18、国境なき薬師
クラウドはフレデリック邸を越えた、さらに奥にある森を馬で駆けている。
一応周囲に注意を払ってはいるが、森は至って平和で草木が風に揺れる音くらいしかしない。
隣国まで馬をとばせば半日とかからない、最も近い道を教えてもらっていたクラウドは急ぎつつも道を間違えないよう慎重に森を駆け抜けた。
「エリーがいなくなってそう時間は経っていない……すぐに見つかる」
クラウドは早鐘を打つ鼓動を鎮めるように呟く。
そうすれば、先に森とは違う砦が見えてくる。
「何かありましたか!」
砦を守る兵は勢いよく駆けてくるクラウドにただならぬ理由を察知して聞いてくる。
「これを」
クラウドは侯爵からの手紙を兵に渡す。
ここはフレデリック侯爵領の果て、隣国との境に造られた砦。
現在は国交を結び平和な両国のため、砦もものものしい雰囲気を出していない。旅人や商人の行き来が主で、とても落ち着いていた。
「エリー様が? ここは通っていません」
どうやらエリーはここでも薬師エリーとして通っているようだ。お転婆な侯爵令嬢に皆よく順応できるなとクラウドは状況を忘れて感心してしまう。
「ここを通らずにあちらの国へ行くことは?」
「隠れて森の奥から回っていけば」
「……そうか、こっそり連れ去られた可能性が高いか」
クラウドはエリーが自分から砦をくぐり隣国へ行ったのではないかという希望がついえてしまい肩を落とす。
「連れ去られた? そうなのですか!」
意気消沈するクラウドに、兵は今さらなことを聞いてくる。
「ここを通らず、こっそりなど誘拐しかないだろう」
「いえ、エリー様はいつもみんなうるさいからとここを通らずに行ってしまいます」
「何! となるとまだ自ら行った可能性も!」
クラウドは侯爵の手紙のおかげで難なく砦を通過して、エリーの後を追った。
最も近くにある街は、フレデリック侯爵領のような農業を中心とする街ではなく伝統工芸や衣服の生産で栄える場所だった。
「すまない。ここでエリーという薬師を知っている者はいないか?」
クラウドは街の観光案内所のようなところで、エリーについて聞いてみる。
「なんだい、兄さん薬を探しているのかい? そりゃあ、惜しかったな」
「というと?」
「エリー先生なら、つい昨日ここを通り過ぎて行ってしまったさ」
「ここに来たのか!」
つい身を乗り出してしまったクラウドに、情報をくれた男は一瞬引くもよっぽどエリーの薬を欲していると思ってくれたらしい。
「あぁ、あっという間の滞在で手持ちの薬を少し売ったくらいだったがな」
「それで、どこへ行ったかはわかりますか?」
クラウドはエリーがやはり自分の意思で来ていたと実感できて、安堵感が込み上げてくる。
「ここからすぐ北にある村というには栄えているところに呼ばれたと聞いたな。わざわざ追いかけるのか?」
「そのためにここまで来たんだ」
クラウドは水を購入しただけで、またすぐ馬に跨る。だが、気持ちはずいぶんと軽くなっていた。
「エリーも一言言ってくれればこんな大事にならなかったのに……そんなに急を要することだったのか?」
クラウドは綺麗に整備された街道を道なりにまっすぐ進む。
難しい道順ではないと言われた通り、行く先々には看板があり道を間違えていないことを確認できる。
途中、馬を休めるための休憩は挟んだもののクラウドは順調に目的地までたどり着くことができた。
「ここか……」
クラウドが着いた村は、確かに村というには栄えている。それは、先ほどの街の他にもいくつかの街の中継点になっているためのようだ。
村の中心にある市場では、それぞれ各地から持ち寄った物が取り引きされていて活気に溢れている。
「これは、探しにくいな……」
思ったよりもたくさんの人で溢れているので、クラウドはどこから探すか迷ってしまう。
「よぉ、兄さん。探し物かい? ここは小さい市場だが、なんでも揃うよ」
キョロキョロと周りを見回していたクラウドを客だと思ったのか、露店の店主が話し掛けてくる。
「いや、うーん……そうだな、薬を探している」
