静かに頷く。
「なんとか無事に乗り切りたいものだ」
もたもたしているとまた王子が何かしでかすと、クラウドは気が気じゃない。
結局のところ、放っておくということができない性格こそがクラウドの胃痛の最大の原因だろう。
「そのために、少し横になってください。薬も効いてきますから」
エリーに掛け布団を優しく直されて、クラウドは言われるままにしばらくの休憩をとることにした。