もしかしたらエリーに関する情報が聞けるかもしれないとクラウドは薬の話題を持ちかけてみる。
「薬かい? うーん、それなら……市場端の……いや、裏路地の……」
迷う店主の口からエリーの名は出てこない。
「有名なところはないのか?」
「そうなんだよ。ここいらは薬草があまり生えなくてね。薬は色んな地域から取り寄せているんで、種類はあるんだが使い方がいまいちわからずってことも多いんだ」
「なるほど」
エリーは薬がない地だから慌てて飛び出したのかもしれないとクラウドは納得する。
「あっ、でももしかしたら残りがあるかも」
「残り?」
「あぁ、昨日久しぶりに薬師様が来てくれてばば様の薬を処方してくれた。そのとき、何人か診察したらしいし薬もいくつか残していったらしいぞ」
それは間違いないなくエリーのことだろう。
「そのばばの家とはどこに? まだ薬師はいるか?」
「家はここから真っすぐの、小さな神殿だが――もういないと思うぞ、ってあれ?」
店主が叫んでもクラウドの耳には届かない。もうクラウドは市場を走りぬけ、神殿へと向かっていた。
人通りの多い市場は真っすぐ抜けると、神殿という厳かな雰囲気はないものの静かで穏やかな時が流れているような建物があった。
「こちらの信仰はうちとそう変わらないはずだったな」
自国の村によくあるようなありふれた建物に、クラウドはなんとなくほっとした気分になる。
「失礼する」
市場が混み合う時間帯だからか、神殿に人はいない。クラウドはもう一度、今度は少し大きな声で呼び掛ける。
「誰かいないか?」
「はい、はい。急かすでない」
二度目の問いかけに奥から人影が現れる。小柄なその人物は近づくと老女であることがわかる。
「あなたは、ばば様?」
エリーが薬を処方した人物らしき者の登場にクラウドは思わず尋ねてしまう。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。いかにも、私はばば様じゃ。異国の者にも知られているとは、私もまだまだ捨てたものじゃないの」
「失礼しました。あなた様は?」
「ばば様でいい。このあたりではみんなそう呼ぶからの。それで若いの、こんなところに何の用じゃ?」
市場はあっちだと親切に教えてくれたが、クラウドは首を振り本題を切り出す。ただ、人の気配がないこの場所にクラウドな望む結果がないことはなんとなく悟れてしまっている。
「ここにエリーという薬師はいないですか?」
もしかしてという可能性に賭けて聞いてみる。
「エリー? エリーを探しているのかい? そりゃあ惜しかった、エリーは私の定期薬が切れることを思い出して馬を飛ばして来てくれたんじゃ」
急いでいた理由は少しだけ判明する。
「今はどこに?」
「あっという間に王宮にさらわれてしまったよ」
「はっ? 王宮…さらわれた――国家間の問題だ! イタタタタ」
クラウドは真っ白になった頭を片手で、痛む胃をもう片方の手で押さえる。
「おぉーい、大丈夫かい、若いの?」
「……王宮はここからどのくらいですか?」
「そうじゃの、早馬なら数時間の距離じゃな」
「ありがとう……ございます」
クラウドは顔を青くして、フラフラと神殿を出る。
「なんじゃ? 王宮へ行ったのがなぜそんなにショックなんだか」
老女は首を捻りながらも、膝が悪いためクラウドを追うことはなかった。
「王宮にさらわれたということは、エリーは人質か? 開戦しようとしているのか?」
神殿を出たクラウドが思い浮かべるのは、囚われたエリー、はじまる戦、倒れる人々と最悪の光景だ。
「なんとしても阻止しなくては、王は朗らかで温厚な方だったのだから何かきっと裏があるな」
クラウドは数度会ったことのある、やや後退した頭の王を思い出して決意した。王子の妃候補を探す旅から、とんでもないところにまで来てしまったとクラウドはあの頃の胃の痛みを懐かしくさえ思う。
「行くか……」
クラウドは痛む胃を押さえながら、大きくなった事件を収拾すべく王宮へと馬を進めた。